三好之長
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三好 之長(みよし ゆきなが、長禄2(1458年)-永正18(1520年))は、日本の戦国時代の武将で、室町幕府の管領を代々務めた名族細川氏の家臣。父は三好長之で三好長秀は子。三好元長の祖父で三好長慶の曽祖父にあたる。
三好氏は信濃の小笠原氏の一族。 細川氏の家臣として権勢を振るった人物で、応仁の乱で初陣を飾り、以来、数多くの戦いに参加している。 細川氏の全盛期を築いた細川政元の死後は養子の細川澄元に従い同じく政元の養子であった細川澄之を打倒するが、政元のもう一人の養子である細川高国との権力争いに敗れ、阿波に逃亡することを余儀なくされている。のちに勢力を回復した之長は、一揆によって生じた洛中の混乱に乗じて高国を追放し、一時、京の制圧に成功したが、体制を立て直した高国の反撃に遭い、防戦したものの多勢に無勢のため敗れ、捕らえられ処刑された。肥満してたため逃げ切れず捕らえられたという。