前乃森康夫
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前乃森康夫(まえのしん やすお、1961年4月17日 - )は、福岡県飯塚市(旧・嘉穂郡筑穂町)出身で高田川部屋所属の元大相撲力士。本名は沢辺康夫(さわべ やすお)。最高位は小結。引退後、年寄・山響を襲名するが、1997年に失踪。それが原因で日本相撲協会から解雇された。
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[編集] 来歴
高田川親方(元大関・前の山太郎)が育てた初の十両、幕内、三役力士。力士からタレントに転向した龍虎を思わせるハンサム力士であった。父親は同時代に活躍した同じ筑豊地区の益荒雄広生の父親と同じく西鉄バスの運転手である。1977年3月初土俵、同期生に幕内恵那桜徹や幕内佐賀昇博らがいる。
1985年11月、ご当所の九州場所で新入幕。いったん十両に陥落するが、1987年7月場所、幕内で11勝4敗の好成績をあげ三賞(敢闘賞)候補にあがったものの、最終的にその敢闘賞は同成績の大ベテラン出羽の花義貴が受賞し、生涯唯一の三賞受賞チャンスを逃がしたものの、翌場所には小結に昇進した。小結では4勝11敗と振るわなかったが、この場所に自身の対横綱・大関戦唯一の勝利を大関大乃国康からあげている。尚、大乃国はこの場所を13勝2敗で終え、場所後には横綱へ昇進しているので価値のある勝利であった。結局三役はこの場所のみであり、後は幕内も持たずに十両へ再び陥落して引退。幕内経験は僅か10場所であった。だが、肥後ノ海直哉のように幕内を50場所以上勤めても三役昇進を果たせなかった力士がいる中で、僅か10場所の幕内経験の中で三役経験があるのはラッキーであった。
[編集] 改名歴
- 前の海(まえのうみ) 1977年3月場所-1981年5月場所
- 沢辺(さわべ) 1981年7月場所
- 前乃臻(まえのしん) 1981年9月場所-1988年9月場所(この名前で最高位の小結に昇進した)
- 前乃森(まえのしん) 1988年11月場所-1990年3月場所(この名前での幕内在位はない)
[編集] 珍記録
前乃森は幕内経験の少ない三役力士だが、これは戦後2番目の記録である。
尚、いずれの力士も三役経験は小結一場所のみであるが、僅か7場所の幕内生活において三賞を2回受賞し、金星も1個獲得している沢光は特筆に価する。