埼群軌道新線
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埼群軌道新線(さいぐんきどうしんせん)とは、群馬県太田市~埼玉県熊谷市~同県東松山市を鉄道路線で結ぶ構想である。熊谷市~東松山市間は切り離して考える場合もある。
[編集] 計画
太田駅から東武小泉線を経由して東武仙石河岸線・東武熊谷線の廃線跡を利用して熊谷駅まで新線を敷設。熊谷駅からは立正大学熊谷キャンパス、武蔵丘陵森林公園を経由し、森林公園駅(比企郡滑川町)で東武東上線と接続。東上線池袋駅まで乗り入れようというものである。
[編集] 歴史
1943年(昭和18年)に軍事路線として、熊谷と小泉線と結ぶ路線が計画され、東武熊谷線として熊谷駅~妻沼駅間が開業したが、終戦により工事は中断。その後工事は継続されず、残った東武熊谷線もモータリゼーションの進行で1976年(昭和51年)に仙石河岸線、1983年(昭和58年)に熊谷線が廃線になった。
その後、1989年(平成元年)に群馬県が行った群馬県都市交通システム調査における提起がきっかけとなり、1991年(平成3年)、埼玉県・群馬県の両関係自治体が集まり設立されたのが、埼群軌道新線建設促進期成同盟会である。その後、さらに熊谷・東松山間に軌道線を建設し、東武東上線へ直通。群馬・熊谷から東上線を経由して東京への鉄道バイパス線を作る巨大な構想に変わっている。
また、2005年(平成17年)11月29日には熊谷商工会議所副会頭が発起人となり「熊谷市埼群軌道新線を実現する市民の会」が発足、2006年10月現在、最近になって熊谷駅前などにて、チラシを配るようになった。同会は「埼群新線」と称している。
[編集] 問題点
熊谷線や仙石河岸線の跡地は緑道やサイクリングロードになっているのみなので、物理的には工事は容易に見えるが、利根川への架橋を含め、30km以上の建設費用の償還を含めた採算性に疑問符がつく。現在、もし開業した場合に中心となる、熊谷市や太田市を始め新線に関連する自治体では、採算性の問題から二の足を踏んでおり、埼群軌道新線建設促進期成同盟会も活動停止状態となっている。また沿線と関わりの深い事業主体として有力視される東武鉄道も自ら建設する意志は無いと表明している以上、建設運営は第三セクター方式の新会社設立ということになる可能性が高いが、2006年10月現在これといった話は進展していない。
また、東上線へ直通運転するとなると東上線内(特に池袋駅~成増駅間・志木駅~川越市間)の線路容量がひっ迫していることを考えれば大規模な輸送力増強工事が必要な事から東武鉄道はさらに消極的になると思われる。
さらには、現在の東上線と上越新幹線・高崎線との所要時間を比較すると、はたして熊谷~東京方面とのバイパス効果が得られるのかという問題もある。ただしこれについては、埼玉県内ではいくつか例があり、例えばJR埼京線の池袋駅~川越駅間が大宮駅経由ということから大回りで東上線より所要時間がかかることから不利な環境でありながらもバイパス路線としての意味を持っている事などから期待は出来ると考える事も出来る。このような大回りながら健闘しているバイパスルートの例は西武新宿線の西武新宿駅~本川越駅間や東武伊勢崎線の半蔵門線~久喜駅間、JR武蔵野線の東京駅~京葉線経由~武蔵野線のルートがある。
なお、現在協議中の熊谷市・江南町合併協議会で案を提出された「新市基本計画」の「公共交通網の整備」項目のひとつとして『埼群軌道新線及び熊谷~東松山間軌道系新線整備構想の促進』ということを挙げており、重点を置いている課題であることは変わりないようであるが、「構想の促進」という表現に留めているところは消極的とも取れなくも無い。
この他、西小泉駅と国道354号の距離が約100メートルと近過ぎるため、西小泉駅の改築を含めた立体交差工事が必要になることも問題となっている。
上記のルートの他、東小泉駅へのスイッチバックを回避するべく、西小泉駅と竜舞駅を直結する短絡ルートの土地は以前東武鉄道が所持していた。現在両駅間の用地買収は今更困難である。