ダイハツ・シャレード
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ダイハツ・シャレードは、かつてダイハツ工業から発売された乗用車である。FF駆動の「リッターカー」だった。
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[編集] 歴史
[編集] 初代(G10 1977-1983年)
1977年に発表。5平米カーというキャッチコピーのもと、小ぶりながら3気筒の1000ccエンジンと2BOXの広い車内は、合理的なクルマの方向性を打ち出した。それによって、第二次オイルショックによる省エネブームも手伝い、ダイハツ始まって以来の大ヒットをおさめた。また、カー・オブ・ザ・イヤーも受賞している。ボディは5ドアと、3ドアクーペの二種類。 1980年のマイナーチェンジでは、丸目から角目に変更され、装備やエンジンのパワーもアップされた。
- 1977年11月 新登場
- 1978年9月 クーペ追加
- 1979年9月 マイナーチェンジ
- 1980年10月 マイナーチェンジ
- 1981年9月 サンルーフ車追加
[編集] 2代目(G11/G26/G30、G11V/G30V 1983-1987年)
1983年発売。初代の設計思想をそのまま生かしてモデルチェンジ。量産エンジンとしてはその当時世界最小排気量を誇る乗用ディーゼルエンジン(水冷直列3気筒SOHC)を搭載したモデルや、猫科のターボのキャッチフレーズで発売されたターボモデル、それを使用してサファリラリーに出場するもターボ係数により本来であれば1300CC以下クラスのはずが1600CC以下の扱いとなったことを受けて排気量を下げてチューニングを施し200台限定生産された「926TURBO」、またノーマルのターボエンジンながらイタリアのデ・トマソ社が監修したシャレード・デ・トマソ・ターボも用意された。ディーゼル車の広告コピーは「凄いビートだぜRock'nディーゼル」だった(なお、ディーゼルターボ車の広告コピーは「アンチなターボ」である)。このシャレードの軽快な走りを支えた3気筒エンジンは、当時提携関係にあったイタリアのイノチェンティ社(当時デ・トマソ傘下)のミニのエンジンとして供給も行われた(後に660CCエンジンとの二本建てで供給される)。またこのモデルにのみ3ドアバンの設定があった(ガソリンエンジンだけでなくディーゼルエンジンも用意)。
- 1983年1月 フルモデルチェンジ
- 1983年9月 ガソリンターボ追加
- 1984年1月 デ・トマソ追加
- 1984年9月 ディーゼルターボ追加
- 1985年2月 マイナーチェンジ
[編集] 3代目(G100S/G101S/G102S/G112S 1987-1993年)
1987年、歴代モデル史上、満を持してのフルモデルが行われた。このモデルの開発にあたって、ダイハツは従来の地方に加え、都市部の若年層の取り込みを図るために、これまでのオーソドックスなスタイルから一転、ラテン風の洒落たスタイルのボディを採用。その独特のスタイルは、これまでのコンパクトカーでは類をみない斬新なものであるとして高く評価された。その影響か否か、そのスタイルは海外にも波及し、この4年後に登場したルノー・クリオ(日本名:ルーテシア)のスタイルの一翼を担ったとされる。イメージキャラクターにミッキー・ロークや田原俊彦を起用したこともある。
ボディは当初、3ドア、5ドアでスタート。後にリアのオーバーハングを伸ばしトランクを設けた、4ドアのソシアルも追加される。当時、先代も含め、オーソドックスでありながら、どちらかというとコンサバティブなスタイルが大半を占めていたリッタカークラスのなかで、ドラスティックにも都会的なラテン風に変貌したスタイルは、一部賛否両論を誘ったものの、独特のフォーマルなムードを持つスタイルはとても魅力的なもので、それは後に登場した4ドアのソシアルにも引き継がれた。 しかし、その反面、先代よりも大きく重く立派になったボディは、これまでのシャレードの美点をスポイルする結果につながり、特にその美点を支えていた3気筒エンジンでは大きなハンディとなったのは否めず、後に追加された1300CCモデルが登場してからは、かつてのようなリッタカーとしての色あいは薄れていった。
エンジンは初代以来の伝統の1000cc3気筒CB型のSOHC6バルブ・シングルキャブレターとSOHC6バルブターボ(ただし燃料供給はキャブレターを用いていた)、DOHC12バルブインタークーラーターボ(もちろん、1リッターあたり100馬力以上に達していた)、NA及びターボディーゼルでスタートしたが、後に新開発のHC型1300CC4気筒SOHC16バルブEFIが追加される。また同時期にフルタイム4WD車も追加。小さくても広く実用的で、1000CCでもキビキビ走れる美点がかつてのシャレードの魅力であったものの、ボディが肥大化した(1000ccDOHCターボ車および1300cc車は除く)ため、その魅力は薄れていった。その予兆は不幸にも、この後の新しいモデルにも引き継がれることとなり、リッターカーの開拓者として、長くクラスをリードしてきたシャレードのブランド力は下降線の一途を辿っていくこととなる。
ちなみにモータースポーツにも積極的に参加しており、特筆するべき活躍として、93年のWRC(世界ラリー選手権)サファリ・ラリーでは、2000CCのターボ4WDカーのトヨタ・セリカ勢に続く総合5,6位の成績を残している。
- 1987年1月 フルモデルチェンジ
- 1988年2月 1300cc及び4WDの追加。これに伴い1000ccガソリンSOHCターボは廃止
- 1989年2月 マイナーチェンジ。1000ccDOHCターボ車のグレード名をGT-TiからGT-XXに変更しリヤシートの形状を変更して乗車定員を4人から5人へと変更。バンパー大型化(除くGT-XX)
- 1989年4月 ソシアル追加。エンジンは1300ccの電子制御シングルキャブ仕様。FFのみの設定。
- 1991年1月 マイナーチェンジ。1300ccは全車EFIに換装。ディーゼルのノンターボ車はビジネスモデルのみの設定に。
[編集] 4代目(G200S/G201S/G203S/G213S 1993-2000年)
1993年発売。車体が大型化したため、1000ccエンジン搭載モデルが廃止され、もはや「リッターカー」とはいえなくなった。当初3ドアと5ドアのハッチバック、エンジンも1300ccのみであったが、後にセダンのソシアルと1500ccエンジン及びフルタイム4WD車も追加。1600ccSOHCエンジンを搭載したデ・トマソが再びラインアップされる事もあったが、国内での生産は2000年春に生産を終了。事実上の後継車はダイハツ・ストーリアである。
- 1993年1月 フルモデルチェンジ
- 1993年8月 デ・トマソ、1500cc及び4WD追加
- 1994年5月 ソシアル追加
- 1995年11月 マイナーチェンジ。フロント部変更
- 1996年10月 一部改良
- 1997年9月 デ・トマソ生産中止
- 2000年5月 生産終了
[編集] 現在
中国や台湾などの海外の合弁企業で、旧モデルの改良版が生産されている。とくに中国天津市にある天津汽車(現社名:天津一汽夏利)ではシャレードの生産販売特許を取得し、シァリィ(夏利)を生産している。中国では小型タクシーの別名を「夏利」というくらい頻繁に走っている。これが縁かトヨタは天津汽車との合弁を足がかりに中国進出を果たした。その後、天津一汽夏利ではトヨタからライセンス供与を受けて、夏利2000(プラッツ)、ヴィッツ(威姿)、ヴェラ(威楽、プラッツのマイナーチェンジ版)を生産している。