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サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂 - Wikipedia

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(―だいせいどう、Santa Maria del Fiore)は、イタリアフィレンツェにあるキリスト教カトリックの教会。フィレンツェの大司教座聖堂であり、ドゥオーモ(大聖堂)、サン・ジョヴァンニ洗礼堂、ジョットの鐘楼の三つの建築物で構成される。教会の名は「花の(聖母)マリア」の意。

左から洗礼堂・大聖堂・鐘楼(西からの眺め)
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左から洗礼堂・大聖堂・鐘楼(西からの眺め)

目次

[編集] 概要

大聖堂 配置図
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大聖堂 配置図

巨大なドームが特徴的な大聖堂は、イタリアにおけるゴシック建築および初期のルネサンス建築を代表するもので、フィレンツェのシンボルとなっている。石積み建築のドームとしては現在でも世界最大。

建物の主軸はほぼ東西に通り、西に八角形の洗礼堂、東にラテン十字の平面をもつ大聖堂がならび、両者の正面玄関が正対する。大聖堂は東に至聖所、西に正面玄関をもつ。(キリスト教において東はイエス・キリストを象徴する方角であり、教会の祭壇は東に正対しておかれるのが基本形であった)

鐘楼は大聖堂の南西隅に配置されている。大聖堂の広場をへだてた東側には付属の美術館があり、教会の宝物や、かつて外部をかざっていた美術品がおさめられている。

三つの建築物とも世界遺産フィレンツェ歴史地区の一部として指定されている。

[編集] サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂

1296年から140年以上をかけて建設された。外装は白大理石を基調とし、緑、ピンクの大理石によって装飾され、すこぶるイタリア的なゴシック様式に仕上がっている。クーポラとランターン(採光部)は初期ルネサンス、そしてファサード(正面)はネオ・ゴシックによる混成様式である。全長153m、最大幅90m、高さ107m。八角形の大クーポラの内径は43m。聖堂の大きさとしては世界で4番目に大きい。

[編集] 歴史

旧聖堂・大聖堂計画・現大聖堂の平面
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旧聖堂・大聖堂計画・現大聖堂の平面

現在のドームは3代目。それ以前の大聖堂は、現在の教会堂の地下に眠っており、サンタ・レパラータ教会と呼ばれた。最初の教会堂は4世紀から5世紀に古代ローマ時代のドムス跡に建設されたが、ビザンティン時代の戦役によって破壊されたために、7世紀から9世紀にかけて再建された。現在、このロマネスク様式の大聖堂は、その内観の一部が公開されており、側廊を持ち、後陣を柱で分ける平面形式をみることができる。

14世紀に至るまで、建築、芸術の双方において主導権をにぎることのなかったフィレンツェだったが、ピサシエナの大聖堂建立に触発されてこれを凌ぐ大聖堂の建設を開始した。1294年、フィレンツェ羊毛業組合 (Arte della Lana) は、最も高名な彫刻家であったアルノルフォ・ディ・カンビオにその設計を依頼した。のちに多くの工匠がたずさわったために、彼の最初の計画がどのようなものであったかは現在でも論争があるが、その形は現在のものとほぼ変わっておらず、中央部がサン・ジョヴァンニ洗礼堂の影響を受けて八角形であったこと、ローマ・カトリックの教会建築としては当時世界最大のものだったことは確実である。

大聖堂の内部空間
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大聖堂の内部空間

1296年9月8日に礎石が置かれ、建設が開始される。しかし1302年にアルノルフォが死去、建築はいったん中断した。大聖堂のための石材は、パラッツォ・ヴェッキオと第3市壁のために転用された。建築依頼主であるフィレンツェ羊毛業組合は建築責任者の後任を探し、1334年ジョットを指名した。彼は、鐘楼の計画を押し進めたが、塔の建築途中(1337年)に死去した。

