イタリア・ルネサンス年表
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イタリア・ルネサンス年表
主に「イタリア・ルネサンスの文化」に関する年表。
目次 |
[編集] 1300年-1399年
1300年代(トレチェント Trecento)
- 1308年 - 教皇庁のアヴィニョン捕囚(-1377年)
- 1321年 - ダンテ死去(代表作『神曲』)
- 1333年 - シモーネ・マルティーニ「受胎告知」
- 1340年頃 - イタリア初の多声音楽文化トレチェント音楽
- 1341年 - ペトラルカ、桂冠詩人に
- 1348年頃 - ヨーロッパにペスト大流行
- 1378年 - 教会大分裂(-1417年)
[編集] 1400年-1499年
1400年代(クアトロチェント Quattrocento):フィレンツェの経済力を背景に文芸、美術など各分野に人材が輩出し、ルネサンス文化が栄える。東ローマ帝国の知識人がもたらしたギリシャ語文献や印刷術の発明から大きな刺激を受ける。
- 1401年 - フィレンツェ大聖堂洗礼堂の扉の設計競技、ロレンツォ・ギベルティが当選
- 1418年 - フィレンツェ大聖堂大ドームの設計競技、フィリッポ・ブルネレスキが当選(1436年に大聖堂の献堂式)
- 1431年 - ロレンツォ・ヴァッラ論文『快楽論』(エピクロス主義)
- 1438年 - フェラーラ・フィレンツェ公会議、メディチ家が支援(-1445年)
- 1453年 - 【東ローマ帝国】コンスタンティノープルの陥落(東ローマ帝国滅亡)
- 1455年頃 - 【ドイツ】ヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の聖書刊行
- 1463年 - フィチーノ『ヘルメス文書』を翻訳
- 1485年頃 - ボッティチェッリ「ヴィーナスの誕生」
- 1486年 - ピコ・デラ・ミランドラがローマで哲学の討論会を企画するが中止
- 1492年 - フィレンツェの黄金時代を築いたロレンツォ・デ・メディチ死去
- 1494年 - サヴォナローラによるフィレンツェの神政政治(-1498年)
- 1498年 - レオナルド・ダ・ヴィンチ、最後の晩餐(ミラノ)
[編集] 1500年-1599年
1500年代(チンクエチェント Cinquecento):ローマを中心にルネサンス文化が最盛期を迎えるが、間もなく宗教改革が起こり、1527年のローマ略奪により荒廃。文化の中心はフランスやヴェネツィアなどに移り、マニエリスムと呼ばれる傾向が表れる。宗教改革への反動と外国の侵略によりイタリアのルネサンス文化は衰退に向かう。
- 1504年 - ミケランジェロ、ダビデ像(フィレンツェ)
- 1505年 - 教皇ユリウス2世、サン・ピエトロ大聖堂の改築を決定
- 1512年 - ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂の天井画・天地創造を完成
- 1513年 - メディチ家出身の教皇レオ10世が即位、マキャヴェッリ『君主論』執筆
- 1517年 - 【ドイツ】ルターの宗教改革始まる
- 1521年以降 - ハプスブルク家とヴァロア家(フランス)とがイタリアを巡って争う(イタリア戦争、-1544年)
- 1527年 - 神聖ローマ帝国の攻撃でローマが壊滅(ローマ略奪)
- 1528年 - カスティリオーネ『宮廷人』出版
- 1530年 - メディチ家出身の教皇クレメンス7世が皇帝カールに戴冠式を行う
- 1542年 - ミケランジェロ、システィーナ礼拝堂の壁画・最後の審判を完成
- 1545年 - ブロンズィーノ「愛のアレゴリー」(マニエリスムの代表作)
- 1550年 - ヴァザーリ『画家・彫刻家・建築家列伝』出版
- 1555年 - 【フランス】ノストラダムス『予言集』刊行
- 1558年 - デッラ・ポルタ『自然魔術』出版
- 1562年 - 【フランス】ユグノー戦争(-1598年)
- 1563年 - トリエント公会議が終わる(対抗改革)
- 1570年 - パッラーディオの住宅建築ロトンダ完成(ヴィチェンツァ)
- 1597年頃 - ヤコポ・ペーリによる『ダフネ』(最古のオペラ)
[編集] 1600年以降
1600年代(セイチェント Seicento)
- 1600年 - ジョルダーノ・ブルーノ火刑
- 1626年 - サン・ピエトロ大聖堂献堂式
- 1633年 - ガリレオ・ガリレイの第2回宗教裁判
- 1638年 - バルベリーニ宮完成(バロック建築)