マクシム・ムルヴィツァ
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マクシム・ムルヴィツァ(Maksim Mrvica, 1975年5月3日 ‐ )はクロアチア出身のピアニストである。同国ダルマチア地方の小都市シベニク(Šibenik)の生まれ。通称マキシム(Maksim)で知られている。モデル並の甘いマスクに長身。ピアニストらしからぬファッションで、あだ名は「鍵盤のプリンス」。「クロスオーバー」いう分野の作品を発表していることで知られる。
目次 |
[編集] 来歴
1981年6歳の時にピアノを始める。
1984年9歳で音楽学校に入学し、マリア・セスコの指導でピアノの研鑚を積む。
1987年12歳。初めてオーケストラと共演。
1990年クロアチア紛争勃発。戦火に怯えながら、地下室でピアノの練習を続ける。
その後、ザグレブ音楽院に進学。アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリの弟子ウラジミール・クルバン教授に5年に亘りピアノを学び、翌年にはハンガリーのリスト音楽院に進学。在学中にニコライ・ルービンシュタイン国際ピアノコンクールで優勝する。
2001年ポントワーズ・ピアノコンクール優勝。
2003年EMIと契約を交わしたのち『ピアノプレイヤー』をリリース。このアルバムは、マレーシア、シンガポール、中国でゴールドディスク、台湾とクロアチアではプラチナディスクを、香港ではダブル・プラチナディスクをそれぞれ獲得。HMVインターナショナルでは12週連続1位になる。
2004年アジアツアーを敢行。アルバム『ヴァリエーションズ』リリース。
2005年ユーリー・シモノフが揮るモスクワフィルハーモニー交響楽団とラフマニノフ『ピアノ協奏曲第2番』で共演。正統派クラシックの分野でも実力を見せ付けた。アルバム『ニューワールド』リリース。
2006年アルバム『ELECTRIK』(エレクトリック)をリリース。
[編集] 人物と活動
活動の場はロンドンが主でレコーディングもそこで行っている。ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団との共演が多い。世界各地のツアーを行う一方、母国クロアチアでも定期的にコンサートを開催している。 「10年の間にきみは変わった」と親友に言われて残念であったとインタビューでは語っている。
『ピアノプレイヤー』『ヴァリエーションズ』『ニューワールド』の三枚のアルバムもいずれも「クロスオーバー」に類するものであるが、「クロスオーバーだけのピアニスト」との批判に対して古典を積極的に演奏している。