サイモン・ラトル
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サー・サイモン・ラトル(Sir Simon Rattle, 1955年1月19日 - )はイギリスの指揮者。2002年9月よりベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督を務める。
リヴァプール生まれ。幼い頃からピアノと打楽器を学び、いわゆるクラシック音楽のみならず現代音楽やジャズにも興味を持っていた。ナショナル・ユース管弦楽団では打楽器奏者を務めた。1971年ロンドンの王立音楽アカデミーに入学し指揮を学んだ。1974年ジョン・プレイヤー国際指揮者コンクールに優勝し、1976年にフィルハーモニア管弦楽団を指揮し、プロ指揮者としてデビューした。以後イギリスの主要なオーケストラを指揮し、グラインドボーン・オペラ音楽祭にも最年少でデビューした。
二十代前半の弱冠にして既に欧米各地のオーケストラに客演し、各地で好評を博し、様々なオーケストラからの主要ポストの申し出を受けたが、1980年、自国のバーミンガム市交響楽団の首席指揮者に就任し、周囲を驚かせた。有名なオーケストラに就任することで、注目と引き換えの商業的要求・しがらみに縛られることよりも、外的要求に煩わされることなく自分独自のスタイルをじっくり熟成させていくことを選んだ大器ぶりがうかがわれる。そして彼の就任当時には決して国内的・国際的知名度が高いとは言えなかったこのオーケストラを、徐々に世界的なオーケストラに育て上げた。1990年には同オーケストラの音楽監督に就任。同団との来日も数度果たしている。
1994年、イギリス音楽界での貢献が認められ、30代の若さでナイトに叙された。2002年、クラウディオ・アバドの後任として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者兼芸術監督に就任した。映画「ベルリン・フィルと子供たち」の製作や、若年層の聴衆および音楽人開拓のための「Zukunft@BPhil」を新機軸として打ち出し、ベルリン・フィルの伝統に新たな光を当てようとしている。
一方でラトルは、古典音楽に対するオーセンティックな演奏についても興味を持っており、古楽の演奏団体であるエイジ・オブ・エンライトゥンメント管弦楽団に客演し、古典派やロマン派の作曲家の管弦楽作品を指揮した。また、2004年BBCプロムスでは、同団と共にワーグナーの「ラインの黄金」を演奏会形式で上演した。
しかしまた、ベルリン・フィル着任前の時期には、ドイツの伝統的大作曲家、たとえばバッハ、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナーなどの録音が少ないことで、ドイツ音楽の正統的伝統を背負うベルリン・フィルのシェフにはふさわしくない、などと批判した人々もいる。
ラトルのレパートリーは極めて広範ではあるが、自分が納得したものを録音する姿勢が貫かれているため、彼のディスコグラフィーは全集が少なく、無秩序のように思われることがあり、それが批判されることもある。しかし、録音された演奏はいずれも高いレベルの演奏であり、世界で最も注目される指揮者の一人であることは間違いない。
ウィーン・フィルとの最初の録音であるマーラーの交響曲第9番、ベルリン・フィル就任内定後に進められたウィーン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集録音およびそれにブレンデルを加えてのベートーヴェンピアノ協奏曲全集録音が有名である。バーミンガム市響とはシベリウス・ブリテン・エルガー・マーラー・ストラヴィンスキー等の録音がある。ベルリン・フィル着任後は、就任披露演奏会のマーラー交響曲第5番の録音以来、新盤リリースは意図して抑制しているように見えたが、2005年以降、所属レーベルのEMIからCDが集中的にリリースされるようになった。
- バーミンガム市交響楽団
首席指揮者・音楽監督 - 1980 - 2002
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- 先代:
- 次代:
- サカリ・オラモ
- ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
首席指揮者・芸術監督 - 2002 -
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- 先代:
- クラウディオ・アバド
- 次代: