バダ・ハリ
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バダ・ハリ(Badr Hari 1984年12月8日 - )はオランダ出身のキックボクサー。身長197cm、体重95kg。 ピーター・アーツやレミー・ボンヤスキーを育てたアンドレ・マナートに弟子入りしたが、現在はマイクジムでメルヴィン・マヌーフと共に練習をつんでいる。 入場曲はRick RossのHustlin'
アレクセイ・イグナショフと対戦し、KO負け。 アジス・カトゥーと対戦し、TKO勝ち。
05年の決勝トーナメントのリザーブファイトでK-1復帰戦となるステファン・レコと対戦。見事な後ろ回し蹴りでKO勝ちする。
06年のオークランド大会で優勝候補として出場するもピーター・グラハムに 一瞬の不意をつかれ自身がレコをKOしたように後ろ回し蹴り(ローリングサンダー)をまともに喰らい3RKO負けし、K-1の洗礼を浴びることになった。(またこの時アゴを骨折) この試合前の記者会見では、グラハムに因縁をつけ喧嘩騒動に発展してしまった。K1に限らず、記者会見ではこのような場面は演出の意味合いもあるケースもあるが、グラハムに殴りかかったパンチは明らかにフルスイング、素手で顔面に殴りかかった「本気の乱闘」であった。グラハムはかろうじて回避している。
2006年9月30日の『K-1 WORLD GP 開幕戦』の推奨選手に抜擢、ルスラン・カラエフと対戦。前日会見では居眠りをしたりビヨン・ブレギーのマイクのコードを引っ張ったりとやりたい放題だった。試合ではインローでバランスを崩したところで、カラエフの左右のフックで転倒し10カウント内に立ち上がるもKO負けを宣告される。試合後猛抗議し、暫くリングに留まっていたが結果は覆らなかった。尚、この時の映像を見てみると、カラエフの肘打ちが当たっている様にも見え、更に倒れたハリの蹴りを入れる反則行為を行っているが、レフェリーは止めず、カラエフも「膝がつく前に蹴っていたのだから反則にはならなかった」と話している。
意外と知られていないが、2002年にオランダで行われた修斗の試合で総合格闘技デビューもしている。結果はフロントチョークで一本負け。もっともこの試合は代打出場で、組技に対して全く無知だったとインタビューで発言している。
弱冠21歳にして風俗店経営や逮捕歴があるなど逸話には事欠かない。 アーネスト・ホーストやブランコ・シカティックも絶賛するほどの才能をもつ。 また、喧嘩っぱやさと奇行が先行しているが、恵まれた体格、冷静な試合運び、キレのあるパンチや蹴りは一流といえよう。あとは結果を残せるかどうかである。決勝トーナメント本戦出場はならなかったが、決勝戦のスーパーファイトに登場。ローキック一本で攻めるポール・スロウィンスキーを手数で圧倒し、KOこそならなかったが久しぶりの白星を飾った。
K-1の公式サイト内の選手プロフィール覧では、バド・ハリと誤表記されていた。
[編集] 主な獲得タイトル
- K-1 WORLD GP 2006 推薦枠ファン投票1位
[編集] 戦歴
62戦57勝4敗1分48KO