国技館5000人の第九コンサート
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国技館5000人の第九コンサート(こくぎかんごせんにんのだいくこんさーと)は概ね毎年2月の第3又は第4日曜日に東京・両国の国技館で行われている一般公募型大規模「第九」イヴェント。
目次 |
[編集] 運営
現在の主催者は「国技館すみだ第九を歌う会」と墨田区、墨田区文化観光協会の3者。このうち「すみだ第九を歌う会」については、このイヴェントの企画段階で、運営主体として墨田区文化観光協会の手により設立された経緯があることから、民間放送局の主催で行われている大阪「1万人の第九」及び広島「第九ひろしま」と比べて、公的色彩の強いものになっている。
協賛については、現在では地元企業を中心に名を連ねているが、第2回から第11回までは1社単独で協賛していた《第2回から第10回まではライオン(特別協賛扱い;墨田区内に本社有)、第11回は日立製作所》。
[編集] 概要
1985年1月9日の両国国技館落成を祝賀する目的で開催されたのがこのイヴェントの始まり。だが構想自体はその前年、言い換えると大阪で第1回の「1万人の第九」が行われた翌年、1984年の年明け早々から芽生えていた。
江戸時代から相撲等を軸とした町人文化で栄えてきた両国の地であったが、明治・大正・昭和と時代が進むにつれてその頃の勢いは衰えを見せ、さらに、第2次大戦後、進駐軍によって旧両国国技館が接収されてからは隅田川の西側(両国から見た場合、隅田川を挟んで反対側)に位置する台東区蔵前に国技館が移ってしまい、隅田川の東側地域(墨田区とか)は沈滞ムードに覆われていた。それが1985年1月の新国技館落成を機に、国技館が両国の地に戻ってくる、ということで、隅田川の東側地域の活性化に繋げていきたいという思いもあって、墨田区文化観光協会の職員で後に「すみだ第九を歌う会」の事務局長を務めることになった石井貞光と地方の音楽文化の向上等に取り組んでいた指揮者の石丸寛が中心になってこの「第九」イヴェントの企画が進行していった。そういうこともあって、第1回の公演では「おかえりなさい国技館」のサブタイトル(テーマ)が付いた。
また構想の段階に於いて、この「第九」イヴェントについては、墨田区の活性化と文化向上の起爆剤と位置づけていたこともあり、翌年以降の継続を前提に議論が重ねられていた模様である。つまり企画の段階から翌年以降の継続を前提にしていたわけであり、この点で「1万人の第九」と異なる一面を見せている《ちなみに「1万人の第九」は当初単発のイヴェントとして企画されたものであったが、好評のうちに翌年以降の継続が急遽決定し、今日に至っている》。
ちなみに1985年の第1回公演時に於ける記録として、報道発表は1984年の4月24日、その翌日から合唱団員の募集を開始し、この年の「1万人の第九」公演日(12月2日だった)頃までに5000人を達成した。
[編集] プログラム
コンサートは2部構成になっている。
なお、終演後は引き続き合唱団の”解団式”が執り行われる。この”解団式”では例年都道府県別合唱団員紹介(紹介は原則としてグループ単位)が行われているが、最後に行われる”乾杯の儀式”は名物にさえなっている(この終演後の”解団式”は「第九ひろしま」でも例年行われているが、「第九ひろしま」では都道府県別合唱団員紹介は行われない)。
第1部については、現在では名曲コンサート形式になっているのだが、かつては式典が行われたり、創作作品の演奏だったり、「第九」に関するトークであったり・・・と、定型化されていない。また、第1部を置かなかった回もあった。そしてもう一つ特筆すべきは、第5回公演(1989年)の第1部に於いて、当時「1万人の第九」で指揮をしていた山本直純が指揮台に立ち、”5周年記念委嘱祝典曲”の演奏が行われたこと。1人の指揮者が複数の大規模「第九」イヴェントの指揮台に立った例はこの山本直純と第22回公演(2006年)で指揮台に立った円光寺雅彦(「第九ひろしま」の第12回公演でも指揮した)の2人だけである。
合唱団規模は約5000人で、音楽専門月刊誌に募集広告を掲載しているためか、首都圏はもとより全国各地からも集まってくる。また海外からの参加の実例もある。
管弦楽については東響が創始時から参加しているが、これは構想段階では都響とあと一つ程度の規模で計画されていたものの、都響側からスケジュールが合わないとの回答があり、代わりに東響から了承を取り付けることが出来たという経緯によるものである。その後、第2回からは後に墨田区とフランチャイズ関係を築くことになる新日本フィルも参加。かつ、この第2回以降、「5000人の第九」用に”国技館第九コンサート祝祭管弦楽団”の名称も用意された。さらに第16回からは東京シティ・フィルも参加している。また第2回では東響と新日本フィルを中心に全国のオーケストラからトップ奏者を選び出して特別に編成するという、さしずめジャパン・ヴィルトゥオーゾ・シンフォニー・オーケストラ的なことをやってみせた《これについては恐らく第6回まで続いたものと推測される》。
合唱団員の募集については先着順受付による。出演に際しては所定のレッスンを受ける必要がある。例年このレッスンは9月下旬に開かれる”発会式”から始まり、年内は国技館裏手にある江戸東京博物館1階ホールで月3~4回のペースで進められ(最近ではこれとは別に「第九」歌唱に不安を抱える人たち向けの特別レッスンも設定されるようになってきている)、年明け以降本番までの間は、先に記した江戸東京博物館1階ホールの他、東京都内を中心に首都圏各所にレッスン会場を設定してレッスンが進められる。
