ロックオブジブラルタル
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(2005年10月、オーストラリア) |
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性別 | 牡 |
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毛色 | 鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1999年3月8日 |
死没 | (現役種牡馬) |
父 | デインヒル |
母 | オフショアブーム |
生産 | ジョー・クロウリー エイダン・オブライエン アン・マリー・オブライエン |
生国 | アイルランド |
馬主 | サー・アレックス・ファガーソン スー・マグナー |
調教師 | エイダン・オブライエン |
競走成績 | 13戦10勝 |
獲得賞金 | 1,269,804ポンド |
ロックオブジブラルタル(Rock of Gibraltar)は、アイルランドの競走馬。アイルランドのクールモアスタッドで生まれた。2000ギニーを初めとしたマイル戦線で活躍し、2002年にはG17連勝の世界記録を樹立した。
名前の由来は「ジブラルタル海峡の岩」から、「ザ・ロック」の愛称でヨーロッパでは呼ばれている。
目次 |
[編集] 戦績
馬主は世界を代表するオーナーブリーダー「クールモアグループ」の総帥ジョン・マグナーとイギリスサッカー「FAプレミアリーグ」のマンチェスター・ユナイテッドの監督サー・アレックス・ファーガソンの2名が共同で馬主をしており、ヨーロッパを代表する調教師でアイルランドのバリードイルを本拠地とするエイダン・オブライエン厩舎の管理馬である。
[編集] 2歳時
ロックオブジブラルタルは2001年4月21日アイルランドカラ競馬場のメイドン(芝5f)でデビューし、デビュー戦を勝利を飾る。続く2戦目は同年6月19日イギリスアスコット競馬場の重賞競走、コヴェントリーステークス(芝6f・G3)に出走するも20頭立ての6着と敗れてしまうが、これがロックオブジブラルタルの最後の大敗となる。3戦目はデビューした同年7月1日カラー競馬場のレイルウェイステークス(芝6f・G3)に出走し、同じオブライエン厩舎で後にグループ1を3勝する事になるホークウイング (Hawk Wing)に2馬身差で勝利し重賞初制覇し、続く4戦目同年8月22日のイギリスヨーク競馬場のジムクラシックステークス(芝6f・G2)も難無く勝利を飾った。5戦目のシャンペンステークス(芝7f・G2)はクールモアのライバルでもあるアラブ首長国連邦の国防大臣でドバイを本拠地とするゴドルフィンの総帥シェイク・モハメドが個人所有する同氏の期待馬ドバイディスティネーション (Dubai Destination)が参戦してきており、密かに世界中の競馬関係者から注目を浴びていた。レースは先行するドバイディスティネーションを後ろから進むロックオブジブラルタルが追い上げるも交わす事ができず2着に敗れ、2002年のクラシック戦線での評価を落としてしまった。
しかしロックオブジブラルタルはここで終わらず、同年10月17日フランスロンシャン競馬場のロンシャンウィークエンドで行われるフランス2歳最強馬決定戦グランクリテリウム(芝1400m・G1)と同年10月20日イギリスのニューマーケット競馬場のイギリス2歳最強馬決定戦デューハーストステークス(芝7f・G1)の2カ国の2歳最強馬決定戦を制し、7戦5勝(重賞4勝・G1を2勝)で2001年のシーズンを終える。
[編集] 3歳時
2002年シーズンに入り、復帰初戦はいきなり同年5月4日のイギリスクラシック第1戦である2000ギニー(芝1マイル・G1)に参戦する。同レースには昨年のレイルウェイステークスで負かし、その後アイルランドのナショナルステークス(芝7f・G1)などを勝利したホークウイングが断然な評価を得ていたが、ロックオブジブラルタルは昨年のデューハーストステークス以来、7ヶ月ぶりの出走が懸念されて評価を落としていた。だがレースは先行したホークウイングをゴール手前でロックオブジブラルタルが交わして、クビ差で勝利を飾り世界中から注目を浴びる様になった。
2000ギニーを制したロックオブジブラルタルは次走エプソムダービーへ進むか、そのままマイル路線を進むか注目されていたがエイダン・オブライエンは、同厩舎のホークウイングをエプソムダービーへ向かわせ、ロックオブジブラルタルはマイル路線を進める判断を下し、次走は同年5月25日地元アイルランドのカラ競馬場のアイリッシュ2000ギニー(芝1マイル・G1)に決まった。同レースはロックオブジブラルタルに恐れをなして出走馬が軒並み回避してしまい僅か7頭立ての競走となり、難無くこれを勝利に収めて1992年のロドリゴデトリアーノ (Rodrigo de Triano)以来、10年ぶり史上4頭目のイギリス&アイルランド2000ギニー2ヶ国制覇を成し遂げた。
