トム・シーバー
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トム・シーバー(George Thomas Seaver、1944年11月17日 - )は、元メジャーリーグの投手。右投げ右打ち。アメリカ・カリフォルニア州フレズノ出身。ニックネームは“Tom Terrific”“The Franchise”。
1965年にロサンゼルス・ドジャースからドラフト10巡目で指名されるが契約しなかった。翌1966年1月にアトランタ・ブレーブスからドラフト指名されるが、在学していたカリフォルニア州立大学のルールで無効となった。同年4月3日、ニューヨーク・メッツと契約し、1967年4月13日にメジャーデビュー。
1年目は16勝13敗、防御率2.76でナショナルリーグの新人王に選ばれ、オールスターにも初出場。しかしチームは61勝101敗でリーグ最下位に終わる。翌1968年も16勝を挙げ、防御率2.20と活躍するが、チームは最下位を免れるのがやっとの状態だった。
1969年、リーグトップの25勝(7敗)、防御率2.21でサイ・ヤング賞を初受賞。チームをワールドシリーズに導き、ボルチモア・オリオールズを4勝1敗で破ってワールドチャンピオンに輝いた。この年のメッツの躍進は「ミラクルメッツ」と呼ばれた。
1970年4月22日のサンディエゴ・パドレス戦で、メジャー新記録の10者連続奪三振を達成した。最終的には、スティーブ・カールトンの当時のメジャー記録に並ぶ1試合19奪三振を記録。(現在はロジャー・クレメンス、ケリー・ウッド、ランディ・ジョンソンの20奪三振がメジャー記録。)
1973年、19勝10敗、防御率2.08で2度目のサイ・ヤング賞を受賞。1975年、22勝9敗、防御率2.38で3度目のサイ・ヤング賞を受賞した。1968年から1976年までメジャー記録の9年連続200奪三振を達成。1977年6月15日、1対4のトレードでシンシナティ・レッズに移籍。シーバーの移籍後、メッツの本拠地シェイ・スタジアムの入場者数は激減してしまった。
1978年6月16日のセントルイス・カージナルス戦でノーヒットノーランを達成した。
1982年のシーズン後、1対3のトレードで古巣メッツに復帰。1983年4月5日のフィラデルフィア・フィリーズ戦で開幕投手を務め、ウォルター・ジョンソンが持つ開幕投手14回のメジャー記録に並んだ。(その後1985年と1986年にも開幕投手を務め、合計16回となった。)期待されたが、9勝14敗に終わる。
1984年1月、FAの補償選手として要求され、シカゴ・ホワイトソックスに移籍。(メッツは、高額年俸で39歳のシーバーは要求されないだろうと考え、プロテクト・リストから外していた。)ホワイトソックスには2年半在籍し、1985年8月4日のニューヨーク・ヤンキース戦で通算300勝を達成。1986年6月にボストン・レッドソックスにトレードされ、その年限りで引退した。
1988年に自身の背番号41がメッツの永久欠番となった。また、メッツで挙げた通算198勝は球団最多勝記録である。
1992年に当時として史上最多の得票率で野球殿堂入り。現在はニューヨークの地元テレビ局アナウンサー、解説者として活動しているが、作家として著作活動も行っている。
通算成績 656試合登板 311勝205敗1セーブ 3640奪三振(歴代6位) 防御率2.86
[編集] 受賞歴・記録
- オールスター12回出場 (1967年~1973年、1975年~1978年、1981年)
- 新人王 (1967年)
- サイ・ヤング賞3回 (1969年、1973年、1975年)
- 最多勝3回 (1969年、1975年、1981年)
- 最多奪三振5回 (1970年、1971年、1973年、1975年、1976年)
- 最優秀防御率3回 (1970年、1971年、1973年)
- ノーヒットノーラン (1978年6月16日)