大沢悠里
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大沢 悠里(おおさわ ゆうり、1941年2月11日 - 、東京都台東区出身)は元東京放送(TBS)アナウンサーで現在はフリーアナウンサーである。テレビでの顔出しをあまりしないアナウンサーとして有名。ラジオで裏番組を担当している高田文夫からは、その風貌を「下駄にモミアゲ」と揶揄されたこともある。
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[編集] 概要
JRN「ゴールデンワイド」木曜日の『ラジオ寄席』司会者として、東北各地をまわった。
テレビにあまり顔を出さないことと、原田悠里(はらだゆり)という女性の演歌歌手が存在することから名前だけ聞くと女性のラジオ番組かと誤解されることがある。
毒蝮三太夫からは「悠里ちゃん」と呼ばれている。
中山秀征からは「大沢悠里大先生」と崇め奉られている。
四番なかやまに出演した際述べているが、大沢はエロに対する極意として『ストレートにではなく、想像させなければダメ』と挙げている。あまり際どいのは好まないようである。
俳優の丹波哲郎が亡くなった事を、2006年9月26日放送の大沢悠里のゆうゆうワイドのオープニングコーナー「ほっとほっとモーニング」で、取り上げた際「お色気大賞で、ものまねしているのに呼ばないのは失礼だからと、丹波さんに出演させたかったけど、当人が『朝が弱い』からとの理由で実現にいたらなった」と、丹波哲郎をトークゲストにと招聘していた話を明かしていた。それだけに、丹波の死は大沢にとってショックが大きかった出来事である。
ゆうゆうワイドでは、聴取者のお年寄りに対する心遣いがとてもきめ細かく、問い合わせ先の電話番号などを読み上げるときは、とてもゆっくり、2度3度と繰り返す。これは自分自身のポリシーとのこと。
[編集] 経歴
- 1964年3月 - 早稲田大学第一法学部卒業。
- 1964年4月 - TBS入社。ラジオの夕方の音楽番組などを担当のほか「土曜日です・おはよう大沢悠里です」などに出演
- 1979年4月 - 平日午後のワイド番組「大沢悠里ののんびりワイド」(後に「大沢悠里のがんばってますか〜昼はまるごと歌謡曲」)放送開始。
- 1984年4月 - テレビ「ゆうYOUサンデー!」に出演(これが、彼唯一のテレビ番組レギュラーである(ナレーション類は除く))
- 1985年4月 - 午後のワイド番組終了に伴い、長期休暇でアフリカ旅行へ出向く。帰国後「スーパーワイドぴぃぷる」の担当に。
- 1986年4月 - 大沢悠里のゆうゆうワイド(月~金曜 8:30~12:00、1996年4月より8:30~13:00)放送開始。
- 1991年2月 - アナウンス部専門職部長を経て独立。
[編集] 現在の出演番組
- 大沢悠里のゆうゆうワイド(TBSラジオ 月~金曜 8:30~13:00)
- 大沢悠里のゆうゆうサンデー(TBSラジオ 日曜 7:15~7:25頃、「豊田綾乃 プレシャスサンデー」内)
- 悠悠素敵話(TBSラジオ 火曜 19:30~19:40頃、2006年10月3日~)
- 土曜スペシャル(テレビ東京系 土曜 19:00~20:54)(不定期、ナレーション)
[編集] 過去の出演番組
- クイズところ変れば!? (テレビ東京系 金曜 20:00~20:54)※1990年度後半まで(ナレーション)
- 新装開店!SHOW by ショーバイ2(日本テレビ)※末期に1回のみ(ナレーション)
- そこが知りたい(TBSテレビ・ナレーション)
[編集] ラジオコマーシャル
[編集] アラカルト
- TBSラジオでは、放送中に同局のコールサインである“JOKR”をコールすることが(放送開始・終了時を除いて)ほとんどないが、大沢は「ゆうゆうワイド」の番組内の時報の直前に「まもなく時報になります。ちょっとお手元の時計をお合わせ下さい。10時です。J・O・K・R」と、唯一コールサインを読み上げることで知られる。大沢は元TBS社員とはいえ現在はフリーであり、放送局に属さない出演者がコールサインを読み上げることも異例であるといえる。また、このときにTBSラジオの周波数や出力の案内もすることがある。他局でも周波数のコールをするが、出力の案内をするのも異例ともいえる。
- TBS社員でありながらテレビにほとんど出演しない大沢を、彼のラジオ番組を聞いておもしろいと感じたテレビ朝日の番組「題名のない音楽会」の関係者が、彼を番組に主役として出演させたことがあった(1986年9月14日放送)。他社の番組に出演することも異例なら、テレビでラジオ風番組を放送するのも異例だった。「題名のない音楽会」ならではの企画だろう。