スペースウォー!
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スペースウォー!(Spacewar!)は宇宙戦争をモチーフとした対戦型コンピューターゲームで、世界初のシューティングゲームとされている。1962年、当時MIT(マサチューセッツ工科大学)の学生であったスティーブ・ラッセル(Steve Russell 1947年? -)を中心に、DEC社のミニコンPDP-1上で稼動するデモンストレーションプログラムとして開発された。また宇宙船の型から「wedge(くさび)とneedle(ミシン針)」とも呼ばれていた。
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[編集] 経緯
[編集] スペースウォー!が作られるまで
1961年夏、DECからMITのコンピュータ室にPDP-1が贈られた。学内関係者達はPDP-1を熱心にいじり倒し、こうした人々が、ハッカーの元祖となっていった。
MITのあるマサチューセッツ州の隣、コネチカット州で生まれたラッセルは、ダートマス校から転校して来た時点でもうコンピュータマニアだった。そして1961年頃からMITで活動していた「テック模型機関車クラブ」(TMRC)に入会したが、ここは名前通り元々鉄道模型のサークルだったものの、この時にはコンピュータマニアの集団と化していた(ちなみにNHKが「新・電子立国」において、このゲームの為にラッセルを取材した際、ラッセルの家に大規模な鉄道模型があったが、インタビューをしようとした矢先に模型が脱線、ラッセルは顔面蒼白で模型の復旧にあたり、収録が30分程遅れたというエピソードがある)
ラッセルは年次科学セミナーの為、E・E・スミスのSF小説「レンズマン」と「スカイラーク」にヒントを得、「スペースウォー!」を作った。最初は宇宙船とミサイル以外何も無かったが、仲間達が後述するフィーチャー(ゲームのルールや演出)を付け加え、1962年5月のセミナーで公開されたバージョンがオリジナルとされている。
[編集] ゲーム内容
- 目的
- 画面中心にある太陽を挟んで対峙する2隻の宇宙船を操り、ミサイルで相手機を破壊するのが主目的。自機が被弾するか太陽に追突して破壊されると相手スコアとなる。これを繰り返し制限時間内にスコアを競うのが主なゲーム内容(スコアは表示されない)ちなみにオリジナル版は対戦専用で、1人では遊べない。
- 操作(担当:アラン・コトック、スティーブ・パイナー、ボブ・サンダース)
- 前後1軸、左右1軸の計2スティック及びボタン1個で構成されたジョイスティックを用いる。この頃のコンピュータにはまだキーボードが標準装備されておらず(テレタイプ用のタイプライターは付属していた)プログラムを動かす時の操作はトグルスイッチで行っていた。しかしモニターとスイッチが離れているとリアルタイム操作が不便な為、TMRC伝統の廃物利用でコントローラーが自作された。これが史上初のゲーム専用コントローラーである。
- 旋回(左右移動レバー)、推進(前後移動レバーの前)(担当:ダン・エドワーズ)
- 「スペースウォー!」の大きな特徴として、宇宙船に慣性が働くこと、画面中心の太陽に重力が存在し、宇宙船の動作に影響を与えることが挙げられる。つまり宇宙船を太陽に対し直角に前進させると、太陽に近づきつつ時計回りか反時計回りに回転し、全く動かさないと太陽に向かって直進する。これらの動きは力学計算によってシミュレートされているが、ゲーム性の観点から、厳密な値よりもやや大げさな挙動をするよう計算されていた。また推進に必要な燃料にも限りがある。
- ハイパースペース(前後移動レバーの後)(担当:マーティン・グレーツ)
- いわゆる瞬間移動で、3回まで使用できる。近年のシューティングゲームにも緊急回避などで使われるワープ機能だが、これを初めて搭載したのも「スペースウォー!」である。使用時に一瞬まわりが光る演出があった。ハイパースペース(超空間)と呼ぶ理由は、4次元空間を想定、第4軸の方向へ移動すれば、3次元空間から見ればワープしたように見えるという考えである。ただしこれは前述のセミナー発表バージョンでは省略されていた。
