ドミニク・ガルゾー・ド・ビルパン
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ドミニク・ガルゾー・ド・ビルパン(Dominique Galouzeau de Villepin, 1953年11月14日 - )は、フランスの外交官であり政治家、首相(2005年 - )。モロッコの首都ラバト生まれ。
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[編集] 経歴
パリ大学、パリ政治学院、E.N.A.を卒業。1980年に外務省に入省。
イラク戦争開戦を強行しようとしたアメリカに対して、強く反対。アメリカのラムズフェルド国防長官から「(開戦反対の)フランスとドイツは古いヨーロッパだ」と皮肉られると、国連安保理で「フランスは古い国だからあえて反対する」と切り返し、メディアの強い注目を浴びた。その外交姿勢はド・ゴール主義にとても近いといわれている。
[編集] 首相就任
2005年5月31日、欧州憲法批准の国民投票で反対が過半数を超えた事に因るラファランの首相職辞任を受け、首相となった。
2005年パリ郊外暴動事件では、暴動鎮圧を計るため暴動のきっかけとなった警察が感電死させたとされる死亡したフランス移民の遺族に対し事件の調査を行うと約束したが、暴動の鎮圧とまで至らなかった。
また2006年には、就業者を上げるために2006年3月に26歳以下の若者を2年以内の雇用なら理由なく解雇出来るという青年雇用対策「初期雇用契約」(CPE)をドミニク首相らが強行制定したが、この法案が逆に若者を怒らせる結果となりフランス国内の大学での抗議活動が激化、若者が暴徒化し警官隊と衝突。各企業・自治体・交通機関でもこのCPE法廃止を求めストライキへ突入し3月28日にはフランス国内のほとんどの交通機関でストライキの影響により交通マヒを起こす事態となった。次期大統領候補としてのライバルでもある与党国民運動連合党首ニコラ・サルコジが融和姿勢を示す中、妥協案を頑なに拒否していたが、4月10日、ジャック・シラク大統領がCPEの事実上の撤回を決断したことで、政治的に大きなダメージを受けた。追い討ちをかけるように、外相時代にサルコジのスキャンダル(のちに事実無根と判明)を情報機関に探らせていたのではないかとの疑惑が持ち上がり、窮地に陥っている。
一時期サルコジと並んで右派勢力の有力なシラク後継者と目されていたが、首相としての任期中2度も大暴動を招いたことから大きく株を下げており、4月の調査では第五共和制下の首相として最低の支持率を記録した(24%、LE JOURNAL DU DIMANCHE紙)。
[編集] その他
ナポレオン一世を大変尊敬しており、長大なナポレオン伝『百日天下あるいは犠牲の精神』(Les Cent-Jours ou l'esprit de sacrifice) という本も書いている。
長女のマリが2006年10月、ジバンシィの新作香水のオーディションを本名を隠して受け、採用されたことで話題となった。父ドミニクはマリのモデル業に大反対しているという。
[編集] 外部リンク
- ガルゾー・ド=ビルパン,ドミニク - 経歴
- フランスの首相
- 2005年 -
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- 先代:
- ジャン=ピエール・ラファラン
- 次代: