ヤノベケンジ
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ヤノベケンジ(本名:矢延憲司)は、1965年大阪府生まれの現代美術作家。
大阪府立春日丘高等学校を経て、1989年京都市立芸術大学美術学部彫刻専攻卒業。英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アートに短期留学。1991年京都市立芸術大学大学院美術研究科修了。
1994年から3年間ベルリンに活動拠点を置く。
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[編集] ヤノベケンジについて
ヤノベケンジは当初、自分自身の「子供時代の記憶や関心」に基づいて、現代社会と終末の未来を生き抜くためのサバイバル・マシーンである機械彫刻群を、妄想の力によって制作してきた。
その根底にある体験は、自宅近くにあった大阪万博の会場跡地で遊んだことだという。6歳で茨木市に引っ越してきたときはすでに万博は終了後で、跡地は再利用の計画がはっきりしないまま取り壊し作業が続いていた。近未来的なパビリオンの残骸や、巨大ロボット・デメが放置されたお祭り広場で遊んだときに「未来の廃墟」を見たが、不思議と悲しくはなく、むしろ何もなくなったこの場所から何でも作り出せる、と胸の高鳴りを覚えたという。
少年時代から特撮(特に、怪獣の造形)に夢中で、怪獣のイラストをかいたり造型をしてはSF雑誌『宇宙船』などに投稿していたという。
[編集] サバイバル、世界の終わりを生き延びる
1990年、京都のアートスペース虹で、鑑賞者が実際に塩水を入れたタンクの中に入って瞑想するための体験型作品『タンキング・マシーン』(現・金沢21世紀美術館所蔵)を発表し、第一回キリンプラザ大阪コンテンポラリーアワード最優秀作品賞を受賞。その後、1992年水戸芸術館での個展「妄想砦のヤノベケンジ」では美術館に住み込み、ユーモラスな形でありながらカタストロフ後の放射能などに汚染された環境で生き抜く機能のあるスーツ、サバイバル用の機械一式、それらを収納して移動する列車などを発表。以後「サバイバル」をテーマに終末的な環境下で使用するための機械彫刻シリーズを続け、1994年以降はベルリンに移住し欧米でも精力的に制作・発表、主に日本のサブカルチャーとの関連でも注目を浴びた。
[編集] リバイバル、世界を再生し未来へと手渡す
阪神・淡路大震災とオウム事件は、妄想だったものが現実となったことでヤノベに転機を与えた。1990年代後半からは史上最後の遊園地計画、「ルナ・プロジェクト」を構想、その一環として「アトムスーツプロジェクト」を開始した。鉄腕アトムにどことなく似た形のガイガーカウンター付き放射能感知服を着用し、チェルノブイリ原発や周辺の放棄された都市の廃墟、大阪万博跡の万博記念公園、砂漠や海岸などを歩き、子供のころに感じた「未来の廃墟」へもう一度戻るための「時間旅行」を試みた。
開催後三十年を経て朽ちてゆく途中の大阪万博の残存物との出会い、チェルノブイリの激しい放射線量、遊園地・保育園・軍用車などの残骸の「現実の廃墟」のすさまじさ、そこでも生きている人々たちとの遭遇などの体験から帰って、以後テーマを「廃墟からの再生(リバイバル)」に転換してゆく。
チェルノブイリの保育園で見た人形と万博後の廃墟で見たロボットをモチーフにした大型ロボット、子供の命令だけで歌い踊り火を吐く巨大な腹話術人形型ロボットなどが制作されている。2003年、大阪万博の美術館だった国立国際美術館で、集大成的展覧会「メガロマニア」を開催。解体されたエキスポタワーから下ろされた朽ちた展望台の一部を使用し、展望台内で生えていた苔を育てるなどの作品を制作した。そして豊田市美術館での個展「KINDERGARTEN」に際し、「1970年の大阪万博を作り自分に未来を見せてくれた大人たちと同世代になった今、自分の作る展覧会を見た子供たちが何十年か未来に『あれがきっかけで人生が変わった』と言ってくれればいい」、と言う。
ヤノベは制作のテーマを「サバイバル(-世界の終わりを延長させること)」から「リバイバル(-未来を作っていくこと)」へと転換させてきた。廃墟を生き延びてきた彼が、この後子供たちにどのような未来を見せようとするのかが今後のテーマと思われる。
