埼玉県立春日部高等学校
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埼玉県立春日部高等学校 | |
創立 | 1899年 |
設置学科 | 普通科 |
学校長 | 松村 秀 |
所在地 | 〒344-0061 埼玉県春日部市粕壁5539 |
電話番号 | 048-752-3141 048-760-1202(FAX) |
外部リンク | 公式サイト |
埼玉県立春日部高等学校(さいたまけんりつかすかべこうとうがっこう)は、埼玉県春日部市に創立された明治32年の埼玉県第四中学から続く歴史ある県立高等学校。
全日制普通科、定時制普通科を設置。全日制は男子校。一般的には「春高」(かすこう)の略称・愛称で呼ばれる。運動部、文化部問わず部活動も非常に盛んで、バスケットボール部がインターハイ出場した他、数多くの部活動実績を挙げている。またオーストラリアのヴィクトリア州立メルボルン高等学校と国際的な交流を行っている。
目次 |
[編集] 校訓・教育方針
校訓を「質実剛健」、教育方針を「文武両道」としている。
[編集] 最寄駅
[編集] 学風・学校生活
個性を重んじる非常に自由な学風であり、学生も真面目なので、教諭から学校生活において指導されるということは滅多に無い。また創立100年以上の伝統校であるだけに、学生の愛校心は非常に強い。校歌の他にも、数多くの応援歌が存在し、普段の学校行事や野球などスポーツの応援の際には学生同士、肩を組み合ったり腕を振ったりして、大声で熱唱する。飛び跳ねて歌うことも多々ある。男子だけということもあり、伸び伸びした男子校独特の気風がある。女子高生が多数来校する文化祭及びに大運動会は学内のメインイベントとなっている。
授業のペースは速く、特に数学、英語では1年次から脱落者が出るほどペースが早い。英語では、教科書のほかに「ホームリーダー」と呼ばれる自己学習用の洋書が毎年数冊配布され、英語の苦手な学生を鍛え上げる。テストでその内容が出題される事がある。特に教師から勉強を強制されるわけではないが、好成績を維持するには個人の家庭での自主勉強が必要となる。しかし、2年次までは部活動や趣味に没頭する学生が多く、本格的な受験ムードに包まれるのは、3年生になってからである。授業の形態として1時限65分授業を導入している。カット(教師が不在の日、自習とはせずに、時間割の順番を変更するなどして対応する。結果、早めの帰宅が可能になる)や、独特の休み時間として1昼、2昼(春高は昼休みが2回ある)などを取り入れられていたことで、有名である。
文武両道の流れから、スポーツにも非常に力を入れている。準備体操として「春高体操」と呼ばれる独自の体操が行われている。体育は、春は1500メートル走、夏は水泳、秋及び冬はマラソン・柔道・ラグビー・卓球・バレーボール・サッカーが行われる。1500メートル走では、クラスの平均目標タイムが高いレベルで設定されており、これをクリア出来なければ新しい種目に移れない。なお、ラグビーは県内でもごく一部の高校でしか行われていない。
部活動も体育・文化系それぞれで盛んである。応援指導部は、全国でも屈指の歴史を誇っており(大正13年創部。当時は東京六大学でも、明治大学と法政大学にしか応援団がなかった)、春高の行事・試合の応援をリードし、春高にとってなくてはならない存在となっている。周辺地域でも有名で、浦和・川越・熊谷・松山・不動岡の各高校の応援団と六校合同(六校応援団連盟として組織化している)で、東京六大学応援団連盟主催の「六旗の下に」にならって、「日輪の下に」を、毎年1回催している。
[編集] 学校行事
5月にバレーボール大会、6月に文化祭である「春高祭」、7月に水泳・卓球大会、芸術鑑賞会、10月に体育祭である「大運動会」、11月に渡良瀬遊水地での1万メートル持久走大会、12月にサッカー・バスケットボール大会が催される。各種スポーツイベントではクラス間で年間総合ポイントを競い、早朝からの場所取りなど熾烈な争いが繰り広げられる。その他に文化行事として、一年次の「日展」観賞、二年次の修学旅行(京都)などの行事がある。とりわけ、6月の「春高祭」は学内一のイベントで、各クラス・部活動の行事のほか、女子高生とのフォークダンスや女子高招待企画などの、女子校との交流が行われる。また応援指導部による「臙脂の集い」は、体育館を埋め尽くすほどの人気を誇る(在校生の熱狂が余って、体育館の床が抜け落ちるという珍事もあったほど、盛況である)。中でも名物であるのが、春高祭の最後に行われる「春高ジェンカ」である。応援指導部・吹奏楽部の周囲を学生たちが、何列にもなって、水を浴びせられながら旋回し、泥まみれになりながらも最後は肩を組んで校歌・応援歌を熱唱するというもので、文化祭を締めくくる名物行事となっている。また、10月の大運動会の入場行進では、3年生による仮装行列が行われ、さまざまな格好に扮して、場を盛り上げている。
