ダートマス大学
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ダートマス大学(Dartmouth College)は、アメリカ・ニューハンプシャー州のハノーバー市にある私立大学である。アイビーリーグのメンバーで、9つあるアメリカ独立戦争以前に創立された植民地時代の大学の一つでもある。ネイティブ・アメリカンの宣教師 サムソン・オッカムの尽力による部分的な出資もあり、1769年にエリエザー・ウィーロックによって創立された。アメリカ合衆国では9番目に古く、学生一人当たりの出資金の額では7番目に裕福な単科大学(college)である。但し、ダートマス大学は、学士課程の教養学部に加え、医学・工学・経済といった分野のみならず、18分野もの文系・理系の大学院課程を持つ。このため、アメリカでは一般的に総合大学(university)と呼称される傾向がある。とは言え、その伝統を保持する目的と、歴史的に重要な遺産と言える「ダートマス大学訴訟」に由来する部分もあり、そしてまた学士課程教育を当校の中核として重要視する姿勢を強調するため、ダートマス大学は自らを「単科大学」と呼称している。ダートマス大学の総学生数 5,744人は、アイビーリーグ中では最も小規模である。また、ダートマス大学評議会として法人化されている。
2005年、ボーズ・アレン・ハミルトンは、存続を脅かす幾つもの危機(最も著名な例は「ダートマス大学評議会 対 ウッドワード事件」)を乗り越えてきた業績を称えて、当校を「世界における不朽の10大教育機関」の一つとして選出した。ダートマス同窓会は、良く知られているように当校と密接な関係にあり、ダニエル・ウェブスターを初めとして、19世紀から20世紀にまで多く同窓生が大学に寄付をしている。実際、ダートマス同窓会は、何世代にも渡ってアメリカでもトップレベルの比率で同窓生が寄付に参加してきた。
目次 |
[編集] 歴史
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[編集] 創立と功労者たち
ダートマス大学は、清教徒の聖職者 エリエザー・ウィーロックを主とする尽力と当時のニューハンプシャー教区における総督代理を務めていたジョン・ウェントワースによる援助の成果として、1769年にイギリス王室のキング・ジョージ3世の勅許を賜り、9つめで最後の植民地大学として作られた。
ダートマス大学の創立目的は、「インディアン部族と若きイギリス人、またその他の人々」に対し、キリスト教化や指導、教育などを施すことだった。ネイティブ・アメリカンの聖職者であったナサニエル・ホイッタカーとサムソン・オッカムは、北アメリカ植民地に対するキング・ジョージ3世付きの大臣といった有力な政治家の後援者と評議員による信託機関を通し、イギリスに属する大学に対しての出資を申し出た。この政治家たちの代表として、ダートマス2世伯爵 ウィリアム・レッグが含まれており、彼が大学の名付け親となったわけである。
この出資は、元はウィーロックによって1740年代に建設予定中であったコネティカット州の教育機関(コネティカット大学ではない)と1754年に勅許を受けた「ムーア氏によるインディアンのための慈善学校」を援助するために行われたものだが、ウィーロック自身は左記の教育機関の代わりにダートマス大学に対して出資金を利用した。
1770年から講義が開始され、1771年に初の学位認定が行われた。この学位自体は、1773年にイギリス本土からの公認を得ている。
一方、裏切りに落胆したサムソン・オッカムは、次にニューイングランド地域に住むネイティブ・アメリカン部族のため、ニューヨーク州北部 オネイダ郡にブラザータウン・インディアンズと呼ばれる共同体を結成した。
[編集] ダートマス大学訴訟
1819年、ダートマス大学は、歴史的に有名な「ダートマス大学訴訟」の係争中であった。この訴訟は、1816年にニューハンプシャー州が大学に対する勅許を修正し、当校を公立(州立)大学に作り変えようとした計画に対して異議を申し立てたものである。ダートマス総合大学と呼称した教育機関は、ダートマス大学(便宜的に単科大学とする)の建物を占拠し、1817年にハノーバー市で運営が開始されたが、単科大学自体は総合大学の近郊にある賃借りの教室で講義を続けていた。ダニエル・ウェブスターと1801年度の同窓会員は、(ダートマス単科大学の)勅許に対する州の契約改定事項に違法な瑕疵(問題点)があることを発見し、大学施設の接収に対して抗議するため、アメリカ合衆国最高裁判所に同州を提訴した。
ウェブスターは、裁判における演説の最後にしばしば引用されるほど有名な一節を残した。
- It is, Sir, as I have said, a small college. And yet there are those who love it.
