八雲飛行場
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八雲飛行場(やくもひこうじょう)は、北海道八雲町にある航空自衛隊八雲分屯基地にある飛行場である。実力部隊はおらず、高射部隊等が駐留しており、地対空誘導弾ペトリオットを運用している。有事の際は、代替滑走路として使用される。「室蘭八雲飛行場」と称されることもある。
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[編集] 飛行場データ
- 位置:北海道二海郡八雲町緑町34(北緯42度14分36秒、東経140度16分11秒)
- 4レターコード:RJCY
- 滑走路:1,800mx45m(12/30)
- 管理者:防衛庁
- 航空自衛隊配備部隊
- 第6高射群第20高射隊:地対空誘導弾ペトリオットの運用
- 第6高射群第23高射隊:地対空誘導弾ペトリオットの運用
- 北部航空警戒管制団第5移動警戒隊
[編集] 沿革
- 1944年(昭和19年) - 日本陸軍航空隊飛行場として、5か月の突貫工事で開港。
- 1945年(昭和20年) - 米軍の空襲を受け、使用不能になる
- 1948年 (昭和23年) - 進駐軍の指示により、飛行場を爆破。農地として払い下げられ、放置される
- 1950年(昭和25年) - 朝鮮戦争の激化のため、米軍に接収され、新しく1,800mの滑走路と給油施設を備えた飛行場が建設される
- 1958年(昭和33年) - 米軍から航空自衛隊に返還され、第2航空団の管理下に置かれる。その際に、給油施設は撤去され、払い下げられる。
- 1977年(昭和52年) - 航空自衛隊高射部隊が配備される
[編集] 補足
- 陸軍八雲飛行場の開港と同時に設置された陸軍病院は、戦後、規模を拡げて国立札幌病院八雲分院となり、その後国立療養所八雲病院になった。現在は国立病院機構八雲病院として存続しており、地域医療に多大な貢献をしている。とりわけ神経筋疾患については道内随一の医療拠点である。
- 1995年に函館空港で発生した全日空857便ハイジャック事件において、警視庁特殊急襲部隊を極秘裏に羽田空港から八雲飛行場へ自衛隊輸送機で移動させたといわれている。