千代大海龍二
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千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の現役大相撲力士。得意は突き、押し、突っ張りからの叩き、引き、去なし。最高位は大関。本名は廣嶋龍二(ひろしま りゅうじ)。身長181cm、体重158kg。
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[編集] 来歴
中学校時代は大変な悪童で有名で、2桁人数の高校生相手に単身で喧嘩して勝つなどの武勇伝を轟かせ、大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率いていた。佐賀県出身で同年代のはなわ曰く「大分の龍二と言えばボクでも知ってるぐらいの凄く有名な男だった」。ただ、ヤンキーではあったが、先生の言うことは素直に聞き、弱い者いじめもしなかったとされる。
一方、中学校2年生の時に柔道の全国大会で3位入賞、 3年生の時には年齢を偽って参加した極真空手の九州大会で3位入賞するなど、格闘センスは抜群であった。空手の得意技はローキックと掌底。
中学卒業後は一時鳶職につくが、母親を安心させたいと大相撲入りを決意、どうせなら最も強い人の弟子にと、元横綱・千代の富士の九重部屋に入門志願に行くが、剃りを入れた金髪だったため「頭を何とかしてこい!」と一喝される。翌日、丸刈りにして再び門を叩いた。
1995年7月場所に19歳で新十両。番付運が悪く約2年間の十両生活を経て、1997年9月場所新入幕。入幕後は順調に番付を上がり、1998年5月場所新小結。翌7月場所には新関脇で11勝。この頃から次期大関候補と言われるようになる。そして関脇4場所目の1999年1月場所、横綱若乃花との優勝決定戦に勝って13勝2敗の好成績で初優勝を成し遂げ、関脇通算3場所で32勝となり場所後に大関に推挙された。千代大海の大関昇進まで約5年間大関が誕生していなかったため、若貴に継ぐ新しい時代のヒーローとして期待されたが、新大関の場所は不調で、取組中の怪我で途中休場した。その後も怪我等でパッとしない場所もあり、やや頼りなさを感じさせたが、2002年には優勝1回・同点1回と漸く大関として上を期待できるようになり、2004年前半までは強い所を見せ、綱取りを期待される場所もあった。しかし2004年3月場所に13勝を上げたのを最後に成績は低迷し、優勝争いどころか勝ち越すのがやっとという場所も多く、更に怪我も多くなって最大の武器である突っ張りもだんだん効かなくなっていった。
また悪癖といわれる引く癖がある。これは突き押しの力士の多くが悩まされるものであり、なかなか突き押しの力士が上に上がるのは難しい大きな理由である。また、突き押しの力士は同型の突き押しの力士に弱いとされており、千代大海もその例に漏れない。もっとも千代大海のいい相撲とされるのは、小刻みな突っ張りに足も出て直進する、「電車道」と称される勝負の決め方である。
2005年9月場所には当時の史上最多記録に並ぶ8度目の角番となり、2006年3月場所では大関魁皇博之と揃って9度目の角番となった。師匠九重が「普段から稽古をしていないのだから、怪我をして当然」と語るなど、この頃には稽古不足で場所を迎えることが多くなった。大関陥落は一度も無い。
2006年7月場所、7日目の露鵬戦で勝ったものの、勝負決着後の土俵下で露鵬とにらみ合い口論となった。千代大海は自ら北の湖理事長の所へ行き謝罪したものの、厳重注意を受けた。
[編集] 略歴
- 1992年11月場所 - 初土俵
- 1995年7月場所 - 新十両
- 1997年9月場所 - 新入幕
- 1998年5月場所 - 新三役(小結)
- 1999年1月場所 - 幕内初優勝
- 1999年3月場所 - 新大関、鼻骨骨折のため11日目から途中休場
- 1999年7月場所 - 初の角番。
- 2001年 - 年寄名跡・「佐ノ山」を取得
- 2001年1月場所 - 右足関節脛腓靱帯損傷及び右距骨有痛性三角骨のため4日目から途中休場
- 2001年5月場所 - 2度目の角番
- 2001年9月場所 - 中足基節関節靱帯断裂のため9日目から途中休場
- 2002年1月場所 - 3度目の角番
- 2002年5月場所 - 4度目の角番
- 2002年7月場所 - 2回目の優勝
- 2002年11月場所 - 右上腕三頭筋損傷のため9日目から途中休場
- 2003年3月場所 - 5度目の角番を3回目の優勝で飾る
- 2005年1月場所 - 6度目の角番
- 2005年5月場所 - 7度目の角番
- 2005年7月場所 - 左膝側副靱帯損傷のため9日目から途中休場
- 2005年9月場所 - 8度目の角番
- 2006年1月場所 - 右大胸筋部分断裂及び頸椎捻挫のため8日目から途中休場
- 2006年3月場所 - 9度目の角番
- 2006年9月場所 - 大関在位46場所となり、元大関・北天佑を抜いて歴代2位、横綱朝青龍に二年ぶりに勝利。
[編集] 幕内での場所別成績
場所 | 地位 | 勝数 | 敗数 | 休場 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
平成9年9月 | 西前頭11枚目 | 8 | 7 | 0 | 新入幕 |
平成9年11月 | 東前頭5枚目 | 6 | 9 | 0 | - |
平成10年1月 | 東前頭8枚目 | 9 | 6 | 0 | - |
平成10年3月 | 東前頭筆頭 | 8 | 7 | 0 | 技能賞(初)、金星1 |
平成10年5月 | 東小結 | 8 | 7 | 0 | - |
平成10年7月 | 西関脇 | 11 | 4 | 0 | 技能賞(2) |
平成10年9月 | 東関脇 | 9 | 6 | 0 | 技能賞(3) |
平成10年11月 | 東関脇 | 10 | 5 | 0 | - |
平成11年1月 | 東関脇 | 13 | 2 | 0 | 優勝(初)、殊勲賞(初)、敢闘賞(初) |
平成11年3月 | 西大関 | 3 | 8 | 4 | - |
平成11年5月 | 西大関 | 0 | 0 | 15 | 公傷制度適用 |
平成11年7月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | 角番 |
