テオドロス2世ラスカリス
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テオドロス2世ラスカリス(1221年-1258年)は、ニカイア帝国の第3代皇帝(在位1254年-1258年)。第2代皇帝・ヨハネス3世ドゥーカス・ヴァタツェスの子。本来ならばドゥーカス姓を名乗るべきであったが、生母がラスカリス家の出身であったため、ラスカリス姓を称した。
1254年、父・ヨハネス3世の死により後を継いで即位する。文化面では才能を持っていたが、癇癪持ちであり、父や祖父・テオドロス1世ラスカリスほどの軍事的な資質はなく、父や祖父の時代に優位に立ったラテン帝国との戦いには劣勢になり、エピロス専制侯国との戦いでも敗戦を重ねた。父の時代にはコンスタンティノポリスを奪回する勢いだったニカイア帝国だが、テオドロスの治世ではなんとか現状を維持するにとどまった。
またテオドロスは皇帝による専制を強化し、貴族の力を除こうと図った。このため、少年時代からの友人であるムザロン(のちにヨハネス4世ラスカリスの摂政となる)を補佐役にしたが、これがかえってミカエル・パレオロゴス(のちの皇帝・ミカエル8世パレオロゴス)ら帝国有力貴族の反感を招き、これは彼の息子・ヨハネス4世にもたらす後の災いにまでつながってしまった。
1258年、38歳の若さで病死した。
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