アドバンスト・マイクロ・デバイセズ
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アドバンスト・マイクロ・デバイセズ (Advanced Micro Devices, Inc. / AMD、NYSE: AMD) は、アメリカの半導体製造会社である。インテルx86互換マイクロプロセッサ及び自社64Bit技術のAMD64対応マイクロプロセッサやフラッシュ・メモリ等を生産している。1969年に設立。AMDをアムドと読む人もいるが、AMDの日本法人である日本AMDは公式発表などでは常にエーエムディーと言っている。なお、日本AMDの本社は東京都新宿区。
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[編集] 歴史
AMDの設立は、1969年のこと。1968年にFairchild Semiconductorを退社したジェリー・サンダース(Jerry Sanders)氏などによって設立された。
[編集] セカンドソースメーカーとして
x86命令セットで動作するプロセッサは、インテル社が開発した。インテルは今でこそ潤沢な製造能力を持つ世界最大の半導体メーカーであるが、当時は設立されたばかりの弱小メーカーに過ぎず、大手コンピュータメーカーが提示した採用条件は、インテルのみならず他社からも同一製品の供給体制を作らせることで供給不足の心配を回避することだった。これは互換プロセッサの開発を認めさせるという意味ではなく、インテルが開発したプロセッサを全くそのまま、性能も機能も、不具合すら同じ製品を製造させるという契約であることを意味し、これをセカンドソース契約と呼ぶ。AMDも当初はそのようなインテルのセカンドソースを製造するメーカーの一つだった。
しかしインテルはその業績の向上とともに製造能力を拡充し、1985年に発表になったi386プロセッサ(当初の名称は80386)以降インテルはセカンドソースを認めず、製造に必要な資料を公開しない方針を取った。多くのセカンドソースメーカーはそれを期に撤退をするが、AMDを含む数社は独自性を加え、同一ではないものの互換性のあるプロセッサの製造を開始する。
- 1975年:インテルとセカンドソース契約を締結。当時のライセンスは8085。
- 1982年:インテルと8088のセカンドソース契約締結。IBMがIBM PCに搭載するチップにセカンドソースを要求したため、インテルはAMDを含む複数の製造会社と契約せざるを得なかった。
- 1987年:386ライセンスに関しAMDとの12年に及ぶ訴訟が始まる。この訴訟は1994年に結審し、AMDの勝利に終わった。
- 1988年:インテルがAMDを286の特許権侵害で告訴。だが、インテルの提出した証拠書類に改ざんがあった事が発覚、また、セカンドソースライセンスが有効と認められ再審の結果AMDが勝訴。
[編集] 互換プロセッサベンダ化とインテルとの訴訟
AMDは1991年、最初の互換プロセッサ「Am386」を投入する。しかしこのときインテルはi486世代を発売していたが、いまだ高価であったため、既存の386互換プロセッサとして安価なPCへの搭載が進む。 その後AMDは486互換プロセッサ「Am486」の開発に取りかかった。だが、インテルはマイクロコードをAMDに提供していたにもかかわらず、訴訟という形で、AMDのマイクロコード使用が不正なものであると主張し、Am486は出荷差し止めの仮処分を一時的に受けてしまう、これは、i486シリーズよりも安価で高速なAm486シリーズが好調に売り上げを伸ばしi486シリーズの販売を圧迫したためで、次世代製品販売までの時間稼ぎの意味もあった。しかし、Am486シリーズは、Am486DXやAm486SX等が出荷され、インテルが恐怖を覚えるほどに売れた、このことがインテルをAMDに対する訴訟へと向かわせた。 Am486の好調な売り上げに対しインテルは、互換プロセッサ採用メーカに対する出荷制限等で対抗しインテル製品のシェア確保に技術力以外の訴訟という力を使うようになった。これは、インテルが独占的立場を利用して市場を操作するために有利に働き、後のAMDによる独占禁止法違反告発へとつながっていく。(2006年に正式告発)
1993年、i486互換の「Am486」を出荷し、また、従来の486CPUのアップグレードパスとしてAm5x86の販売も開始した。このCPUはi486DX4とピン互換でありインテルのPentiumプロセッサ100MHz版と同程度の性能を従来の486搭載マシンに与えることができたので、旧マシンのアップグレード用としても好評をもって市場に迎えられた。同年、Pentiumと「ピン互換」の「K5」プロセッサを出荷。
AMDは、同じく互換プロセッサメーカーだったNexGen社を買収し、当時NexGenが開発中だったNx686を元に開発した「K6」プロセッサを1996年に投入した。K6はインテルのPentium(Socket7)とソケット互換であり、インテルのMMX Pentiumシリーズよりも高クロックで動作したが、このK6が登場した頃、インテルは既にPentiumの後継にあたるP6マイクロアーキテクチャを採用したプロセッサに移行を開始していた、しかし、P6アーキティクチャ採用のPentiumProの16bitコード実行速度の遅さから市場に敬遠され徐々に後継のK6-2シリーズにシェアを奪われ、この傾向はPentiumII及び低価格Celeronの頃まで続きインテルが危機感を募らせ、シェア確保のために技術力ではなく市場占有率にものを言わせてAMD製CPU採用PCメーカにはインテルCPUを出荷しない等 のなりふり構わぬ手段に訴えてAMDを苦境に追い込もうと画策した。
