ニホンピロウイナー
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性別 | 牡 |
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毛色 | 黒鹿毛 |
品種 | サラブレッド |
生誕 | 1980年4月27日 |
死没 | 2005年3月17日 |
父 | スティールハート |
母 | ニホンピロエバート |
生産 | 佐々木節哉 |
生国 | 日本(北海道門別町) |
馬主 | 小林百太郎 |
調教師 | 服部正利(栗東) |
競走成績 | 26戦16勝 |
獲得賞金 | 4億8322万1400円 |
ニホンピロウイナーは日本の競走馬である。 母ニホンピロエバートは1974年のクラシック二冠馬キタノカチドキの半妹であり、調教師の服部正利はキタノカチドキを管理していた。主戦は河内洋。マイルチャンピオンシップ2勝、安田記念に勝利するなど、マイル以下の短距離レースを中心に活躍した。1983年、1984年、1985年の3年連続でJRA賞最優秀スプリンターを受賞している。
本馬は、自らが登場する以前は天皇賞、有馬記念やクラシック競争に比して「裏街道」と目されていた短距離路線の活路を開いた存在であると言える。また、種牡馬としてもヤマニンゼファー、フラワーパークという短距離GIの勝ち馬を輩出するなど優れた実績を残した。
※本項の馬齢表記は旧表記(数え年)に統一する
目次 |
[編集] 成績
1982年9月11日の新馬戦に勝利すると、3連勝でデイリー杯3歳ステークスを優勝する。しかし、阪神3歳ステークスは惜しくもダイセンキングのアタマ差2着に敗れる。
1983年緒戦のきさらぎ賞を勝利してクラシック路線へ進むが、スプリングステークスでタケノヒエンの6着、皐月賞で後に三冠馬となるミスターシービーの20着(最下位)と惨敗。因みに、敗因は距離特性より不良馬場の影響が大きいといわれている(事実、不良馬場でのレースは全敗している)。この後はクラシック路線をあきらめ短距離路線に転向し、秋にはオパールステークスからCBC賞まで3連勝した。
1984年、5歳緒戦の淀短距離ステークスで優勝。この年からグレード制が導入され、初の重賞出走となったマイラーズカップでは2着に敗れるが、秋の朝日チャレンジカップで初重賞制覇をすると、次走のスワンステークスでは2着の桜花賞馬シャダイソフィアに7馬身差のレコードタイムで優勝。11月18日、グレード制導入とともに新設された京都競馬場で行われるGIレース、第1回マイルチャンピオンシップに出走し、GI初制覇を挙げた。
1985年、2000mの大阪杯は8着と敗れるが、1600mのマイラーズカップ、1400mの京王杯スプリングカップを1番人気に応え優勝。5月12日にはマイルGI安田記念に勝利する(このときの単勝110円は2006年現在、安田記念史上最低の配当である)。秋は毎日王冠から始動して同レース4着の後、天皇賞(秋)に出走。このレースでは2着シンボリルドルフと0.1秒差の3着に入り、2000mもこなせる事を証明した。続く次走、引退レースとなったマイルチャンピオンシップを2着のトウショウペガサスに3馬身差、史上初の連覇を達成し引退した。
[編集] 引退後
引退後は種牡馬として北海道門別の下河辺牧場に繋養され、のちにブリーダーズスタリオンステーションに移動された。種付け頭数は関係者の意向で年間60頭(後年、種付け希望の増加から65頭まで増やされた)に制限されていたが、下記の重賞勝ち馬を始め多数の活躍馬を送り出している。
2004年に種牡馬を引退。2005年3月17日北海道門別町の佐々木牧場にて心臓マヒで死去。
[編集] 代表産駒
- ヤマニンゼファー(天皇賞(秋)・安田記念2回)
- フラワーパーク(高松宮杯・スプリンターズステークス)
- ニホンピロプリンス(CBC賞・マイラーズカップ)
- トーワウィナー(CBC賞・阪急杯)
- ニホンピロエイブル(京都4歳特別)
- ホリノウイナー(東京新聞杯)
- ファンドリショウリ(中日新聞杯2回・愛知杯)
- ダンディコマンド(北九州記念)
- ダイワデュール(東京ハイジャンプ)
- ユーセイシュタイン(京都ジャンプステークス)
- メガスターダム(ラジオたんぱ杯2歳ステークス・中京記念)
- トーワダーリン(安田記念2着)
[編集] エピソード
マイル以下の通算成績は18戦14勝2着3回(2着のうち2回は不良馬場。1度の着外は古馬と初対戦で落鉄していた)。
京都競馬場では7戦全勝。
当時、皇帝と呼ばれたシンボリルドルフでさえ短距離戦ではニホンピロウイナーに勝てないだろうと言われていた。
生涯獲得賞金4億8322万1400円は、1980年生まれの中央競馬所属競走馬の中で最も多い。また同期には三冠馬ミスターシービー、ジャパンカップを日本調教馬として始めて優勝したカツラギエース、1985年天皇賞(秋)・1986年安田記念優勝のギャロップダイナ、1984年有馬記念優勝馬リードホーユー、1985年宝塚記念優勝馬スズカコバンというGIを勝利した牡馬が5頭いるが、本馬はミスターシービーを除く4頭全てを負かした(共に出走したレースで1着になった)ことがある。
[編集] 血統表
ニホンピロウイナーの血統 ハビタット系(ファラリス系)/Hyperion5×4=9.38% Rustom Pasha5×4=9.38% | |||
父
*スティールハート Steel Heart 1972 鹿毛 |
Habitat 1966 鹿毛 |
Sir Gaylord | Turn-to |
Something Royal | |||
Little Hut | Occupy | ||
Savage Beauty | |||
A.1. 1963 芦毛 |
Abernant | Owen Tudor | |
Rustom Mahal | |||
Asti Spumante | Dante | ||
Blanco | |||
母
ニホンピロエバート 1974 鹿毛 |
*チャイナロック China Rock 1953 栃栗毛 |
Rockefella | Hyperion |
Rockfel | |||
May Wong | Rustom Pasha | ||
Wezzan | |||
ライトフレーム 1959 黒鹿毛 |
*ライジングフレーム Rising Flame |
The Phoenix | |
Admirable | |||
グリンライト | *ダイオライト | ||
栄幟 F-No.3-l |