[編集] 沿革
- 第1回:1985年2月17日…指揮:石丸寛、管弦楽:東響、「おかえりなさい国技館」
- 第2回:1986年2月16日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管S、「かけがえのない地球そして生命」
- 第3回:1987年2月22日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管S(※1)、「音楽都市を目指して」
- 第4回:1988年2月21日…指揮:荒谷俊治、管弦楽:祝祭管S(※1)、「音楽都市づくり元年」
- 第5回:1989年2月19日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管S(※1)、「一歩そして一歩」
- 第6回:1990年2月18日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管S(※1)、「歌う歓び、聴く歓び」
- 第7回:1991年2月24日…指揮:三石精一、管弦楽:祝祭管A、「音楽それは平和への願い」
- 第8回:1992年2月23日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管A、「わかち合おう、歓びを」
- 第9回:1993年2月21日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管A、「苦悩をへて歓喜へ」
- 第10回:1994年2月20日…指揮:石丸寛、管弦楽:祝祭管A、「第九との出会い10年」
- 第11回:1995年4月2日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管A、「心新たに歓びの時を求めて」
- 第12回:1996年2月18日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管A、「明日のために感動をわかち合おう」
- 第13回:1997年2月23日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管A、「歓喜の歌声響きわたる街すみだ」
- 第14回:1998年3月1日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管A、(※2)
- 第15回:1999年2月11日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管A、「音楽都市すみだの道標」
- 第16回:2000年2月27日…指揮:大友直人、管弦楽:祝祭管B、「新1000年に継げ、歓喜の歌を」
- 第17回:2001年3月11日…指揮:外山雄三、管弦楽:祝祭管B、「21世紀に夢をのせて」
- 第18回:2002年2月24日…指揮:張允聖(※3)、管弦楽:祝祭管B、「平和と友情、アジアの願い」
- 第19回:2003年2月23日…指揮;ペトル・ヴロンスキー、管弦楽:(※4)、「世界の自由と平和を願って…」
- 第20回:2004年2月22日…指揮:荒谷俊治、管弦楽:祝祭管B、「第九を世界平和のメッセージに…」
- 第21回:2005年2月27日…指揮:ローランド・バーダー、管弦楽:祝祭管B、(※5)
- 第22回:2006年2月26日…指揮:円光寺雅彦、管弦楽:祝祭管B、「Dona nobis pacem(※6)」
【凡例】
- 各回毎のテーマは右端の「」内に記載
- 指揮については第2部の「第九」演奏でタクトを執った指揮者を表示《但し、第10回までは石丸寛が音楽監督(第2部)として関わってきている》
- 管弦楽
《なお、”祝祭管”とは「国技館第九コンサート祝祭管弦楽団」の略》
- その他
- (※1)=推測による
- (※2)=「未来に輝く子どもたちに愛と音楽を-すみだトリフォニーホールの船出-」
- (※3)=《指揮者カタカナ表記》チャン・ユン・スン
- (※4)=ヤナーチェク・フィル+東響+新日本フィル+東京シティ・フィル
- (※5)=「世界はひとつ、EUも友だち第九の世界連合へ」
- (※6)=《邦訳》我らに平和を与えたまえ
[編集] 交流実績
これまでに「国技館すみだ第九を歌う会」として参加した(有志を派遣した)主な演奏会、及び公演が行われた都市を以下に記した。
[編集] 国内
- 「1万人の第九」:1991年・1998年・1999年・2001年以降毎年参加
- 「第九ひろしま」:2000年・2001年
- 国内その他:「岩手8000人の『第九』歓喜の大合唱」(1985年10月)、「ふくおか8000人の第九」(1987年1月)、長野五輪記念「第九」演奏会(1998年1月) 他
[編集] 海外
ウィーン、ベルリン、ボン、ハイデルベルク、シドニー、ロサンゼルス、北京、昆明 他
[編集] 関連図書(参考文献)
- 『歌った! 5000人の「第九」の記録』石井貞光 編著(いかだ社)
- 『5000人の第九物語』国技館すみだ第九を歌う会 編(隅田川文庫)
- 『<第九>と日本人』鈴木淑弘 著(春秋社)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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