会津西街道
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会津西街道(あいづにしかいどう)は江戸時代に会津藩主・保科正之によって整備された街道。
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[編集] 概要
経路は福島県会津若松市から栃木県日光市今市(旧今市市)までの全長130kmに及び、現在の国道121号に沿っている。別名・南山通り、あるいは下野街道とも称されていた。江戸時代には会津藩の参勤交代や会津と江戸を結ぶ物流の道として重要な街道であった。現在、街道筋にある大内宿には往事の町並みや建造物が残されており、また、永玉峠(福島県下郷町・会津美里町)から大内宿を経て国道121号に至る経路には石畳などの旧街道の跡が残されており、このうち大内宿を中心とした約10kmは「旧下野街道」の名称で国史跡に指定されている。
[編集] 宿場
若松城下 - ? - 大内宿 - ? - 今市宿
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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