出羽の花義貴
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出羽の花 義貴(でわのはな よしたか、1951年5月13日 -)は青森県北津軽郡中泊町(旧中里町)出身で出羽海部屋所属の元大相撲力士。本名は野村双一(のむら そういち)。現在は年寄・出来山。最高位は関脇。得意技は右四つ、寄り、出し投げ、小股掬い。
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[編集] 来歴
青森県立五所川原農林高等学校卒業後、日本大学に進学しそこで学生横綱を獲得。昭和49年3月幕下付出で角界入り。初土俵を負け越したりと決して順調とはいえなかったが、昭和52年11月、念願の入幕を果たす。しかし、真面目な性格は災いし、角界の水に慣れるのに時間が掛かったが、ジックリと地力を付け、昭和57年以降上位に定着。平幕で10勝、小結で10勝、関脇で9勝、11勝と別人の様な活躍を見せ3賞の常連となり、大関の声の掛かった力士である。その後も長く幕内上位で活躍を見せ、“鉄の爪”と呼ばれた怪力を利し、前褌を引いての寄り、出し投げなどを得意とする技巧派として巨砲と並んで“実力者”と呼ばれた。若島津・隆の里ととは互角に戦い、若島津には戦績で勝ち越した。また小股掬いの妙技も時折見せた。最晩年まで力は衰えず、引退4場所前の1987年7月場所には11勝4敗で当時新鋭だった同成績の前乃森康夫を押さえ36歳2カ月で10回目の三賞(敢闘賞)を受賞、翌場所には36歳4カ月での三役復帰(小結)を果たしている。酒豪としても知られる。
[編集] 主な成績
- 通算成績:572勝586敗6休
- 幕内成績:441勝483敗6休
[編集] 三賞・金星
[編集] エピソード
同期には拓殖大学から幕下付けだしの舛田山(現:千賀ノ浦)がいる。 中尾彬・池波志乃夫妻とは親交がある。 全盛時は握力が100近くあったと言われ、人間ジューサーの異名を取った。 非常に誠実な人柄で、若い力士から人望があった。また、日大の後輩に当たる小林(後の両国)の入門のきっかけは、出羽の花からの電話によってであるという。