アルデバラン
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アルデバランはおうし座にある恒星である。視等級は0.85等と表記する資料が多いが、変光星であり、眼視で変光を確認するのは難しいが、光電測光を用いなくても写真観測で僅かに変光するのが分かる。バイエル符号はおうし座α星、フラムスティード番号はおうし座87番星。学名はα Tauri(略称はαTau)。太陽を除けば、地球から見える中で13番目に明るい恒星である。
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[編集] 名称
アルデバラン(Aldebaran)という名前は、アラビア語のアル・ダバラン(Al Dabaran)に由来する。これは、「後に続くもの」という意味であり、アルデバランが東の地平線から昇ってくるときに、プレアデス星団の後に続いて昇ってくることからの命名である。また、コル・タウリ(Cor Tauri)という名前もあり、これはラテン語で「牡牛の心臓」という意味である。アルデバランは心臓に当たる場所にあるわけではないが、アルデバランのオレンジ色が心臓を連想させたのだろう。英語では、ブルズ・アイ(Bull's Eye)「牡牛の目」と呼ばれる。日本にも、後星(あとぼし)、統星の後星(すばるのあとぼし)、統星の尾の星などという、アラビア語と同じ発想の名前が見られる。また、赤星という、色に着目した名前もある。
[編集] 位置
アルデバランは、明るい恒星が多い冬の星座の中にある。カペラ、ポルックス、プロキオン、シリウス、リゲル、アルデバランを結んだものを、冬のダイヤモンドという。オリオン座の真ん中に並んでいる3つの星を、東から西(北半球では、左から右)に結んで延長していくと、最初に突き当たる明るい星がアルデバランである。北半球の中緯度地域では、12月上旬頃には、ほぼ一晩中アルデバランを観察することができる。また、春の夕方や、秋の明け方にも見えることができる。黄道のすぐそばにあるため、毎年5月下旬から6月上旬には太陽がすぐそばを通り、この頃は地上からは全く観測することができない。同じように、惑星や月も頻繁にそばを通過する。時には月に隠されてしまう(星食)こともある。1等星のなかで、月に隠されることがある恒星は、他にレグルス、スピカ、アンタレスがある。
[編集] 特徴
スペクトル型はK5 IIIであり、肉眼でもオレンジ色に見える。ヒッパルコス衛星によると、太陽からの距離は65.1光年である。アルデバランがオレンジ色をしているのは、核融合の燃料となる水素を使い果たして主系列星から赤色巨星に移行しているからであり、現在はヘリウムを核融合させている段階である。アルデバランの質量は太陽の約2.5倍であり、直径は太陽の38倍にも達する。太陽の150倍もの明るさで輝いており、絶対等級は-0.65等である。LB型の脈動変光星であり、0.75等から0.95等までわずかに明るさを変える。二重星でもあり、13.5等級の小さな赤色矮星が主星から数百AUのところを回っていて、地上から見ると31秒角離れて見える。1997年には、巨大な惑星か小さな褐色矮星を持っている可能性が報告された。質量は最小で木星の11倍であり、アルデバランから1.35AUの軌道を回っている。
アルデバランの周囲には、地球に比較的近い星団であるヒアデス星団がV字型に広がって見え、アルデバランもそれに属するように見える。双眼鏡でアルデバランを見ると、周囲にたくさんの星が輝いていて大変美しい。しかし、ヒアデス星団は地球から151光年離れており、アルデバランの2倍以上遠い。実際には、アルデバランは独立した恒星である。
アルデバランは、固有運動が比較的大きい星である。1718年、アテネで509年にアルデバランの星食が起こったという記録を調べていたエドモンド・ハリーは、彼の時代のアルデバランの位置では星食は起こらず、当時のアルデバランは数分角だけ北にずれていたはずだということに気づいた。現在では、アルデバランは、1年間に0.2秒角の速度で南南東に動いており、秒速54kmで太陽系から遠ざかっていることが分かっている。これは、9000年で月の直径分動く速度である。また、固有運動を遡っていくと、昔は現在より地球に近かったことが分かる。20万年前には、アルデバランは-0.6等ほどで輝いていただろう。
初めて太陽系を離脱し、外宇宙に旅立ったアメリカの木星無人探査船・パイオニア10号は、現在このアルデバランを目指して飛行中である。アルデバラン付近に到着するのは、今から約200万年後と推定されている。
[編集] 信仰
占星術では、アルデバランは富と幸福の前兆となる幸運の星だと考えられてきた。ペルシア人にとっては、紀元前3000年頃から、アンタレス、フォーマルハウト、レグルスと並んで、ロイヤル・スター(王家の星)の1つだった。