ブルーエンジェルス
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ブルーエンジェルス(Blue Angels)はアメリカ合衆国海軍所属のアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チームで、現在の本拠地はフロリダ州のペンサコーラ海軍航空隊基地。
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[編集] 歴史
[編集] 創設期
第二次世界大戦終結時に、「大衆の海軍航空兵力への関心を維持しておく事」を意図して、ニミッツ提督の指示で組織された。
それから1年とたたない1946年6月、本拠地であるアメリカ合衆国フロリダ州のジャクソンビル海軍航空隊基地(NAS)で最初のデモンストレーション飛行を行った。 初期飛行時の機体はグラマンF6Fヘルキャットで、先導機はロイ・ブッチ・ボリス少佐だった。
すぐ2ヶ月後の1946年8月25日に、機体はグラマン F8Fベアキャットに移行した。この時初めて、有名な「ダイヤモンド編隊」を披露した。
1949年8月には、機体をブルーエンジェルス初のジェット艦上戦闘機であるF9F-2 パンサーに移行した。
[編集] 1950~1960年代
1950年、朝鮮戦争によって活動を停止。ブルーエンジェルスのメンバーは空母プリンストン(CV-37,USS Princeton)の第191戦闘機隊(VF-191,"Satan's Kitten")の中核として編入された。
次の年、彼らはテキサス州のコーパスクリスティ海軍航空隊基地で再編成され、機体もパンサーの改良版であるF9F-5 パンサーに移行した。 ここに本拠地を置いている間に、パンサーの主翼を後退翼に改良したF9F-8 クーガーに進化している。1954年冬、本拠地を現在のペンサコーラ海軍航空基地に移転するまで、ここを本拠地としている。
続く20年の間に、ブルーエンジェルスは2回の機体の移行を行っている。 グラマンF11F-1 タイガー(1957年)と、マクドネル・ダグラス社のF-4J ファントムII(1969年)である。
[編集] 1974年・部隊再編
1974年12月、海軍デモンストレーション飛行チームはマクドネル・ダグラス社のA-4F スカイホークを運用し始め、そして海軍デモンストレーション飛行部隊に編入された。 この再編では編隊指揮官とは別に部隊指揮官の設置を認め、サポートの士官も加えて、「海軍入隊者募集作業の支援」という戦隊のミッションを再定義した。トニー・レス中佐が、最初の部隊指揮官となった。
[編集] 現在のブルーエンジェルス
1986年11月8日、40周年記念式典の際に、現在の機体であるマクドネル・ダグラスF/A-18 ホーネットを初公開した。ホーネットは現在も前線に投入されている戦闘/攻撃機である。 ブルーエンジェルスは"太ったアルバート”というニックネームのC130-T ハーキュリーズを使用しており、これは輸送支援のほかに、ホーネットの前座も勤めている。
[編集] 過去の観客動員数
ブルーエンジェルスは毎年、アメリカの34箇所で70回以上のショーを行う。 1946年の設立から、2億6000万人以上の人のために飛んだ事になる。
[編集] 名前の由来
ブルーエンジェルスの名前は、1946年に初期のチームがニューヨークに行った時に決まった。 チームのメンバーがニューヨーク・マガジン誌を読んでいて、当時有名だった「ブルーエンジェルス・ナイトクラブ」の名前を見つけたことに由来する。