ナチス左派
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ナチス左派とは、ドイツの国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)において社会主義色の強い政策を打ち出していた党内左派グループを指す。「革命的ナチス」とも呼ばれる。グレゴール・シュトラッサー、オットー・シュトラッサーのシュトラッサー兄弟や、エルンスト・レームがその代表者であり、ゲッベルスもはじめはグレゴール・シュトラッサーの協力者であった。またハインリヒ・ヒムラーはグレゴール・シュトラッサーの秘書を務めていた(離党して養鶏農家を始めようか迷い、シュトラッサーに相談していたエピソードがある)経歴を持ち、SA隊員だった時は他の隊員同様、レームに深く心酔していた。
政策的には、民族主義や反ユダヤ主義よりも社会主義を優先し、産業の国有化を主張した。独自の労働組合も組織しており、勢力伸張のために財界・資本家との提携に積極的であったアドルフ・ヒトラーには批判的であった。1931年にヒトラーとの確執からオットーが離党、1934年には長いナイフの夜事件により、レーム、グレゴールらが粛清されるなど左派の反ヒトラー勢力は迫害され衰退していった。
[編集] 関連作品
- 小説「わが友ヒトラー」(作:三島由紀夫)
- 粛清直前のシュトラッサーが、同じく危うい立場のレームに共闘を持ちかけるフィクション