[編集] 施設
昭和30年(1955年)完成と、県下で最も古いとされた旧校舎は1999年に解体され、同年2学期より旧野球グラウンドに建設された県内で最も豪華と言われる新校舎に移転した。旧校舎の時代は、冬場でも隙間風の入る校舎で、暖房器具無し(定時制用のストーブがある教室もあり)の状況で授業を行っていた。現在の設備は最新式で、太陽発電が行えるほか、震災に備えて、非常食や飲料も完備されている。2006年には、在学生保護者の出費により各教室に冷房が備え付けられ、ついに冷暖房完備を実現。公立高校としては県内初の試みとなった。旧校舎跡地に設置された新・野球グラウンドは外野に芝生が敷設されており、県立校有数の環境を誇っている。一方で、旧校舎時代から残った校庭は水はけが悪く、少量の雨でも校庭が水浸しになる。また運動部部室棟、弓道場、プールなども老朽化が進んでいる。
[編集] 校歌・応援歌
校歌は3番まで存在する。1,2番は主として利根川の雄大さとを称える内容となっており、3番は利根川のような春高生の勇敢さについて謳われている。かつては皇室を称える内容の4番が存在したが、戦後に削除された。高校名については全く触れられていない県内でも珍しい校歌である。また応援歌として「秩父の嶺」、「春高健児」、「若き血潮」、「母校よ春高」などが存在する。特に「秩父の嶺」と「春高健児」は野球などの応援でも多用されるため、校歌とともに、卒業生なら誰もが諳んじて歌える応援歌である。
[編集] 進学実績
毎年、東京大学に合格者を出しているほか、一橋大学、東京工業大、旧帝国大学などの各国公立大学、早稲田大学、慶應義塾大学、上智大学、東京理科大学、明治大学、中央大学、立教大学、法政大学、青山学院大学、学習院大学などの私立大学に多数の合格者を出している早稲田大学・東京理科大学・明治大学にはそれぞれ100人以上の合格者が出る事が多々ある。有名大学の合格者が多数いる一方、現役合格率はおよそ60%台である。現役合格率が低いのは、向上心の高さ(私立に受かっても国立に入りたいがために・より上位の大学を目指すために浪人など)という理由が挙げられる。
[編集] 沿革
- 明治32年(1899年)埼玉県第四尋常中学校(旧制)が設立される。同年粕壁中学校と改称。
- 明治35年(1902年)この頃、野球部創部される。
- 明治40年(1907年)校歌制定。
- 昭和23年(1948年)埼玉県立粕壁高等学校(新制)と改称。定時制設置。
- 昭和24年(1949年)埼玉県立春日部高等学校と改称。
- 昭和26年(1951年)第1回春高祭開催。
- 昭和28年(1953年)校舎が火災で消失。昭和30年に旧校舎竣工。
- 昭和45年頃(1970年頃)学生運動の嵐が吹き荒れる。制帽自由化。
- 平成11年(1999年)新校舎竣工。
[編集] 主な卒業生
[編集] 政治・行政
- 安積得也(大正6年卒 岡山県知事・栃木県知事、思想家・評論家)
- 野中英二(昭和15年 元衆議院議員・元国土庁長官)
- 島村慎市郎(越谷市前市長)
- 今井宏(昭和35年卒 自民党衆議院議員・前総務副大臣)
- 日森文尋(昭和42年卒 社民党衆議院議員)
- 永岡洋治(昭和44年 元衆議院議員・故人)
- 秋谷昭治(埼玉県議会議員、医学博士)
[編集] 実業・経済
- 大塚勝久(IDC大塚家具社長)
- 佐久間健(昭和37年卒 経済作家)
[編集] 文学
[編集] 芸術
[編集] 研究
- 金子丑之助(大正10年卒 医学博士・解剖学の権威)
- 奥貫一男(大正13年卒 酵素化学の研究者)
- 周東寛(昭和47年卒 医学博士)
[編集] マスコミ
[編集] 芸能
[編集] スポーツ
- 高林隆(昭和25年卒 元サッカー選手・メルボルン五輪代表)
- 小原敏彦(昭和33年卒 スポーツライター・長嶋茂雄研究家)
- 木下富雄(昭和45年卒 元プロ野球選手・現広島二軍監督)
- 青島健太(昭和52年卒 スポーツジャーナリスト・元プロ野球選手)
- 宮部行範(昭和62年卒 春高初の五輪メダリスト。種目はスピードスケート。同じくスピードスケートのメダリストの宮部保範氏は実兄で埼玉県立浦和高等学校のOB)