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フィリップ6世(Philippe VI de Valois、1293年-1350年8月22日、在位:1328年-1350年)はヴァロア朝初代のフランス王。
シャルル4世が男子を残さず亡くなり、フィリップ4世の直系血統が途絶えたため、フィリップ3世の男系の孫として、諸侯・高僧の会議で選ばれて即位した。すでに12年前、ルイ10世死去の際、フランク人の古法であるサリカ法典を根拠に女系継承を排除していたため、フィリップの即位は意義なく受け容れられた。しかし、それまで同君連合の下にあったナバラ王国では女系継承が認められており、またフィリップ自身はナバラ王家の血をひいていなかったため、ルイ10世の娘ジャンヌが王位を継承した。
1328年、3年前から織布工の市民と農民の反乱に苦しんでいたフランドル伯を援助し、8月23日カッセルで反乱軍に勝利する。翌年、フランス王位候補者の一人だったエドワード3世が、フィリップの王位を認め、ギュイエンヌの所有について臣従の宣誓(オマージュ)をした。ところが1333年、エドワードと対立したスコットランド王デイヴィッド2世がフランスに亡命してきた際、フィリップがこれを歓迎したため、エドワードはこれを侮辱とし、フランス王位要求を再燃させ、1337年に始まる英仏百年戦争を引き起こした。
1340年6月23日、フィリップの艦隊はスライス(Sluys)の海戦でイングランドに敗れる。さらに1346年8月26日、クレシーの戦いでフランス軍は「いとも大いなる、且ついとも恐るべき」と歴史家ジャン・フロアサールに言わしめたほどの敗北を喫した。翌年カレーを占領され、経済は混乱した。塩の専売特権を制定してこれに対処したが、流れを押しとどめることはできなかった。