1355年から再開された工事は、フランチェスコ・タレンティ、アルバート・アルノルディ、ジョバンニ・ダンブロージョ、ジョバンニ・ディ・ラポジーニ、ネーリ・ディ・フィオラヴァンテ、オルカーニャなどの手を経る。とくにフランチェスコ・タレンティは、1357年から1366年にかけて、東端部をアルノルフォの計画よりも拡張し、現在の形に変更した。 1380年には大聖堂の身廊が完成し、1418年にはクーポラ(ドーム部分)を残すのみとなった。

大聖堂の天蓋
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大聖堂の天蓋

14世紀末から、クーポラの架構は建設が危惧されていたが、1410年には中央上部にドラム(クーポラの基部)が築かれたため、その高さは55mに達し、工事をさらに困難なものにした。記録には、1417年までに様々な人物による図面や模型のやり取りが残されている。1418年8月19日、当時の建築技術では建築不可能といわれたクーポラの模型公募の布告が行われ、ロレンツォ・ギベルティフィリッポ・ブルネレスキドナテッロ、そしてナンニ・ディ・バンコの案の応募があった。それまでの建築法ではドームを築くために巨大な足場と仮枠が必要であったが、ブルネレスキは、独立した2重の構造を持つドームを仮枠なしで築く案を提出した。2重構造では重量が増し、危険ではないかと批判を受けたが、最終的にブルネレスキの案が採用された。ブルネレスキの手腕を不安視する意見があったため、ギベルティも建設責任者として指名された。1420年8月7日、建設が開始され、1434年8月30日にはクーポラ頂頭部の円環が閉じられて一応の完成をみる。これにより、1436年3月25日には教皇エウゲニウス4世によって大聖堂の献堂式が行われた。このクーポラは木の仮枠を組まずに作られた世界で最初のドームであり、建設当時世界最大であった。

ブルネレスキはクーポラを完成させたが、クーポラ頭頂部にのせるランターン(明り取りの先端部)については1436年12月31日に承認されたデザインのみで、建築方法を考えていなかった。そのため、新たにランターンを載せる方法についてのコンテストが行われた。これにはミケロッツォ設計が採され、ブルネレスキが死去する数ヶ月前の1446年3月13日に建設が始まり、1461年に完成する。

[編集] ファサード

大聖堂西側のファサード(正面)はアルノルフォ・ディ・カンビオの設計により、建設と同時に着工された。カンビオの死後、その設計に基づくファサードは下部のみが完成した状態であった。しかし1490年代には、このファサードは堅固でないという報告がされた。ロレンツォ・デ・メディチによってファサード再建が提議され市民はこれを支持、さまざまな芸術家によって再建案の議論が重ねられたが、結論はでなかった。1587年に、フランチェスコ・デ・メディチの命で建築家ベルナルド・ブオンタレンティがファサードを撤去した。これはフランチェスコが構想したフィレンツェの都市計画の一環だったが、ブオンタレンティのデザインしたファサードに非難の声があがり、計画は実現しなかった。一時1689年に石とセメントの表面に彫刻がほどこされているかのようなだまし絵が描かれたこともあったが、それもはげおち、19世紀までファサードはそのままであった。そこでフィレンツェの自治体は最初の構想をもとにファサードを再建することを決定、1864年にコンクールが行われ、エミリオ・デ・ファブリスによる新しいファサードが建設された。この建設は1876年に始まり、1887年に完成した。銅製の巨大な扉は1899年から1903年にかけて製作されたものである。

[編集] 大聖堂内の装飾品

内部空間はイタリア独特のゴシック様式で簡素である。しかし、それだけにギベルティなどが1432年から1445年にかけてデザインしたステンドグラスや、1526年から1660年にかけて作られた大理石の床、そのほかの装飾品をゆっくりと眺めることができる。

大聖堂天蓋の見上げ『最後の審判』
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大聖堂天蓋の見上げ『最後の審判』
大聖堂内部の装飾
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大聖堂内部の装飾
  • クーポラ内フレスコ『最後の審判』 - ジョルジョ・ヴァザーリ、フェデリコ・ズッカリ
  • ドラムのステンドグラス『受胎告知』・『降誕』・『菜園での祈り』・『キリストの奉献』・『復活』・『昇天』など - アンドレア・デル・カスターニョ、ドナテッロ、ロレンツォ・ギベルティ、 パオロ・ウッチェロ1438年から1445年にかけて製作)
  • 後陣内『聖ザノービの棺』 - ロレンツォ・ギベルティ
  • 聖具室寄木細工の戸棚 - アンジェロ・ディ・ラザーロ・ダレッツォ、ベルナルド・ディ・トンマーゾ・ディ・ギーゴ、スケッジョーネ、アントニオ・マネッティ、ジュリアーノ・ダ・マイアーノベネデット・ダ・マイアーノ(ジュリアーノ・ダ・マイアーノによる製作は1463年から1465年)
  • 聖具室扉上部パネル『復活』『昇天』 - ルーカ・デッラ・ロッビア(『復活』は1442年から1445年、『昇天』は1446年から1451年にかけて製作)
  • 聖具室扉 - ルーカ・デッラ・ロッビア、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、マーゾ・ディ・バルトロメオ(1446年から1469年にかけて製作)
  • 祭壇上の『十字架』 - ベネデット・ダ・マイアーノ(1490年頃)
  • 北側絵画『ダンテ「神曲」の詩人』 - ドメニコ・ディ・ミケリーノ
  • 北側壁面フレスコ『傭兵隊長ニコロ・ダ・トレンティーノ』 - アンドレア・デル・カスターニョ
  • 北側壁面フレスコ『傭兵隊長ジョン・ホークウッド』 - パオロ・ウッチェロ(1436年製作)
  • 北側彫像『ヨシュア像(ポッジョ・ブラッチョリーニ像)』 - ナンニ・ディ・バルトロ(1420年から1421年にかけて製作)
  • 南側彫像『預言者ダニエル』 - ドナテッロとされるが疑問視される
  • 南側彫像『ジョットの胸像』 - ベネデット・ダ・マイアーノ(1490年頃)
  • 西側壁面24時間時計装飾 - パオロ・ウッチェロ(1443年製作)
  • 南側外壁モザイク『み告げ』 - ダビデ、ドメニコ・ギルランダイオ
  • 南側外壁レリーフ『聖処女マリア』、『マリアの被昇天』 - ナンニ・ディ・バンコ
  • 北側外壁『マンドルラの門』 - ジョヴァンニ・ダンブロージョ(上部浮彫装飾はナンニ・ディ・バンコによるもので1414年から1421年にかけて製作)

また、このほかルーカ・デッラ・ロッビアとドナテッロによる聖歌隊席などの貴重な装飾品は、ドゥオーモ付属美術館に収められている。

[編集] 拝観

大聖堂へはいつでも無料で中に入ることができる。地下部分にはサンタ・レパラータ聖堂の遺構への入り口がある。高さ90mのクーポラ頂上までは日曜日以外ならば、一人6ユーロで上れる。階段464段である。

大聖堂のミサはほぼ2時間置きに行われる。日曜朝11時のミサは身廊中央の大祭壇で司式される。そのほかのミサは左脇の礼拝堂で行われている(聖体訪問もこちら)。

[編集] ジョットの鐘楼

ジョットの鐘楼
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ジョットの鐘楼

ジョットの鐘楼 (Campanile di Giotto) は、大聖堂の脇に建設されている高さ約84m、大聖堂と同じく赤、白、緑の大理石で作られているゴシック様式の鐘楼である。

