ヒトラーユーゲント
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ヒトラーユーゲント(Hitlerjugend,略号:HJ、ヒトラー青年団)は、1926年にナチスによって設立された青年組織。ナチスのイデオロギーをドイツの青少年に教育するために設立された。茶色の開襟シャツが制服。
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[編集] 概要
ヒトラーユーゲントにおいては、集団で肉体鍛練・軍事訓練、愛国教育が行われた。1936年ヒトラーユーゲント法により青少年(女性も10歳~21歳、女子グループは「少女団」と呼ばれた)の参加が義務づけられ1939年には、800万人を擁する集団へと成長した。戦局の悪化とともに1944年に国民突撃隊に併合された。
ヒトラーユーゲントの前身は1922年3月に設立された Jugendbund der NSDAP(JdN) である。JdN の入隊資格は14歳から18歳までの男子で、そのうち14歳から16歳までは Jungmannschaften としてグループ化され、年長になると Jungsturm Adolf Hitler とされた。組織は突撃隊(SA)によって管理され、アドルフ・レンクによって率いられた。
JdNは1923年のミュンヘン一揆でヒトラーが逮捕、収監されると崩壊した。多くの地方青年組織がオーストリアおよびドイツで組織され、レンクおよびクルト・グルーバーの Grossdeutsche Jugendbewegung や Schilljugend といった組織が JdN の空白を埋めるため結成された。1926年にグルーバーの Grossdeutsche Jugendbewegung がヒトラーユーゲント(Hitlerjugend)に改名された。グルーバーは Bund Deutscher Arbeiterjugend の指導者となったが、すぐにフランツ・フォン・プフェーファーと交代した。
1928年にヒトラーユーゲントは10歳から14歳の男子部門、 Deutsche Knabenschaft を結成、1931年には Deutsches Jungvolk in der Hitler-Jugend と改名した。(第二次世界大戦前に日本で使われた「少国民」という言葉はこの「Jungvolk」の訳語である) Schwesternschaft der Hitler-Jugend と呼ばれた14歳から18歳の女子部門は1929年に結成された。それは1930年に Bund Deutscher Mädel (BDM) と改名され、より若い女子部門の Jungmädelgruppe は1931年に付け加えられた。
[編集] 来日
1936年の日独防共協定の締結などに伴う日本とドイツ(後にイタリアも参画)の枢軸関係締結に伴い、1938年にヒトラーユーゲントが来日した。この際には明治神宮と靖国神社などへの参拝や各種歓迎行事が執り行われた他、北原白秋作詞の歓迎歌が作られるなど日本国民を挙げての大歓迎を受けた。
[編集] SS第12装甲師団
12.SS-Panzer-Division Hitlerjugendは、上記のヒトラーユーゲント団員から選抜された兵士(ほとんどが 16、17 歳であった)及びSS第1装甲師団ライプシュタンダルテ・アドルフ・ヒトラーから抽出された士官を中心に編制された武装親衛隊の部隊。士官の数が足りず、国防軍の士官を出向させた他、下級士官は成績優秀なユーゲント兵士から選抜して昇格させた。兵士に支給されるタバコの代わりに未成年兵士にはチョコレートなどが支給された。1943年に装甲擲弾兵師団として新規編制が命令され、間もなく戦車部隊をより強力にした装甲師団に変更されて編成が完了する。連合軍は、同師団を「ベイビー師団」「ミルク師団」と揶揄する宣伝を行ったが、1944年のノルマンディーにおける戦闘でクルト・マイヤー(Kurt Meyer)率いる同師団は二ヵ月近くも勇戦敢闘するのを目の当たりにして臍を噛むこととなった。しかし、奮戦及ばずカーン攻防戦で重装備のほとんどを失い、その後の再編・補充も充分でないままアルデンヌ攻勢に投入される。1945年、東部戦線に転じてハンガリーにおける攻勢作戦(春の目覚め作戦)に参加し壊滅的な打撃を受けた。その後、数少ない残部はオーストリアで終戦を迎えた。
