パイオニア戦志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
パイオニア戦志(ぱいおにあせんし)は、かつて存在した日本のプロレス団体である。
[編集] 概要
元国際プロレスの選手だった剛竜馬・高杉正彦・アポロ菅原の三名が、当時参戦していた全日本プロレスとの契約を打ち切られ、行き場が無くなった為に旗揚げする。当初、団体名は無かったが、旗揚げの記者会見が行われた際、取材に来ていた記者達によって、国際プロレスのキャッチフレーズだった『パイオニア精神』にちなんで『パイオニア戦志』と命名される。
旗揚げ戦は1989年4月30日、後楽園ホールにて行われ、当時はまだ現在のように、インディー団体が乱立するような状況では無かった為、物珍しさと、旗揚げ戦をこの目で見ようと駈け付けたプロレスファンで1600人(主催者発表)の観客を集める。
所属選手が三名しかいなかった為、剛と当時フリーだった大仁田厚のシングルマッチをメインに、高杉対菅原をセミファイナルとして、2試合のカードしか組めず、苦肉の策として練習生の公開練習と、一般参加のアームレスリング大会を試合前に行っている(すなわち、記念すべき旗揚げ戦のリングに最初に上がったのは素人、ということになる)。
その後、新日との提携が決まり、藤波辰巳や獣神サンダー・ライガーを招聘するが、メジャー団体の力を見せ付けられる結果となってしまう(この時期、新日にも参戦し、剛&高杉組で長州力・佐々木健介組にフォール勝ちするなどの活躍も見せるが、地味な勝ち方で評価もあまり芳しくなかった)。
同時期に、FMWで大仁田と抗争を行っていた青柳誠司率いる誠心会館の参戦も決まり、青柳や松永光弘との対戦や、ジャパン女子プロレスの試合を招聘するなどしていたが、ブームにはならず、又元々、興行に関しては素人の為、経営に行き詰まり1990年に興行活動を停止し(実際には前年にはほとんど活動は行ってはいなかったが)、後にオリエンタルプロレスとして再出発する。
FMWよりも先に旗揚げし、その点においてはインディー団体の先駆けとなった団体ではあるが、デスマッチ等の奇抜な試合は行わず、正攻法なプロレスにこだわった事と、興行に関しての専門家がいなかった事もあり、FMWのようなブームを起こせなかった。