住宅金融専門会社
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住宅金融専門会社(じゅうたくきんゆうせんもんがいしゃ)は本来、個人向けの住宅ローンを主に取り扱う貸金業、ノンバンクの一業態である。住専(じゅうせん)と略される。
目次 |
[編集] 特定住宅金融専門会社
- 破綻した7社
- 日本住宅金融
- ローンサービス
- 日本ハウジングローン
- 第一住宅金融
- 住総
- 地銀生保住宅ローン
- 総合住金
- 現存する1社
また、協同住宅ローンはこれらと同じ業態であったが、早々に事業性の不動産関連融資から撤退したことから破綻を免れ、現存している。
[編集] 設立
1970年代に住宅資金需要が旺盛になったものの、銀行は個人向けのローンのノウハウが乏しく、また重厚長大産業向け融資をメインとしていた。このため、大蔵省主導で、銀行等の金融機関が共同出資して設立された金融会社で、住宅金融を専門に取り扱うことから、住専と呼ばれる。設立当初に、資金を拠出し、また役員等を派遣した大手銀行を「母体行」と言い、後に融資量異常の責任を追及されることになる。
住専の事業の構造としては、金融機関から資金を調達して、個人・事業者に融資を行うというものである。また、店舗網を持たないことから、母体行等からの紹介案件を中心とした。また、代表者には大蔵省から天下った。
[編集] 不動産業への傾注
1980年代に入り、大企業の間接金融離れが広がり、銀行が直接個人向け住宅ローン市場に力を入れ始め、住専の市場を侵食し始めた。中には、銀行が紹介した取引先を肩代わりする(住専にとっては繰り上げ償還)ことすらあった。 また、大手信販会社もローンに注力し始めた。このため、住専は融資先を求めて事業所向けの不動産事業へのめりこんでいった。銀行も不動産案件を紹介した。世はバブル景気であり、地価高騰により、住専の融資量は一気に膨らんで行った。
[編集] 特定住宅金融専門会社の破綻問題
バブルは崩壊、地価が下落、不動産業者への担保価値の目減りは大きく、土地は売るに売れない状況となり、融資先は元金返済どころか金利の支払いすら滞る事態となった。融資は固定化、塩漬けとなり、不良債権化していった。結果的に1社を除き破綻した。
破綻した住専には農林系金融機関(農林中央金庫、各県の信用農業組合連合会(信連)、農業共済組合連合会)を中心とした金融機関が貸し込んでおり、これらが貸しだおれ、処理が遅れる事による金融システムの破綻を避けることを目的に特定住宅金融専門会社の債権債務の処理の促進等に関する特別措置法(住専法)が作られた。この法律に云う特定住宅金融専門会社とは破綻した住専の事である。この法律によりこれらの住宅金融専門会社から債権の買い取りおよびその債権の回収を行う住宅金融債権管理機構(住管機構)が設立された。本来は、特定住専に乱脈融資を行った金融機関が貸し手責任を負うべき物で、実際に破綻処理では多くの部分について債権放棄に応じたが、それでも住管機構に対し預金保険機構の子会社として公的資金が投入されることになったため多くの批判があった。
なお、破綻した特定住専は清算され、経営者および親会社である金融機関は民事および刑事で、住管機構及びその後身である整理回収機構によって経営責任や融資紹介責任を追及されている。
[編集] 新しい業態の住宅金融専門会社
住宅金融は資金力の弱い個人が多額の資金を長期に渡って利用するため、金融機関側に於いてはリスクが高く、純粋に民間では十分に行うことが困難であるため、各国で政策的な支援が行われている。
アメリカに於いては、住宅金融専門の公的な融資保険がある他、モーゲージバンクという形態の金融機関があり、モーゲージバンクは回収業務等を行う一方、引き受けた住宅ローンを政府系金融機関である、政府抵当金庫(ジーマ)、連邦住宅金融抵当金庫(ファニーメイ)や連邦住宅抵当公社(フレディマック)といった政府系金融機関に一部を引き受けさせ、これらの政府系金融機関もしくは自分自身で社債や抵当証券を発行し、流動化を計っている。
日本に於いてはその役割を住宅金融公庫による直接融資が担っていたが、この形態は民業を圧迫すると言う批判があり、行政改革推進にあたって、直接融資は民間セクタに移行させることになり、役割はアメリカのモデルに似た方法で証券化し、最大35年の長期間固定金利の住宅ローンを提供することとなった。これを証券化支援事業と言い、フラット35という愛称が付けられている。
その引き受け先として、従来住宅ローンを提供していた会社のラインナップとして加わることとともに、直接金融に強い金融グループや、住宅の評価などのノウハウを持つ住宅メーカを母体とした住宅ローン専門会社が参入しつつある。