[編集] 文献
- 平井 正(著)『ヒトラー・ユーゲント・青年運動から戦闘組織へ』、中央公論社
- H.W.Koch(著)、根本政信(訳)、『ヒトラー・ユーゲント』、サンケイ新聞出版社、1981年
- Hubert Meyer(著)、向井裕子(訳)、:『ヒトラー・ユーゲント・SS第12装甲師団史』、大日本絵画、1998年、ISBN 4-499-22678-3
- Brenda Ralph Lewis(著)、大山晶(訳)、:『ヒトラー・ユーゲント・第三帝国の若き戦士たち』、原書房、2001年、ISBN 4-562-03464-5
- 皆川博子(著)、小説、『総統の子ら』、集英社、2003年
- 青少年の教育機関
- 山口 定(著)、『ナチ・エリート』、中央公論社、1976年
- ハンス・ペーター・リヒター(著)、上田真而子(訳)、『ぼくたちもそこにいた』、岩波書店、1995年、 ISBN 4001131358
ヒトラー・ユーゲントに所属していた主人公と二人の級友の体験を描く。三部作『あのころはフリードリヒがいた』、『若い兵士のとき』の内の一冊。映画「意思の勝利」に収録された、ナチ党大会の様子が描写されている。 - Mishel Tournier(著)、植田祐次(改訳)、ナポラを題材とした小説、『魔王』、みすず書房、2001年、ISBN 4-622-04809-4
- ヒトラーユーゲントに入らなかった少年たち
- 竹中暉雄(著)、ヒトラーユーゲントに対抗する少年たち、『エーデルヴァイス海賊団・ナチズム下の反抗少年グループ』、勁草書房、1998年
- Alexander Goeb(著)、エーデルヴァイス海賊団の一員のたった16歳の一生、Er war sechzehn, als man ihn erhängte / Das kurze Leben des Widerstandskämpfers Bartholomäus Schink, Rowohlt Taschenbuch Verlag, 2001, ISBN 3-499-23026-7
- 日本にやってきたヒトラーユーゲント
- 中道寿一(著)、ヒトラーユーゲントの来日、『君はヒットラーユーゲントを見たか』、南窓社、1999年
[編集] 映画
- 『ヨーロッパ・ヨーロッパ・僕を愛したふたつの国(原題:EUROPA EUROPA)』:1990年 フランス・ドイツ合作映画。旧ソ連西部に住んでいたユダヤ人青年(容姿は純ゲルマン風)が、侵攻してきたナチスドイツ将校に見込まれて(ユダヤ系・ピオネール団員経歴は伏せ)ドイツ国籍帰化・養子縁組を結んでもらい、ヒトラー・ユーゲントにも入団。ユダヤ教徒の印の割礼を必死に隠したりなど苦労を重ねつつ、皮肉にも成績優秀者として認められていく物語(実話)。
- 『スウィング・キッズ・引き裂かれた青春(原題:SWING KIDS)』:アメリカ映画。ナチス政権下、ハンブルグに住む三人のスウィング・ジャズ好き青年の物語。仲間の内の一人がヒトラー・ユーゲントに入団し、段々、思想的に傾倒して主人公と袂を分かってしまう様などを描く。
- 『サウンド・オブ・ミュージック 』: 映画・ミュージカル・アニメなど様々な形で作品化。ナチスを嫌うオーストリア将校が家長の音楽一家の長女の恋人がヒトラーユーゲントの団員。終盤、スイスへ脱出する一家を目撃し、通報の自粛を懇願する長女を裏切る。
- 『魔王(原題:Orga)』:Mishel Tournier の小説の映画化
[編集] 劇画
- 『ひっとらぁ伯父サン』 - 藤子不二雄Aの作品。ヒットラーそっくりの男が、町内で和製ヒトラーユーゲントをつくる話である。
- アドルフに告ぐ - 手塚治虫の作品。文芸春秋文春ビジュアル文庫全5巻。
- 黒騎士物語 - 小林源文の作品。日本出版社全1巻。終盤で、主人公の将校が一般兵士として徴兵され前線に配置されたヒトラー・ユーゲント少年達を殴りつけ、帰郷を命じる場面が登場する。
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- ドイツの少年・少女たちと「ヒトラー・ユーゲント」~ 誕生から崩壊までの歴史 ~
- 万歳ヒットラー・ユーゲント - 西洋軍歌蒐集館より。1938年(昭和13)のヒトラー・ユーゲント日本訪問に際してつくられた北原白秋作詞の歓迎歌について。