スティーブ・カールトン
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スティーブ・カールトン(Steve Norman Carlton, 1944年12月22日 -)は、元メジャーリーグの投手。左投げ左打ち。
フロリダ州マイアミ出身で、1965年にセントルイス・カージナルスから20歳でメジャーデビュー。1967年までに先発投手としての地位を確立する。6フィート4インチ(193センチ)の長身から繰り出す速球とスライダーを武器として、1967年と1968年に2年連続で最多勝のタイトルを獲得し、ワールドシリーズ進出を果たす。
1972年のシーズン前にリック・ワイズとの交換でフィラデルフィア・フィリーズへ移籍し、同年のチーム59勝(97敗)のうち27勝を稼ぎ出す。同年に「最高のスポーツ選手」としてヒコック・ベルトも獲得。
チームの勝利のうち46%を一人の投手が占めるというのは前代未聞であり、現在もなおこの記録は破られていない。トレーニングに東洋武術を取り入れるなど、ユニークな肉体管理法も確立する。
1973年に20敗を記録し、不調に陥る。その際にメディアから「奇妙な」トレーニング法について詰問され、その後メディアの取材を拒否することとなる。
サイ・ヤング賞を1972年、1977年、1980年、1982年に獲得し、当時としては史上初の同賞四度受賞の記録を達成する(その後、数人の投手がこの記録を達成)。1980年にはフィリーズ史上初のワールドシリーズ制覇に貢献、自身も同シリーズ最終戦の勝利投手となる。1981年にゴールドグラブ賞も受賞。
1986年にフィリーズから放出され、その後サンフランシスコ・ジャイアンツ、シカゴ・ホワイトソックス、クリーブランド・インディアンス、ミネソタ・ツインズにそれぞれ短期間所属する。
オールスター10回出場を果たし、左腕投手としては当時最高の通算4136奪三振を記録 通算329勝は歴代九位で、左腕投手としては、ウォーレン・スパーンに次ぐ二位。
1994年に96%(史上最高)の支持率を得て、野球殿堂入りを果たす。