フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ
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フランツ・クサヴァー・シャルヴェンカ(Franz Xaver Scharwenka、1850年2月6日 - 1924年12月8日)は、ポーランド系のドイツの作曲家・ピアニスト・音楽教師である。兄ルードヴィヒ・フィリップ・シャルヴェンカ(Ludwig Philipp Scharwenka)も作曲家である。
クサヴァー・シャルヴェンカはプロイセンのポーゼン管区ザムター Samter(現在のポーランド・ヴィェルコポルスカ県シャマトゥウィ Szamatuły)に生まれた。 兄のフィリップと幼少の頃より音楽教育を受けた。
1865年、家族と共にベルリンへ移った彼は兄と共にテオドール・クラック音楽院に入学。ピアノをカール・ツェルニー門下のテオドール・クラックに、作曲をフェリックス・メンデルスゾーン門下のリヒャルト・ヴュエルストに師事した。音楽院で才能を開花させたシャルヴェンカは、1868年にクラック音楽院の教授陣に参加。1869年にはベルリン声楽学校でピアニストとしてデビューを果たした。更に同年、彼の自作曲である「ピアノ三重奏曲 作品1」、「ヴァイオリンソナタ 作品2」、「ポーランド舞曲集 作品3」がドイツの楽譜出版社、Breitkopf & Hartelによって出版された。中でも作品3のポーランド舞曲集第1曲「Con foco」は大人気を呼び発行部数は100万を記録したと言う。この成功はシャルヴェンカにとって作曲家としての地位を得る切欠となった。1874年より演奏旅行を開始した。1877年には自作の「ピアノ協奏曲第1番 作品32」を初演。この曲は作曲家のフランツ・リストへ献呈されている。1881年にベルリンに音楽学校を創設し、1891年から1898年にニューヨーク市にシャルヴェンカ音楽学校を監督した。作曲・演奏・教育といった活動に加えて、演奏会のシリーズを企画・実行した(ベートーヴェン、ベルリオーズ、リストらの大作曲家の作品を中心にした)。シャルヴェンカはとりわけ、ショパン作品の解釈と、ピアノの響きの美しさで著名なピアニストであった。
シャルヴェンカの作品はこんにち演奏回数が少なくなり、時折ピアノの小品が取り上げられるくらいになる。しかしCD録音で、ピアノ独奏曲や協奏曲の途方もない難曲が紹介されるようになった。著書「ピアノ奏法」(Methodik des Klavierspiels)は、1907年にライプツィヒで出版された。
作品に、オペラ「Mataswintha」や交響曲、4つのピアノ協奏曲、室内楽、数多くのピアノ曲がある。