- ミサイル発射(ボタン)
- ゲーム開始時の弾数は31発。ミサイルだけは重力の影響を受けずにまっすぐに飛んでいくが、これは当時の計算能力では、全てを重力に従い動かすのは無理だったからである。この為ミサイルは「光子爆弾」という設定になっていた。宇宙船の壊れ方にもこだわりがあり、画面が白黒反転、宇宙船がこっぱみじんになる演出となっていた。
- 本物と同じ星空(担当:ピーター・サムソン)
[編集] その後
ラッセルは大評判となった「スペースウォー!」の権利をどうするかいろいろ考えたが、結局パブリックドメインつまりフリーソフトとして「コピー・改造自由」とした。プログラムが書かれた鑽孔紙テープはPDP-1のすぐ隣にあり、勝手に持ち出し可能だったので、全米に約50ヶ所あったPDP-1に広がった(この内大学は3ヶ所しか無く、その一つユタ大学で、ノーラン・ブッシュネルは「スペースウォー!」に出会い、ビデオゲームの商業化を夢見る。その続きはコンピュータースペース参照)そして各地で皆がミサイル・太陽・ダメージ・複数戦闘などに独自の改造を行っていった。最後にはDEC社がPDP-1を売る際、サービスとして「スペースウォー!」の鑽孔紙テープを一緒につけた程である。
[編集] 派生版
- PDP-11版「スペースウォー!」
- PDP-11ベースのGT40ベクタースキャンシステム上で動く。史上初のベクタースキャン方式である。
- Galaxy Game
- スタンフォード大学のビル・ピッツとヒュー・タックが1971年、PDP-11版をコイン投入筐体に改造、設置した。世界初のコイン投入式ビデオゲームとも言えるが、個人で作ったものである為、アーケードゲームの歴史からは除外されている。
- コンピュータースペース(Computer Space)
- 「スペースウォー!」のアーケードゲーム版で、世界初のアーケードビデオゲーム。
- 「スペースウォーズ」(Space Wars)
- コンピュータースペースの後継版で、アーケードでは最も普及したバージョン。前述のアタリから発売された。
- その他
- 現在様々な「スペースウォー!」クローンがあり、ゲームを体験することができる。Linuxディストリビューションの多くに同包されていたKSpaceDueなどが有名。
[編集] 余談
- 1968年頃、ケン・トンプソンはPDP-7で「スペースウォー!」を遊ぶ為、新しいOSを作る事にしたが、これがUNIX の原形となっている。
- ラッセルは卒業後1969年にシアトルでマルチシェアリングシステムの会社設立に協力した。そこである時、PDP-10で作られたシステムに非常にバグが多かった為、コンピュータをいじり慣れていた小学生達に滅茶苦茶な使い方をしてもらい、バグを出すという仕事を担当した。この時非常にバグを出すのが上手い子供が一人いたが、彼こそ幼き日のビル・ゲイツだった。
[編集] オリジナル版の現状
2006年現在において判明しているPDP-1版「スペースウォー!」の稼働状況を以下に記す。
- 現存する2台のPDP-1の内、稼動するのはカリフォルニアのコンピューター歴史博物館にある1台だけである。2年かけて修復され、今は「スペースウォー!」も動作するようである。もう1台はMITに寄贈されたPDP-1第2号機で、これは実際に「スペースウォー!」開発に用いられた機体でもある。2002年の時点で第2号機はイギリスで開催されたGame Onに貸し出され、稼動展示されていたが、電源不具合発生後、使用不可になった。
- 2004年日本で開催されたテレビゲームとデジタル科学展でPDP-1が展示された。しかしこれはVintageTech社製レプリカであり、内部的にはLinuxでのPDP-1エミュレーターであった。このレプリカでも「スペースウォー!」が動いていたようだが、プレイできない状態であった為、宇宙船は現れては太陽に吸い込まれ、現れては太陽に吸い込まれを繰り返していたらしい。
[編集] 参考文献
- NHKスペシャル 新・電子立国 第4巻 ビデオゲーム・巨富の攻防: ISBN 4-14-080274-X
- それは『ポン』から始まった:赤城真澄 アミューズメント通信社 ISBN 4-9902512-0-2 C3076