ノースカロライナ (戦艦)
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艦歴 | |||||||||
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起工 | 1937年 10月27日 | ||||||||
進水 | 1940年 6月13日 | ||||||||
就役 | 1941年 4月9日 | ||||||||
退役 | 1947年 6月27日 | ||||||||
性能諸元 | |||||||||
基準排水量 | 35,000トン | ||||||||
満載排水量 | 42,330トン | ||||||||
全長 | 222.11m | ||||||||
全幅 | 33.03m | ||||||||
吃水 | 9.64m | ||||||||
最大速 | 27ノット | ||||||||
乗員 | 士官・兵員:1,880名 | ||||||||
兵装 |
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ノースカロライナ (USS North Carolina, BB-55) はアメリカ海軍の戦艦。ノースカロライナ級戦艦のネームシップ。艦名はアメリカ合衆国12番目の州に因む。
太平洋戦争開戦前、ロンドン条約が解かれることに伴い起工された。当初は口径16in(40.6cm)以上の砲を搭載禁止とする第二次ロンドン条約が締結を見越して14in(35.6cm)砲を搭載する予定だったが日本が締結を拒否したため、急遽16in砲に変更した。しかし元来、14in砲搭載戦艦であるため、防御も14in砲に対するものであった。
目次 |
[編集] 艦歴
ノースカロライナは1937年10月27日にニューヨーク海軍工廠で起工され、1940年6月13日にイザベル・ホーイ(ノースカロライナ州知事の娘)の手によって進水した。1941年4月9日に就役し、オーラフ・M・ハストベットが艦長に就任した。
アメリカ海軍が初めて保有した16インチ砲搭載の高速戦艦で、ショーボート(Showboat)とあだ名されるように艤装工事と試運転を実施した際に数回に渡り修理を受ける必要があった。特に機関の推進器による振動が原因で後部デッキの居住性を著しく損なわせていた。その後、シャフトとプロペラの修理が幾度となく行われ、振動を抑えることに成功した。ノースカロライナは太平洋戦争が始まる前にカリブ海で整備を完了させ、集中的に訓練を実施した。そして、1942年6月10日にパナマ運河を渡って太平洋に出た。
1942年8月7日にアメリカ海軍は日本軍に占領されたガダルカナル島とツラギ島に海兵隊を上陸させ(ガダルカナル島の戦い)、日本に勝利するために飛び石作戦(アイランドホッピング)を開始した。ノースカロライナは攻略のために補給と輸送ラインを守る航空支援部隊の空母エンタープライズを護衛し、第二次ソロモン海戦(米呼称:東部ソロモン海戦)では戦闘機の掩護を受ける爆撃機と雷撃機の攻撃に晒され、7発の至近弾を受けたが船体にダメージはなく、日本軍機を7機以上撃墜した。
1942年9月15日、日本海軍の伊号第一九潜水艦が放った酸素魚雷が左舷水線下20フィートに命中した。乗員6名が死亡したものの、巧みなダメージコントロールと堅牢な構造により、最大5.6度となった艦の傾斜はおよそ6分で復元され、本艦は26ノットの速力で陣形を保ち続けた。なお、この魚雷は空母ワスプを沈没させた雷撃の一部が、偶然10km先にいた本艦に命中したものであった。
真珠湾で修理を終えると、ノースカロライナは次の年までの間、ソロモン諸島で補給線を守る空母エンタープライズ、サラトガの前衛を行った。1943年の3月から4月にかけて真珠湾で新型の射撃管制機器とレーダー装置を装備し、9月に再び真珠湾に戻ってギルバード諸島侵攻に備えた(ギルバート・マーシャル諸島の戦い)。
ノースカロナイナは1947年6月27日に退役し、1960年6月1日に海軍籍を除籍された。現在、本艦は「戦艦ノースカロライナ号博物館」としてノースカロライナ州ウィルミントンの地で一般に公開されている。
[編集] 同型艦
- ワシントン (USS Washington, BB-56)