[編集] 主な展覧会
- 1990年 個展(アートスペース虹、京都)
- 1990年 キリンプラザ大阪コンテンポラリー・アワード'90受賞作品展 (キリンプラザ大阪)
- 1991年 個展「ヤノベケンジの奇妙な生活」(キリンプラザ大阪)
- 1992年 滞在制作「妄想砦のヤノベケンジ」(水戸芸術館、水戸)
- 1992年 グループ展「Anomaly」伊藤ガビン+中原浩大+村上隆+ヤノベケンジ キュレーション:椹木野衣(レントゲン藝術研究所、東京)
- 1992年 グループ展「アートナウ '92」(兵庫県立近代美術館、神戸)
- 1993年 グループ展「2nd北九州ビエンナーレ クロノスの仮面」(北九州市立美術館、北九州)
- 1994年 グループ展「アートラビリンス」(岡山県立美術館、岡山)
- 1994年 個展(アートスペース虹、京都)
- 1994年 グループ展「Platon Höhle」(カール・エルンスト・オストハウス美術館、ハーゲン、ドイツ)
- 1995年 個展(ギャラリー・エマニュエル・ペロタン、パリ/ ギャラリー・イム・パークハウス、ベルリン)
- 1996年 グループ展「Art embodied」(マルセイユ現代美術館、マルセイユ、フランス)
- 1996年 グループ展「ひかる・うごく・おとがする」(和歌山県立近代美術館、和歌山)
- 1997年 グループ展「Japan today」(Louisiana Museum of Modern Art(ルイジアナ近代美術館)、コペンハーゲン、デンマーク/ Kunstnernes Hus(ハウス・オブ・アーティスト)、オスロ、ノルウェー/ Wäinö Aaltonen Museo(ヴァイノ・アールトネン美術館)、トゥルク、フィンランド/ Liljevalchs Konsthall(リリエバルク美術館)、ストックホルム、スウェーデン/ Österreichisches Museum Für Angewandte Kunst(オーストリア応用美術博物館、ウィーン)
- 1997年 個展「Survival System Train and Other Sculpture by Kenji Yanobe」(センター・フォー・ジ・アーツ・イェルバ・ブエナ・ガーデンズ、サンフランシスコ/ ユニヴァーシティ・アート・ミュージアム、サンタバーバラ、USA/ CAN ヌーシャテル・アート・センター、ヌーシャテル、フランス/ アルス・フュートゥラ、チューリッヒ、スイス)
- 1998年 個展(センター・オン・コンテンポラリー・アート、シアトル)
- 1998年 グループ展「どないやねん!:現代日本の想像力」(フランス国立高等美術学校、パリ)
- 1998年 グループ展「テクノセラピー」(大阪中央公会堂、大阪)
- 1998年 個展「ルナ・プロジェクト - 史上最後の遊園地」(キリンアートスペース原宿、東京/ 三菱地所アルティアム、福岡)
- 1998年 個展「史上最後の映画館」(レントゲンクンストラウム、東京)
- 1998年 個展「ルナ・プロジェクト - アンダー・ザ・ホライゾン」(キリンプラザ大阪)
- 1999年 グループ展「共生する/進化するロボット」(NTTインターコミュニケーションセンター、東京)
- 1999年 グループ展「日本ゼロ年」 キュレーション:椹木野衣(水戸芸術館、水戸)
- 2000年 グループ展「ギフト・オブ・ホープ」(東京都現代美術館、東京)
- 2001年 グループ展「ex- 展」カチョー+ヤノベケンジ(SHISEIDO GALLERY、東京)
- 2002年 グループ展「EXPOSE 2002 夢の彼方へ」磯崎新+ヤノベケンジ(キリンプラザ大阪)
- 2003年 個展「MEGALOMANIA」(国立国際美術館、大阪)
- 2004年 グループ展「六本木クロッシング」(森美術館、東京)
- 2004年 滞在制作「子供都市計画」(金沢21世紀美術館、金沢)
- 2005年 グループ展「リトルボーイ 爆発する日本のサブカルチャー・アート」 キュレーション:村上隆(ジャパン・ソサエティー、ニューヨーク)
- 2005年 個展「KINDERGARTEN キンダガルテン」(豊田市美術館、豊田)
[編集] 作品集
- 2005年 「KENJI YANOBE 1969-2005」