難無く2ヶ国2000ギニーを制覇したロックオブジブラルタルは、同年6月18日イギリスアスコット競馬場のロイヤルアスコット開催で行われるヨーロッパ3歳マイル最強馬決定戦であるセントジェームズパレスステークス(芝1マイル・G1)へ参戦する。同レースでもロックオブジブラルタルは圧倒的な評価を得て、フランスロンシャン競馬場のプール・デッセ・デ・プーラン(芝1600m・G1)を勝利した同じエイダン・オブライエン厩舎のランドシーア (Landseer)に大きく水を開け、レースでもランドシーアに1馬身4分の3差で勝利をし1969年のライトタック (Right Tack)以来、33年ぶりの英愛2000ギニー&セントジェームズパレスステークス制覇を成し遂げると共にG1競走5連勝をマークし、かのミルリーフ (Mill Reef)が1971年から1972年の2年間掛けてに成し遂げた世界G1連勝記録の6連勝に王手を掛けた。
ロックオブジブラルタルのヨーロッパG1連勝記録タイになる舞台をエイダン・オブライエンは、同年7月31日イギリスグッドウッド競馬場のグローリアスグッドウッド開催2日目に行われる上半期のヨーロッパマイル最強馬決定戦であるサセックスステークス(芝1マイル・G1)を選んだ。同レースはプレエントリーの時点で10頭の登録馬があったが内6頭はエイダン・オブライエン厩舎の管理馬だった為、最終的に出走馬は5頭となってしまったが、これもロックオブジブラルタルを恐れを成した他陣営の結果でもあった。結局、レースはロックオブジブラルタルにとっては初の古馬との戦いであったが、昨年の同レースの優勝馬ノヴェール (Noverre)に2馬身差で勝利を飾り、難無く世界G1連勝記録タイの6連勝に並び、次走に同年8月20日イギリスヨーク競馬場のインターナショナルステークス(芝10f88y・G1)などへの出走プランもあったが、結局に休養に入った。
休養から戻ったロックオブジブラルタルは復帰初戦に同年9月7日アイルランドレパーズタウン競馬場のアイリッシュチャンピオンステークス(芝10f・G1)か翌日のフランスロンシャン競馬場のムーラン・ド・ロンシャン賞(芝1600m・G1)の2レースを標準に調整されたが、結局ムーラン・ド・ロンシャン賞へ向かう事が決まった。同レースでは昨年G1レースを2勝2着2回の好成績を挙げヨーロッパ「カルティエ賞最優秀3歳牝馬」&アメリカ「エクリプス賞最優秀芝牝馬」に選出された、今年のフランスジャック・ル・マロワ賞の優勝馬バンクスヒル (Banks Hill)、今年のアイリッシュ1000ギニーの優勝馬ゴッサマー (Gossamer)、日本の武豊騎乗のプラウドウイングス (Proudwings)などが出走していたが、レースは先行したバンクスヒルをロックオブジブラルタルが追い上げて交わし、2分の1馬身差で勝利を飾り世界G1連勝新記録の7連勝をマークしヨーロッパのマイル路線で敵無しとなった。
もはやヨーロッパのマイル路線で敵無しとなったロックオブジブラルタルは、次走に同年9月28日イギリスアスコット競馬場のクイーンエリザベス2世ステークスを予定にするがエイダン・オブライエンは最終的に同レースの回避を決め、同年10月26日アメリカアーリントンパーク競馬場の世界の競馬の祭典であるブリーダーズカップ・ワールド・サラブレッド・チャンピオンシップのブリーダーズカップクラシック(ダート10f・グレード1)とブリーダーズカップマイル(芝1マイル・グレード1)の2レースに標準を絞り、結局ブリーダーズカップクラシックは回避し、ブリーダーズカップマイルへの出走を決断した。
ブリーダーズカップマイルにはカナダのアットマイルステークス(芝1マイル・グレード1)の優勝馬グッドジャーニー (Good Journey)、アメリカの芝の大レースであるアーリントンミリオン(芝10f・G1)を含む今年G1レースを3勝を挙げたビートホロー (Beat Hollow)、アメリカキーランド競馬場のターフマイルステークス(芝1マイル・G1)を優勝した同厩舎のランドシーア (Landseer)、今期一度も連対(6戦1勝2着5回)を外していないシルバーコレクターのアルデバラン (Aldebaran)などが出走していた。