[編集] 歴史

大聖堂の建設にあたって、1334年に工匠頭に任命されたジョットは、アルノルフォ・ディ・カンビオの構想にあった鐘楼の計画に専念し、すぐにその建築を開始した。しかし、ジョットは基底部分の建築が済んだ時点(1337年)で死去し、以後は弟子のアンドレア・ピサーノ、1350年以降は聖堂の建築を指揮していたフランチェスコ・タレンティが引き継いでいる。聖堂よりも100年も早い1387年に塔は完成したが、当初計画された塔頂部の尖塔は造られなかった。

[編集] 鐘楼の装飾

象眼や彫刻で飾られた基底部分はジョットの構想によるもので、56枚のレリーフと16体の彫刻(オリジナルはドゥオーモ付属博物館に収められている)で飾られ、どことなくアルノルフォ・ディ・カンビオによる装飾を想起させる。2階部分はピサーノ、さらに上の3つの階はタレンティの指揮によるもので、上部に行くに従って各層の大きさが増大するようになっている。タレンティの指揮した層には、装飾的な意味しかもたない破風とねじれ柱を備えたランセット窓(槍の穂先に似たアーチを持つ窓)が取り付けられている。これらは明らかにその様式が異なるが、全体としての調和は損なわれていない。

  • 外壁浮彫『技芸と職業(絵画、彫刻、建築、金工、医術、機織)』 - アンドレア・ピサーノ、ニーノ・ピサーノ(1336年から1350年頃にかけて製作)
  • 外壁浮彫『文法』『哲学』『音楽』『占星術』『幾何学』- ルーカ・デッラ・ロビア
  • 外壁西面彫像『預言者エレミヤ』『預言者ハバクク』 - ドナテッロ(『エレミア』は1425年頃、『ハバクク』は1430年頃に製作)
  • 外壁西面彫像『洗礼者ヨハネ』『預言者オバデア』 - ナンニ・ディ・バルトロ
  • 外壁東面彫像『紙巻きを持つ預言者』『髭のある預言者』 - ドナテッロ(『紙巻きを持つ預言者』は1415年から1418年、『髭のある預言者』は1415年から1420年にかけて製作)
  • 外壁東面彫像『預言者』 - ジュリアーノ・ダ・ポッジポンシと推定
  • 外壁東面彫像『アブラハムとイサク』 - ドナテッロとナンニ・ディ・バルトロ(1421年に製作)

鐘楼外壁の装飾はほとんどレプリカである。オリジナルは大聖堂付属美術館に収蔵されている。

[編集] 拝観

1月1日、復活祭の日曜日、12月24・25日以外であれば、6ユーロで塔の屋根部分まで登ることができる。階段は414段。

[編集] サン・ジョヴァンニ洗礼堂

背面からみた洗礼堂。奥は大聖堂。
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背面からみた洗礼堂。奥は大聖堂。

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属の洗礼堂。大聖堂の正面玄関に向き合って立っている八角形の建築物で、ロマネスク様式の最も重要な集中形式の教会建築のひとつである。アーヘンの宮廷礼拝堂を想起させるが、祭室と壁内通路以外には付室を持たない非常に単純な形式の八角堂である。

[編集] 歴史

この洗礼堂の起原は4世紀から5世紀にさかのぼる。現在の建物は、三つの建築物の中では最も古いロマネスク建築で、11世紀に起工されたものである。長い間、軍神マルスを祭ったローマ神殿であり、それが洗礼者聖ヨハネのために奉納しなおされたものであると信じられていた(初期ルネサンスの建築家たちもそう信じていた)。

屋根部分全体は1128年に、頂頭部のランターンは1150年に、司教座のある内陣は1202年に完成した。サンタ・レパラータ教会が見劣りするためと考えられるが、こちらが礼拝堂として用いられていた。しかし、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の建立にともなって、1355年から1375年まで改修を行い、礼拝堂に入る前に洗礼を施す洗礼堂として使われるようになった。この洗礼堂で洗礼を受けたダンテ・アリギエーリは、『神曲』地獄篇で「わが美しき聖ジョヴァンニ」とこの洗礼堂に言及している。

