城 親賢(じょう ちかまさ、? - 天正9年(1581年))は戦国時代の武将。肥後の国人城親冬の男。通称十郎太郎。官途は越前守。室は鹿子木親員の女とゆう。
耳川の戦いでの大敗後大友氏勢力が沈滞すると、北上を開始する島津氏に協力し、1580年阿蘇氏臣甲斐宗運と白川旦過ノ瀬に戦って敗退。1581年龍造寺氏の肥後侵攻の際はこれに降り、同年末に死去。天正期に岳林寺を再建した(親賢の墓はこの岳林寺にある)。
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