レースはスタートでロックオブジラルタルが出遅れてしまい最後方から進むのを余儀なくされてしまう。そして勝負所に差し掛かると今度は行く手を阻まれて、大外を回されて最後の直線に入る。最後の直線に入ると、とてつもないロケットの様な加速(鞍上のマイケル・キネーン騎手談)で先頭を走るドームドライヴァー (Domedriver)に迫るが交わす事無く2着に敗れてしまい、全世界の競馬ファンの期待に応える事はできなかった。ロックオブジブラルタルは結局ブリーダーズカップマイルで2着に敗れたが、その強さを改めて見せ付けたレースであったと付け加えて置く。
ロックオブジブラルタルはその後、日本のマイルチャンピオンシップや香港の香港マイルに参戦すると期待されていたが、同年11月に馬主のジョン・マグナーとサー・アレックス・ファガーソン、管理調教師のエイダン・オブライエンから現役引退を発表され競走馬生活に幕を下ろし、その活躍から2002年のヨーロッパ「カルティエ賞」の年度代表馬・最優秀3歳牡馬に選出され、アイルランドのクールモアスタッドで種牡馬入りを果たし2003年5月にオーストラリアニューサウスウェールズ州のクールモアスタッド分場に移され、さらに2007年からは、シャトル種牡馬として日本での供用も決まった。亡くなった父デインヒルの後継馬として大いに期待されている。
[編集] 競走成績
年月日 | レース名 | 格 | 着順 | 距離 | タイム | 着差 | 騎手 |
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2001年4月21日 | メイドン | 1着 | 芝5f | 1.07.5 | 2馬身 | M.キネーン | |
6月19日 | コヴェントリーステークス | G3 | 6着 | 芝6f | - | - | M.キネーン |
7月1日 | レイルウェイステークス | G3 | 1着 | 芝6f | 1.14.4 | 2馬身 | M.キネーン |
8月22日 | ジムクラックステークス | G2 | 1着 | 芝6f | 1.11.23 | 3馬身 | M.キネーン |
9月14日 | シャンペンステークス | G2 | 2着 | 芝7f | - | 1馬身 | M.キネーン |
10月7日 | グランクリテリウム | G1 | 1着 | 芝1400m | 1.22.9 | 3馬身 | M.キネーン |
10月20日 | デューハーストステークス | G1 | 1着 | 芝7f | 1.28.70 | 短頭 | M.キネーン |
2002年5月4日 | 2000ギニー | G1 | 1着 | 芝8f | 1.36.50 | 短頭 | J.ムルタ |
5月25日 | アイリッシュ2000ギニー | G1 | 1着 | 芝8f | 1.47.3 | 1 1/2馬身 | M.キネーン |
6月18日 | セントジェームズパレスステークス | G1 | 1着 | 芝8f | 1.40.91 | 1 3/4馬身 | M.キネーン |
7月31日 | サセックスステークス | G1 | 1着 | 芝8f | 1.38.29 | 2馬身 | M.キネーン |
9月8日 | ムーラン・ド・ロンシャン賞 | G1 | 1着 | 芝1600m | 1.39.3 | 1/2馬身 | M.キネーン |
10月26日 | ブリーダーズカップマイル | G1 | 2着 | 芝8f | - | 3/4馬身 | M.キネーン |
[編集] 血統表
ロックオブジブラルタルの血統 (Northern Dancer3×3=25% Natalma4.4×4=18.75%) | |||
父
*デインヒル Danehill 1986 鹿毛 |
Danzig 1977 鹿毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
Pas de Nom | Admiral's Voyage | ||
Petitioner | |||
Razy Ana 1981 鹿毛 |
His Majesty | Ribot | |
Flower Bowl | |||
Spring Adieu | Buckpasser | ||
Natalma | |||
母
Offshore Boom 1985 栗毛 |
Be My Guest 1974 栗毛 |
Northern Dancer | Nearctic |
Natalma | |||
What a Treat | Tudor Minstrel | ||
Rare Treat | |||
Push a Button 1980 鹿毛 |
Bold Lad | Bold Ruler | |
Barn Dance | |||
River Lady | Prince John | ||
Nile Lily F-No.10-a |