唐古・鍵遺跡
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唐古・鍵遺跡(からこ・かぎ・いせき)は奈良盆地中央部、標高約48m前後の沖積地、奈良県磯城郡田原本町大字唐古及び大字鍵に立地する弥生時代の環濠集落遺跡。
現在知られている遺跡面積は約30万m2。規模の大きさのみならず、大型建物の跡地や青銅器鋳造炉など工房の跡地が発見され話題となった。平成11年(1999年)に国の史跡に指定され、ここから出土した土器に描かれていた多層式の楼閣が遺跡内に復元されている。
全国からヒスイや土器などが集まる一方、銅鐸の主要な製造地でもあったと見られ、弥生時代の日本列島内でも重要な勢力の拠点があった集落ではないかと見られている。
目次 |
[編集] 遺跡の変遷
[編集] 弥生時代前期
- 集落の形成
- 遺跡北部・西部・南部の小高い丘に居住域が形成される。
[編集] 弥生時代中期
- 集落の分立(中期初頭)
- 3カ所の居住域周辺に環濠が巡らされる。
- 西部居住域で大型建物の建築。
- 集落の統合(中期中葉)
- 3カ所の居住域の周りに大環濠を掘削し一つの居住域に統合する。(直径約400m)
- 内側の環濠は幅10m、その大環濠を囲むように幅5~6mの環濠が5~6条巡らされる多重環濠。
- 中期後半
- 楼閣などの建物・動物・人物の絵画を土器に描く風習の確認。
- 洪水により環濠が埋没。
[編集] 弥生時代後期
- 集落の発展
- 洪水後に環濠再掘削が行われ環濠帯の広さも最大規模となる。
- 集落南部で青銅器の製作。
[編集] 古墳時代前期
- 集落の衰退
- 大環濠の消滅。
- 環濠の一部再掘削。
- 井戸などの遺構が減少していることから居住域が規模が縮小していることがわかる。
[編集] 古墳時代後期以降
- 集落の消滅
- 遺跡中央部に前方後円墳が造られ墓域となる。
- 中世
- 唐古氏・唐古南氏・唐古東氏の居館がつくられる。
- 唐古南氏の居館周辺は現在の鍵集落へと発展。
- 江戸時代
- 唐古・鍵池が造られる。
- 遺跡周辺が水田となる。