- 同校は、確かに私が申し上げた通り、小さな学校です。それでもなお、ここを愛する人々がいるのです。
[編集] 学生の受け入れ
ダートマス大学は、1972年まで男子校であったが、これ以降は女性も全日制の学生として受け入れられ、学士課程の修了も認定されるようになっている。同時に、女子学生が増えたこともあり、キャンパス内の宿泊施設(主に学生寮)を拡張することなく、年間を通して学生の増員を可能にする独自の学期制度である「D-プラン」を採用した。一年間を季節に合わせて4分割し、学生は一年生の間と二年生の夏期、それから四年生の間だけ宿泊施設に居住する必要がある。この制度は、冗談混じりに「4000人の学生を3000個のベットに押し込むシステムだ」と評されている。但し、学生数が増え続けているため、新しい学生寮が建造されることもあるが、D-プランの効果自体は未だに健在だ。
[編集] 校訓
ダートマス大学の校訓は、Vox Clamantis in Desertoである。このラテン語の校訓は、逐語的には「荒野で呼ばわる者の声」(声の主を特定している)と訳されるが、大学側は、この一節を「荒野で叫ぶ声」(声の主を特定していない)とあえて訳すことがある。この訳は、ラテン語法としては正しくないが、一部で全体を表現する比喩(提喩法)を用いて学生全体を意味するようにとの意図からである。
この校訓は、キリスト教の聖書に登場する洗礼者ヨハネの言葉の引用であると同時に、かつてヨーロッパの移住者たちの開拓地であった大学の所在地に対する言及でもある。
[編集] 校歌
1896年、ダートマス大学の同窓生でもあるアメリカの詩人 リチャード・ハーヴィの「ダートマスの男たち」が当校で作られた詩の中で最も優れたものとして選出された。この歌は、共学化に配慮してこの題名と歌詞に変更が加えられたものの、今日ではダートマス大学の校歌の役目を果たしている。
[編集] ダートマス大学を舞台にした映画
映画『アニマル・ハウス』は、ダートマス大学の社交クラブを物語の舞台としている。実際、ダートマス大学の卒業生 クリス・ミルターが脚本家として関わっていた。ミルターは、1974年に『七つ火の予言の夜[2]』を含め、ダートマス大学の社交クラブに関するフィクションを書いているが、一応これが『アニマル・ハウス』の原作と言えるものである。CNNのインタビューにおいて、監督のジョン・ランディスは、この映画が「ミルターが実際に在籍していた社交クラブ・アルファデルタ」をモデルに制作したと発言している。関連作品『ダートマス物語』に関してインタビューを受けたミルターは、少なくても作中の一つの事件[3]は、ダートマス大学のアルファデルタで実際に起こったものであり、作中に登場する「カワウソ」と「まだら馬」の名前は、1963年度の記念盾に書かれたアルファデルタの卒業者名簿の中にあるはずだとしている。
ちなみに、映画自体は、オレゴン大学で撮影された。
[編集] 理事長一覧(ウィーロックの後任)
詳細は、英語版ウィキペディア内の記事『ダートマス大学理事長一覧』に譲る。
理事長名(ダートマス大学卒業年) | 在職期間 |
• エリック・ウィーロック | (1769–1779) |
• ジョン・ウィーロック, 1771 | (1779–1815) |
• フランシス・ブラウン, 1805 | (1815–1820) |
• ダニエル・ダナ, 1788 | (1820–1821) |
• ベネット・タイラー(聖職者) | (1822–1828) |
• ネイザン・ロード(聖職者) | (1828–1863) |
• アサ・ドッジ・スミス, 1830 | (1863–1877) |
• サミュエル・コルコード・バートレット, 1836 | (1877–1892) |
• ウィリアム・ジューエット・タッカー, 1861 | (1893–1909) |
• アーネスト・フォックス・ニコールズ(外国大卒) | (1909–1916) |
• アーネスト・マーティン・ホプキンス, 1929 | (1916–1945) |
• ジョン・スローン・ディッキー, 1929 | (1945–1970) |
• ジョン・ジョージ・ケメリー, 1981(プリンストン大卒) | (1970–1981) |
• デイヴィット・トーマス・マクローリン, 1955(経営大学院) | (1981–1987) |
• ジェームス・オリバー・フリードマン, 1998(イェール大卒) | (1987–1998) |
• ジェームス・E・ライト, 1964(ウィスコンシン大マディソン校卒) | (1998– ) |
[編集] 教育
(翻訳中)
[編集] 評議会の委員
[編集] 学術的な評判
[編集] 施設
(翻訳中)
[編集] 創造的舞台芸術のためのホプキンスセンター
[編集] 公共政策と社会科学のためのネルソン・A・ロックフェラーセンター
[編集] 国際理解のためのジョン・スローン・ディッキーセンター
[編集] 競技用プール施設
[編集] 住居施設群
[編集] スポーツ
(翻訳中)
[編集] ニックネームとシンボル&マスコット
[編集] 大学代表チーム
[編集] スポーツ施設
[編集] 学生生活
(翻訳中)
[編集] 学生の部活動
[編集] ギリシャ語学習について
[編集] インターネット環境
[編集] ネイティブ・アメリカンについて
[編集] 伝統について
[編集] 同窓会
(翻訳中)
[編集] 卒業生
(翻訳中)
- ロバート・フロスト:詩人
- ネルソン・ロックフェラー:ニューヨーク州知事およびアメリカ合衆国第41代副大統領
- エドワード・ローレンツ:気象学者
- ドクター・スース:作家・漫画家
- スタン・ブラッケージ:映像作家
- サラ・ウェイン・キャリーズ:女優
[編集] 補足
- ↑ Dartmouth College Facts
- ↑ 翻訳元の記事にも詳細は書かれていないが、七つ火とは、ネイティブ・アメリカンのアルゴンギン族に伝わる予言の一種である。
- ↑ デルタ・タウ・チ兄弟がロックバンドがシャウトするときのように階段を滑り降りたという事件(意味不明)
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- Dartmouth College(英語版)
- The Dartmouth(英語版) アメリカで一番古い大学新聞
- Dartmouth's Alumni Association(英語版)
- Dartmouth webcam(英語版)
アイビー・リーグと各校の所在地 |
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