[編集] 洗礼堂の装飾

洗礼堂内部は、床は一面のモザイク模様、壁面は外装と同じく大理石による幾何学模様が施されている。天井は13世紀のモザイク画『最後の審判』の他、聖書にまつわる多くの場面のモザイク画で飾られている。

『天国への門』
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『天国への門』

この洗礼堂はロレンツォ・ギベルティによる東側の扉が特に有名であり、後にミケランジェロが「天国への門」と呼んで賞賛したことから主にこの名で呼ばれる。現在の扉はレプリカで、本物はドゥオーモ付属博物館に所蔵されている。

1401年、北側の扉の製作者公募が公告された。これはコンクール形式で製作者が選ばれる最初の例といわれており、7人の技師、芸術家がこれに応募した。最後にロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキが選に残り、ギルベルティが選ばれたとも、ギルベルティとの共同制作をブルネレスキが辞退したとも伝えられている。ブルネレスキはコンクールを境にローマへ赴いて建築を学び、後に建築家として大聖堂のクーポラの設計を行った。このコンクールがルネッサンスの幕開けのひとつとしてよく語られている。

現在残る洗礼堂内の洗礼盤は1416年にドナテッロ、ロレンツォ・ギベルティ、ヤコポ・デラ・クエルチャ、トゥリーノ・ディ・ヴァンニ、ジョヴァンニ・トゥリーニによるものである。

  • 『キリストの生涯』北側の扉 - ロレンツォ・ギベルティ(1424年完成)
  • 『天国への門』東側の扉 - ロレンツォ・ギベルティ(1452年完成)
  • 『イエスの洗礼』東側扉上彫刻 - アンドレア・サンソヴィーノ
  • 『洗礼者ヨハネの生涯』南側の扉 - アンドレア・ピサーノ(1330年から1336年にかけて東側の扉として製作)
  • 教皇ヨハネ23世墓碑  ドナテッロ、ミケロッツォ・ディ・バルトロメオ、パーニョ・ディ・ラーポ・ポルティジャーニ(1425年から1428年にかけて製作)

[編集] 拝観

1月1日、復活祭の日曜日、12月24・25日外であれば、3ユーロで内部を見学することができる。

[編集] 大聖堂や礼拝堂で起こった出来事

サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂をめぐる出来事として最も著名なもののひとつは、1478年のパッツィ家の陰謀である。パッツィ家とメディチ家の対立が激化し、その結果、パッツィ家はロレンツォ・イル・マニーフィコの殺害を計画した。

4月26日、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂の復活祭ミサでパッツィ家に組する暗殺者がメディチ兄弟を襲った。兄ロレンツォはかろうじて逃れたが、弟ジュリアーノは刺殺された。暗殺者らは市民に反乱を呼びかけるも失敗。暗殺者だけでなく、パッツィ家当主をはじめ100人近くが捕らえられて、死刑になった。容赦の無い処断に、パッツィ家と結んでいた時の教皇シクストゥス4世を激怒させ、教皇庁とフィレンツェの間で二年におよぶパッツィ戦争が起こった。

またあるとき、聖ジョヴァンニ礼拝堂に集った群集が争い、そのさなかに小児が洗礼を授ける大理石の水盤にはまってしまった。溺れ死にかけたところをダンテが斧をふるってその水盤を破壊し、子供の命を助けた。しかしその後、水盤を壊したことで批難されたためか、『神曲』「地獄篇」中でそのことを弁解している(地獄篇第十九歌)。

[編集] 関連項目

[編集] 参考文献

  • ピーター・マレー著 桐敷真次郎訳『図説世界建築史 ルネサンス建築』(本の友社)
  • ジョルジョ・ヴァザーリ著 森田義之監訳『ルネサンス彫刻家建築家列伝』(白水社)
  • ニコラス・ペヴスナー他著 鈴木博之監訳『世界建築辞典』(鹿島出版会)

[編集] 外部リンク

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