シンドラーのリスト
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
シンドラーのリスト | |
監督 | スティーヴン・スピルバーグ |
---|---|
製作総指揮 | キャスリーン・ケネディ |
製作 | スティーブン・スピルバーグ |
脚本 | スティーブン・ザイリアン |
出演者 | リーアム・ニーソン ベン・キングズレー レイフ・ファインズ |
音楽 | ジョン・ウィリアムズ |
撮影 | ヤヌス・カミンスキー |
編集 | マイケル・カーン |
公開 | 1993年12月17日 |
上映時間 | 195分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語・ドイツ語 |
制作費 | 2500万ドル |
allcinema | |
IMDb | |
(■テンプレート/■ノート) |
『シンドラーのリスト」(Schindler's List)は、スティーヴン・スピルバーグ監督による1993年のアメリカ映画。第二次世界大戦時ナチス・ドイツによるユダヤ人の虐殺(ホロコースト)の中、企業家で、ナチスの党員でありながらオスカー・シンドラーが1,100人以上ものユダヤ人の命を救った実話を描く。スティーヴン・スピルバーグ自身もユダヤ系アメリカ人である。
一部カラーだが、基本的にモノクロ作品である。これはスティーヴン・スピルバーグ監督の「戦争を記録したフィルムはモノクロだからその方が説得力があるだろう」という考えによるものだが、その判断は正しかったと評価されている。ただし、パートカラーが採用され、赤い服の女の子などが登場する。
アカデミー賞では12部門にノミネート、そのうち作品賞、監督賞、脚色賞、撮影賞、編集賞、美術賞、作曲賞の7部門で受賞した。スティーヴン・スピルバーグは、それまでも「優れた娯楽映画をつくる映画監督」として映画界からも大衆からも高く評価されていた。これまでも「太陽の帝国」や「カラー・パープル」など深刻なテーマを扱ったことはあったものの、アカデミー作品賞・監督賞を受賞したのは初めてであった。
日本での公開は1994年2月。
目次 |
[編集] 「ノンフィクション」
シンドラーが自工場のユダヤ人を“結果的に虐殺から救った”物語は事実ではない。この当時シンドラーは強制収容所長アーモン・ゲートへの贈賄容疑で投獄されており、関与は不可能だった。本映画は、原作の小説をベースにしているため、劇中のエピソードは創作であり、事実関係も改変されている。一例を挙げると、映画ではシンドラーが1958年に「諸国民の中の正義の人」に名を連ねて顕彰されたとしているが、虚偽である。イスラエルのヤド・ヴァシェム・ホロコースト記念館が実際にシンドラーの名を登録したのは本映画が発表された1993年であった(外部リンク『Biographer takes shine off Spielberg's Schindler』を参照のこと)。
また、製作会社ユニヴァーサル映画は宣伝文句に「真実の物語にもとづいた」と謳っているが、「ノンフィクション」であるとは言っていない。
これらのことから「真実のジェノサイドは、国家問題も絡み映画化不可能なのではないか?」という疑惑も提出されるに至った。
[編集] スタッフ
- 製作:キャスリーン・ケネディ
- 監督:スティーヴン・スピルバーグ
- 原作:トーマス・キニーリー
- 脚本:スティーブン・ザイリアン
- 音楽:ジョン・ウィリアムズ
- ヴァイオリン・ソロ:イツァーク・パールマン
- 撮影監督:ヤヌス・カミンスキー
- 視覚効果:インダストリアル・ライト&マジック
- 編集:マイケル・カーン
[編集] キャスト
[編集] 裏話
- それまで濃い色調がメインという点を除けば特有の映像スタイルを持たず様々な撮影監督と映画を作って来たスピルバーグだが、本作以降ポーランド出身のヤヌス・カミンスキーとの連携によって作品のルックスが劇的な変貌を遂げた。
- 冒頭シーンでウエイター役で登場するプロデューサーの一人ブランコ・ラスティグは自身アウシュヴィッツに収容されたユダヤ人の生き残りである。過去『ソフィーの選択』、『ショアー』などホロコーストを扱った映画を制作した。
- 『シンドラーのリスト』の監督候補にはビリー・ワイルダー、マーティン・スコセッシ、ロマン・ポランスキーなどが挙がっていた。結局ユニバーサル側が提示した「『ジュラシック・パーク』の監督もやる」条件を受け入れスピルバーグが監督となった。
- スウェーデンのホロコースト映画"Good Evening Mr. Wallenberg(日本未公開)"を撮影前に6回観たスピルバーグは最初、その作品に出演していたステラン・スカルスガルドをシンドラー役にキャスティングしたが降板。リーアム・ニーソンを起用する事になった。
- 本作では連日悲惨な場面の撮影が続き、気が滅入ったスピルバーグは『フック』に出演したロビン・ウィリアムズに電話を掛け笑わせてもらったという。
- パートカラーは黒澤明監督作品『天国と地獄』にも見られる手法である。
- 作品中、最後の場面でシンドラーの墓にバラを置いて瞑想している人物は、オスカー・シンドラー役のリーアム・ニーソンである。
- スピルバーグは「血に染まった金は貰えない」として、監督料の受け取りを拒否した。
[編集] 外部リンク
1981: 炎のランナー | 1982: ガンジー | 1983: 愛と追憶の日々 | 1984: アマデウス | 1985: 愛と哀しみの果て | |
カテゴリ: スティーヴン・スピルバーグの監督映画 | アメリカ合衆国の映画作品 | 1993年の映画 | アカデミー賞作品賞受賞作 | 伝記映画 | 第二次世界大戦の映画 | ホロコースト