ラファエル・クーベリック
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ラファエル・イェロニーム・クーベリック(Rafael Jeroným Kubelík, 1914年6月29日 ボヘミア - 1996年8月11日 スイス・ルツェルン)は、チェコの指揮者、作曲家。
世界的ヴァイオリニスト、ヤン・クーベリック(Jan Kubelík 1880-1940))の長男としてチェコのビーホリーに生まれた。
フルトヴェングラーの指揮に感銘を受け、指揮者を志す。プラハ音楽院でヴァイオリン、作曲、指揮を学び、1934年に卒業すると、同年チェコ・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してデビュー。1936年にはチェコフィルの指揮者に就任。1942年には首席指揮者になるも、1948年にチェコで社会主義クーデターが発生。チェコの共産化に反対したクーベリックは同年のエディンバラ音楽祭への参加のため渡英するとそのままイギリスへと亡命した。1950年から1958年までシカゴ交響楽団、コヴェント・ガーデン王立歌劇場音楽監督を歴任。1961年には手兵となるバイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任。1979年までその任をつとめる。1973年にはスイス国籍を取得。1986年に持病の関節炎、痛風の悪化、また作曲に専念するために引退した。
しかし、1989年のチェコが民主化を契機に翌年の「プラハの春」でチェコフィルを指揮しスメタナの『我が祖国』の歴史的名演を行ない復活する。チェコフィルより終身名誉指揮者の称号を貰う。翌年の秋にはドヴォルザーク交響曲第9番『新世界より』を指揮し、来日公演も行なった。
20世紀最高クラスの指揮者で、故郷チェコの音楽のほか、ドイツ・オーストリア系音楽を得意とし、主な録音には、モーツァルト後期6大交響曲、ベートーヴェン交響曲全集、シューマン交響曲全集、ブラームス交響曲全集、マーラー交響曲全集、ドヴォルザーク交響曲全集、ブルックナー第3番、第4番、スメタナ『我が祖国』等がある。
近年になって、バイエルン時代のライヴ録音が次々にCD化され、スタジオ録音とは違う、熱気に満ちた演奏が再評価されている。
先代: ヴァーツラフ・ターリヒ |
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者 1942–1948 |
次代: カレル・アンチェル |
先代: アルトゥール・ロジンスキ |
シカゴ交響楽団音楽監督 1950–1953 |
次代: フリッツ・ライナー |
先代: カール・ランクル |
王立歌劇場音楽監督 1955–1958 |
次代: ゲオルグ・ショルティ |
先代: オイゲン・ヨッフム |
バイエルン放送交響楽団首席指揮者 1961–1979 |
次代: コリン・デイヴィス |