平成11年9月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成11年11月 | 東大関 | 9 | 6 | 0 | - |
平成12年1月 | 西大関 | 9 | 6 | 0 | - |
平成12年3月 | 西大関 | 8 | 7 | 0 | - |
平成12年5月 | 東大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成12年7月 | 東大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成12年9月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成12年11月 | 西大関 | 9 | 6 | 0 | - |
平成13年1月 | 西大関 | 2 | 2 | 11 | - |
平成13年3月 | 東大関 | 0 | 0 | 15 | 公傷制度適用 |
平成13年5月 | 東大関 | 12 | 3 | 0 | 角番 |
平成13年7月 | 東大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成13年9月 | 西大関 | 4 | 5 | 6 | - |
平成13年11月 | 西大関 | 0 | 0 | 15 | 公傷制度適用 |
平成14年1月 | 東大関 | 13 | 2 | 0 | 角番 |
平成14年3月 | 西大関 | 7 | 8 | 0 | - |
平成14年5月 | 西大関 | 11 | 4 | 0 | 角番 |
平成14年7月 | 西大関 | 14 | 1 | 0 | 優勝(2) |
平成14年9月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成14年11月 | 西大関 | 6 | 3 | 6 | - |
平成15年1月 | 西大関 | 0 | 0 | 15 | 公傷制度適用 |
平成15年3月 | 東大関 | 12 | 3 | 0 | 優勝(3)、角番 |
平成15年5月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成15年7月 | 西大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成15年9月 | 西大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成15年11月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成16年1月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成16年3月 | 東大関 | 13 | 2 | 0 | - |
平成16年5月 | 東大関 | 9 | 6 | 0 | - |
平成16年7月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成16年9月 | 西大関 | 8 | 7 | 0 | - |
平成16年11月 | 西大関 | 7 | 8 | 0 | - |
平成17年1月 | 西大関 | 8 | 7 | 0 | 角番 |
平成17年3月 | 東大関 | 6 | 9 | 0 | - |
平成17年5月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | 角番 |
平成17年7月 | 西大関 | 3 | 6 | 6 | - |
平成17年9月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | 角番 |
平成17年11月 | 西大関 | 11 | 4 | 0 | - |
平成18年1月 | 東大関 | 4 | 4 | 7 | - |
平成18年3月 | 東大関 | 9 | 6 | 0 | 角番 |
平成18年5月 | 東大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成18年7月 | 西大関 | 9 | 6 | 0 | - |
平成18年9月 | 西大関 | 10 | 5 | 0 | - |
平成18年11月 | 東大関 | 9 | 6 | 0 | - |
通算 | 472 | 268 | 100 | - |
[編集] エピソード
- 千代大海の四股名は母が考えた。
- 旧近鉄バファローズファンである。
- タレントの川村ひかると交際していたが破局した。
- 東京都渋谷区にあるちゃんこ料理店「Chez Taikai(シェ・タイカイ)」をプロデュースしている。また、同じ敷地内にあるスポーツバー「BIGSEA45」を片山晋呉と共同でプロデュースしている。
- 1999年1月場所での初優勝のとき、当時まだ面識のない黒木瞳から花束が贈られたが、千代大海本人は誰かのいたずらだと思ったという。のちにメールを交換しあう友人関係となった。
- 中学生時代に年齢を偽り空手の大会の20歳以上の部に出場し、初戦で前回優勝者と対戦したが顔面を拳で攻撃してしまい反則負けとなった。
[編集] 主な成績
2006年11月場所終了現在
- 通算成績:646勝394敗100休(85場所)
- 幕内成績:472勝268敗100休
- 幕内在位:56場所
- 大関在位:47場所(歴代2位)
- 三役在位:5場所(関脇4場所、小結1場所)
[編集] 対戦成績
- 朝青龍:6勝21敗
- 2005年以降は全く相手にしない朝青龍の圧勝ぶりであったが、2006年9月場所物言いがつきながらも久々に勝って連敗を8で止めた。
- 魁皇:14勝25敗
- 2005年9月場所まで15連敗中だったが、11月場所13日目に久しぶりに勝ち、連敗を15で止め、翌年3、5月場所も勝って15連敗の後の3連勝となったが、7月場所は破れた。
[編集] 各段優勝
- 幕内最高優勝:3回
- 十両優勝:2回
- 三段目優勝:1回
- 序ノ口優勝:1回
[編集] 三賞・金星
- 三賞:5回
- 殊勲賞:1回(1999年1月場所)
- 敢闘賞:1回(1999年1月場所)
- 技能賞:3回(1998年3月場所、1998年7月場所、1998年9月場所)
- 金星:1個(貴乃花)