ロジャー・コーマン
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ロジャー・コーマン(Roger William Corman、1926年4月5日 - )はアメリカ合衆国ミシガン州デトロイト生まれの、低予算映画をもっぱらとする映画プロデューサー、映画監督。「低予算映画の王者」あるいは「大衆映画の法王」などと呼ばれる。
コーマンは使える予算・人的資源・技術的資源の限界に非常にシビアであり、身の丈を超えた映画は絶対に作らない人物である。多くの映画人が図に乗って超大作を手がけ転落することが多い中、今日に至る生き残りぶりは特筆に価する。その自伝『私はいかにハリウッドで100本の映画を作り、しかも10セントも損をしなかったか(How I Made a Hundred Movies in Hollywood and Never Lost a Dime)』は、彼の映画産業でのB級映画制作の体験やサバイバルを描き非常に興味深い資料である。
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[編集] 生い立ち
コーマンはデトロイトに生まれ、高校生の頃ハリウッドに引っ越したことをきっかけに映画に魅了されるようになった。スタンフォード大学で経営工学の学位をとった彼は1953年より映画プロデューサー・脚本家としてのキャリアを開始し、1955年には『ファイブ・ガン/あらくれ五人拳銃』『女囚大脱走』『荒野の待伏せ』(1955) などを監督した。
1971年に「監督として引退」するまで(それ以後も1回だけメガホンを取ったほか、プロデュースは以後もずっと続けている)、彼は1年あたり7本の映画をプロデュースする早撮りぶりであった。最も早く撮った映画はおそらく、たった2日と1晩で撮られたといわれる『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960)であろう。しかし、当の映画の撮影に当たったスタッフなどからはこうした「早撮り伝説」は批判され、コーマンが自分を神話化しようとしているとも言われている。
コーマンは300を超える映画をプロデュースし、そのうち50は自分で監督した。それらの映画は、サミュエル・アーコフ(Samuel Z. Arkof)とジェームズ・ニコルソン(James H. Nicholson)の映画会社「アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ(American International Pictures、AIP)」をつうじて、ドライブイン・シアターへ主に配給された。1970年代は「ニューワールド・ピクチャーズ」を拠点にしていた。1983年にニューワールドを売却し、新たにコンコード・ニュー・ホライズン・ピクチャーズを設立。
海外作品のアメリカでの配給も多く、日本のアニメに早くから目をつけ、1980年代前半には『銀河鉄道999(劇場版)』『風の谷のナウシカ』などを配給したが、吹き替え版製作にあたりキャラクター名やストーリーの徹底的な改変をしたことから評判も悪い。もっともこれは日本のアニメに限ったことではなく、ロシア製SF映画「火を噴く惑星」を若き日のピーター・ボグダノヴィッチ(デレク・トーマス名義)を使って「金星怪獣の襲撃」に編集・改作したり、「日本沈没」をアメリカが日本の危機的状況を救う「Tidal Wave」に作り変えて公開するなど、作家性よりも観客の嗜好に極力迎合するコーマンの一貫したポリシーの一つに過ぎない。
[編集] 作品群
彼の手がけた作品の中で有名なものは、AIPが製作したエドガー・アラン・ポー原作のさまざまな怪奇映画、たとえば『アッシャー家の惨劇(The House of Usher/The Fall of the House of Usher)』(1960)、『恐怖の振子(The Pit and the Pendulum)』(1961)、『姦婦の生き埋葬(Premature Burial)』(1962)、『黒猫の怨霊(Tales of Terror)』(1962)、『忍者と悪女(The Raven)』(1963)、『赤死病の仮面(The Masque of the Red Death)』(1964)、『黒猫の棲む館(The Tomb of Ligeia)』(1964)などである。そのほとんどにヴィンセント・プライスが出演しているほか、チャールズ・ボーモントが脚本で参加している。また、チャールズ・ボーモントの脚本、新人時代のウィリアム・シャトナーが主演した『侵入者(The Intruder)』(1962)は、8万ドルという厳しい低予算ながら、人種隔離や公民権の問題に対して迫ったことで、現在では評価されている。また、この作品は人種問題が強く残る時代に南部で撮影された為、撮影中、地元住民から脅迫・嫌がらせなどの仕打ちを受けた。
その他、『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』(1960)、『X線の眼を持つ男』(1963)、『残酷女刑務所』(1971)、『デス・レース2000年』(1975)など、カルト映画として人気のある映画も製作している。『Last Woman on Earth』(1960年)のようにSF的要素に満ちた映画を多く製作・監督している。
特にポール・ブレイズデルがクリーチャーを担当した『金星人地球を征服』『原子怪獣と裸女』『百万の眼を持つ刺客』『海獣の霊を呼ぶ女』『暗闇の悪魔』などは現在も人気が高く、バート・I・ゴードン監督の『戦慄!プルトニウム人間』『巨人獣』『吸血原子蜘蛛』などの巨大生物ものは、当時まだ顕在化していなかったアトミック・ソルジャーの存在を予見していたと評価する向きもあり、今なお高い人気を誇っている。
もっとも1990年代以降、彼のお家芸であったゴシック・ホラーやB級アクション映画、B級SF映画、B級怪物映画をハリウッドが大金を投じて製作するようになり、彼はその便乗映画(『ジュラシック・パーク』に便乗した『恐竜カルノザウルス』(1993) 、およびセット等を再利用した『カルノザウルス2』『ジュラシック・アマゾネス』のような映画)を撮ることくらいになるなど、かつて占めていた居場所は喪失しつつある。
[編集] 映画人の発掘
組合に加入しているスタッフや俳優は、低予算映画で使うには賃金や労働条件の面で割に合わないことから、彼は大学の映画学部を出たばかりで就職していない若者や俳優を目指している若者などを頻繁に起用した。これは一方では映画への情熱に燃える若者を次々使い捨てることでもあったが、結果的に、こうした若者たちの映画人としてのキャリアのスタートおよび修練の場ともなった。
かつて彼の元で働いていたスタッフやキャリアを始めた俳優から、ジェームズ・キャメロン、ジョン・セイルズ、ジョン・ミリアス、ピーター・ボグダノヴィッチ、ジョナサン・デミ、デニス・ホッパー、ジャック・ニコルソン、ピーター・フォンダ、ロバート・デニーロ、マーティン・スコセッシ、フランシス・フォード・コッポラ、ロン・ハワード、ガス・ヴァン・サントら、ハリウッドでその後活躍した多くの映画監督や俳優たちが輩出されたことは大変有名である。一方、フレッド・オーレン・レイやジム・ウィノースキーなど、あまりぱっとしないB級映画専門の監督たちも彼の下で働いていた。またフィリピンやペルー、カナダなどのプロデューサーにロケ地選定から映画制作まで丸投げする手法も用いている。
もっとも1990年代以降、俳優志望や監督志望の若者はハリウッドやテレビ業界が積極的に抜擢するようになったこともあり、コーマンのスタッフからはあまりスターが出ないようになった。
こうした多くの貢献やカルト的人気から、彼は『スクリーム3』(2000)や『ビバリーヒルズ青春白書』などにも呼ばれゲスト出演している。またロサンゼルス批評家協会賞(生涯功労賞)を受賞している。