ウェスパシアヌス
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ウェスパシアヌス(Titus Flavius Vespasianus , 9年11月17日 - 79年6月23日)はローマ帝国の皇帝である。騎士身分の出のウェスパシア・ポッラと結婚により騎士身分となった父フラウィウス・サビヌス(アシア属州の徴税請負人)の子としてサビニ地方のレアテで生まれた。ユリウス・クラウディウス朝断絶後の4皇帝内乱の時代(68年6月~69年12月)に終止符を打ち、自らの血統に基づくフラウィウス朝を創始した。あとを継いで皇帝に即位したティトゥスとドミティアヌスの父にあたる。
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[編集] 年表
[編集] 功績と汚点
- 初代元首アウグストゥス以来、ユリウス・クラウディウス王朝の皇帝たちに与えられていたのと同じ権限をウェスパシアヌスに付与する「ウェスパシアヌスの命令権に関する法律」を元老院に制定させた。これによって、ウェスパシアヌスもユリウス・クラウディウス王朝の諸皇帝と同じように統治できる法的基盤が整備された。
- 従来元老院に(慣習的に)与えられていた皇帝弾劾権を否定したため、権力の均衡が崩れたとされる。
- ネロの命令により、66年よりユダヤ戦争を担当。70年9月、息子のティトゥスがイエルサレムを陥落させ、74年の春、フラウィウス・シルウァがマサダの要塞を陥落させたため、ユダヤ戦争を終結することができた。
- 74年に有料の公衆便所を設置した。敵対者の嘲笑を受けたが、それに対する反論のPecunia non olet(金は臭わない)は有名な文句となった。
- 75年に、コロッセウム(現コロッセオ)の建設を開始した。
[編集] 後世の評価
[編集] 参考文献
[編集] 内部リンク
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