サイクルヒット
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サイクルヒットとは、野球・ソフトボールの試合において、一人の打者が単打、二塁打、三塁打、本塁打の4種類の異なる内容の安打を放つことを指す。サイクルヒットは和製英語であり、英語では hit for the cycle という。
日本プロ野球界では、1948年10月2日に藤村富美男(大阪タイガース)が最初に達成したが、これは後日認定されたものである。当時の日本球界で「サイクルヒット」の概念はなく、1965年7月16日にダリル・スペンサー(阪急ブレーブス)がサイクルヒットを達成した際、スペンサーが記者に「何故自分に質問をしてこないのか。これはサイクルヒットといって、とんでもない記録なんだ」と言ったのがきっかけで、記録を洗い直した結果、藤村が日本での最初の達成者であることが判明した。
この記録を狙う上で最も難しいとされるのが三塁打を放つことである。三塁打を打てるかどうかは打者の足の速さに大きく左右され、またサイクルヒットを達成する上で必要な、本塁打を量産する打者ほど、外野手が深く守るため三塁打が出にくくなる。よって、三塁打だけを放てず記録を達成できなかった例は多々ある。逆にシーズン唯一の三塁打がサイクルヒットにつながった例も見られるが、1980年7月29日に達成した大宮龍男(日本ハムファイターズ)はシーズン唯一の三塁打と本塁打が快挙に結びついた、非常に稀有なケースである。三塁打を撃つためには俊足が必須条件とされるが、そうでない選手が達成したケースも見られる(中村紀洋や山本浩二など)。また、中村紀洋は1994年9月18日に、プロ入り初の三塁打をサイクルヒットに結び付けている。
また、サイクルヒットは達成する以前に、達成のチャンスを作ること自体が難しいため、日本を代表するスターである長嶋茂雄やイチローや松井秀喜などであっても達成したことのない選手がいる(川上哲治・大下弘・王貞治・張本勲・山本浩二・衣笠祥雄・若松勉・福本豊などは達成している)。
古田敦也は公式戦においては記録していないが、1992年のオールスターゲーム第2戦でオールスター史上初のサイクルヒットを記録している。
なお、サイクルヒットは猛打賞とは異なり、連盟表彰が行われ、通算150本塁打、100勝などの節目の記録と同様に記録達成者として公式に名前が残る。
[編集] 主な記録
- 最多記録者 - ロバート・ローズ(横浜)3回(1995年5月2日中日戦、1997年4月29日ヤクルト戦、1999年6月30日広島戦)
- 2回記録しているのは藤村富美男・松永浩美。
- 最速サイクルヒット - 稲葉篤紀(ヤクルト)(2003年7月1日横浜戦、5回の攻撃で達成)
- 同日に複数人が達成 - 2003年7月1日(稲葉篤紀と村松有人)
[編集] エピソード
- 一人の打者が1試合にソロ、2ラン、3ラン、満塁ホームランの異なる4種のホームランを打つことを俗にサイクルホームランと呼ぶ。しかし、プロ野球及びMLBの公式戦では記録されたことがない。
- 松井秀喜は巨人時代の2001年5月23日のヤクルト戦(東京ドーム)で二塁打、三塁打、本塁打を打ち、あと単打が出ればサイクル達成という状況において、第5打席でヒットを打ったが、一塁に止まらずに二塁打へ進塁したため記録を逃した。わざと一塁で止まれば記録は達成できたが、チームがリードを許している状況であったため、あえて記録よりチームプレーを優先したものである。
- 吉岡雄二は近鉄時代の2001年6月22日のダイエー戦で、単打、三塁打、本塁打を打ち、あと二塁打が出ればサイクルヒット達成という状況において、二死満塁で第四打席を迎えた。そして吉岡は、なんと満塁本塁打を打ってしまい、サイクルヒットはならなかった。この話にはおまけがついており、この時の走者の一人であった中村紀洋に「三塁踏まないでホームインしたらサイクルヒットですよ」と茶化されたそうだが、吉岡はこれをしなかった。上記の通りサイクルヒットは連盟表彰され、また一生に一度達成できるかどうかというものなので、満塁本塁打を帳消しにしてでも達成する価値はある、とも取れるエピソードである。なお、試合のほうは近鉄が先発全員安打、18-9で勝利しており、吉岡は大量リードしている状況で第四打席を迎えていた。なお、第五打席でもサイクルヒット達成の可能性があったがシングルヒットに終わった。
- ロサンゼルス・ドジャース元監督のトミー・ラソーダは現役時代に一試合で一塁、二塁、三塁、本塁のすべてでアウトになったという話があり、これは同氏の鈍足ぶりを示す笑い話として有名なようである。ただし本人は否定している。