ヒューゴ・アルヴェーン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
![]() |
クラシック音楽 |
---|
作曲家 |
ア-カ-サ-タ-ナ |
ハ-マ-ヤ-ラ-ワ |
音楽史 |
古代 - 中世 |
ルネサンス - バロック |
古典派 - ロマン派 |
近代 - 現代 |
楽器 |
鍵盤楽器 - 弦楽器 |
木管楽器 - 金管楽器 |
打楽器 - 声楽 |
一覧 |
作曲家 - 曲名 |
指揮者 - 演奏家 |
オーケストラ - 室内楽団 |
音楽理論/用語 |
音楽理論 - 演奏記号 |
演奏形態 |
器楽 - 声楽 |
宗教音楽 |
メタ |
ポータル - プロジェクト |
カテゴリ |
ヒューゴ・アルヴェーン(Hugo Emil Alfvén, 1872年5月1日ストックホルム - 1960年5月8日)はスウェーデンの作曲家・指揮者・ヴァイオリニストおよび画家。
1887年から1891年までストックホルム音楽院に学びながら、ヨハン・リンデグレンJohan Lindegrenの個人指導を受ける。一生の間、指揮者としてヨーロッパで巡演した。スウェーデンの宮廷楽団 Hovkapelletでヴァイオリンを演奏し、 1910年から1939年までウプサラ大学音楽監督director musicesを勤める。また同大学の男声合唱団Orphei Drängarを1947年まで指揮した。ヴィルヘルム・ステーンハンマルとともに、スウェーデンの主要な作曲家の一人として知られる。
デンマーク人の女性画家Marie Triepcke(1867-1940)と1912年に結婚するが、1936年に離婚した。Triepckeは最初の結婚では画家Peder Severin Krøyer(1851-1909)と幸せな生活を過ごしており、アルヴェーンと再婚した折にはMarie Triepcke Krøyer Alfvénと名乗った。
[編集] アルヴェーンの主要作品
アルヴェーンの作品は、かなり伝統的な後期ロマン派音楽の語法を示しており、色彩的なオーケストレーションやしばしば標題的な傾向、また、スウェーデンの風景を呼び覚まそうとする意欲が見出される。あらゆるジャンルに手を染めたステーンハンマルとは対照的に、アルヴェーンは本質的に管弦楽曲の作曲家であった。アルヴェーンの最も有名な作品に数えられるのは、たくさんの男声合唱曲や、5つの交響曲、3つのスウェーデン狂詩曲(とりわけ第1番「夏至の徹夜祭Midsommarvaka」(1903年)などである。また、数々の舞台音楽(劇音楽・バレエ音楽)を作曲した。
5つの交響曲は、作曲家の音楽的な進歩を示している。このうち第1番から第4番までは、現在、数回録音されている。
「第1番 ヘ短調」作品7(1897年)は初期作品で、標準的な4楽章制の、響きの美しい作品である。
(ある種の卒業制作とも評価される)「第2番 ニ長調」作品11(1898年~1899年)は、充実した、力強くさえあるニ短調の「コラール前奏曲とフーガ」によって締め括られる。
「第3番 ホ長調」作品23(1905年)も4楽章の作品で、イタリア旅行に触発されて作曲された。技法的にはより成熟しているものの、手法的にはより軽妙である。
「第4番 ハ短調<外海の岩礁から>」 opus 39(1918年~1919年)――「岩礁の伝説」という交響詩とは関連があるが、別の曲――は、ニールセンの「広がりの交響曲Sinfonia Espansiva」に触発されてヴォカリーズの歌手を用いた、45分の長さをもつ単独楽章の交響曲である。
1942年に着手された「第5番 イ短調」は、アルヴェーンの最後の作品の一つで、1度しか全曲録音されていない。(第5番の演奏・録音はまれであり、通常は15分を要する第1楽章のみがとりあげられる。)
その他の作品では、劇付随音楽「グスタフ3世」の「エレジー(悲歌)」が、スウェーデンの王族の葬送音楽として使用されるほか、「祝典序曲」作品25が時折ノーベル賞授賞式で演奏されることで知られている。
[編集] 外部リンク
- The Hugo Alfvén Society
- MusicWeb article on the Alfvén symphonies (review of the BIS CD set)
カテゴリ: ロマン派の作曲家 | 近現代の作曲家 | スウェーデンの作曲家 | 1872年生 | 1960年没 | クラシック音楽関連のスタブ