K6は、インテルのP6系プロセッサに匹敵する動作クロックをPentium互換ソケット上で実現した。 その後K6-2の出荷に至り、このK6-2がAMD躍進の牽引となるほどに、出荷され、ライバルであるインテルのシェアを奪う事に成功する。 対抗するインテルは、シェア低下に恐怖を抱き、豊富なリソース(サーバ用CPUからローエンドまでの商品構成)の中でローエンドCPUをK6-2に対抗し原価割れの低価格で販売を行い、また、インテルリベート、出荷制限等を駆使し、市場占有率にものをいわせたPCメーカへの締め付けを行い、AMD製CPUを採用したメーカにはインテル製CPUを出荷しないなどの姑息な手段に訴えまた、大手顧客がAMDのCPUを採用しないようにリベートを提示するなどのなりふり構わぬ手段を使った。
これは、インテルがローエンドCPUの赤字をハイエンドCPUで埋めるという販売方法ができたからであり、当時まだ商品構成の薄いAMDは、K6-III(3ではなくIIIとしたところに、当時ハイエンドであったPentiumIIIに対抗しようとした跡が伺える)を投入するも、ハイエンドマシンへの採用は、浮動小数点演算が決め手になる事も多く(当時DEC Alpha AXPシリーズが、インテルのPentiumIIIよりも、高速な浮動小数点演算、64bit環境を安価に提供した事により、一時人気を博していた、K7はこのAlphaプロセッサのバスシステムを採用している)ハイエンドマシンへのシェア食い込みに失敗したことが後のK7への教訓となった。 浮動小数点演算計算能力については、3DNow!を使用することにより劇的に改善したが、3DNow!技術を使用可能にするソフトウェアの提供がAMDから直接なされることは少なく(ライブラリの配布と簡易ドキュメントの配布は行われた)、インテルのように、CPUに特化したコンパイラの販売も日本国内においてはAMDから行われることもなかった事から、高速な浮動小数点演算機能を有した3Dnow!を使用したソフトウェアの普及ができなかった事も浮動小数点演算に弱いという印象を与えた一因である。
K6プロセッサがPentiumとバス互換であったことからインテルはAMDを提訴したが、セカンドソース時代のライセンス契約の有効性を認める判決が出たため、インテルは、この教訓からP6のバスシステム等に特許をかけ、他社が互換CPUを作成するのを妨害し利用するためには、ライセンス契約を結ばなければ利用できないように知的財産保護制度の活用をおこなった。 ただし、この訴訟はどちらかというと鳴り物入りで登場した次世代のPentiumProがWindowsの実行において旧世代のPentiumマシンより遅かったということでシェアをAMDにとられたことに対するPentirumProの次の世代の開発及び発売までの時間稼ぎの意味があった。 訴訟を起こすことにより、AMD製CPUを採用していたメーカは、敗訴の可能性も含めて採用を手控えるようになり、その代替品としてAMD製CPUと同性能のCPUをAMDよりも高い価格で買わざるをえなかったためインテルとしては、負けても利益と市場占有率アップに効果がでるうえに、次世代CPUの開発時間を稼ぐことができ、利益が大きいと判断しての訴訟であった。
またこの訴訟で、インテルが知的財産保護制度の活用を行った事を受け、当時まだ数社存在していたx86互換プロセッサメーカーも方針の転換を余儀なくされ、その多くが撤退した。撤退をしなかったAMD以外のx86互換メーカーは、絶対的なパフォーマンスによって正面からインテルへ勝負を挑むことは避け、単価が安い組み込み用の低発熱プロセッサやIPコア、チップセット内蔵プロセッサなどを供給し、インテルにとって旨味の薄いニッチの分野に逃れることで互換プロセッサ・ビジネスを継続している。現在のところ、プロセッサのパフォーマンスにおいてインテルと性能で肩を並べる互換プロセッサを製造・販売している半導体メーカーはAMDのみである。
[編集] Athlonの登場とモデルナンバー導入
1999年、初期のK7プロセッサである「K75」と呼ばれるAthlonプロセッサで、パソコン用としては初めて動作クロック1GHz(1000MHz)を突破した。続く、開発コード「Thunderbird」で商業的にも成功した。しかし発熱や消費電力の急増が問題であった、また当時は焼損防止機能がなかったため無理なオーバークロックにチャレンジする、自作機においてCPU-FANの取り付けに失敗する等により過熱破損の悲劇が生まれたが、正常なクロック、確実なCPU-FANの取り付け等を行った自作機においては、インテルのCPUでは手に入れることのできない性能が享受できることから、自作マシンとして人気を誇った。
その人気から、K7世代においてAMDはインテルから5%のシェアを奪取した。これは、1メーカが90%以上の寡占状態にある市場においては、奇跡と言っても過言ではないレベルの出来事である。
K7プロセッサでは、AMDのプロセッサでは初めて「Athlon」の商標が採用された。その後、インテルのCeleronに相当する低価格ラインには「Duron」の商標が付けられた。
「K75」「Thunderbird」はエポックメーカーとして成功したが、前述のような理由から、単純なクロック増加のみでの性能向上に限界が見えたこともあり、以後はキャッシュ・レイテンシの改善や、パイプライン適正化などによる効率化を重視し、クロック以外での性能向上に力を注いでいく。しかし当時はクロック周波数の高さこそが性能の高さに直結するという風潮があった。そこでAMDは、周波数によらない性能を表すための指標となる“モデルナンバー”を採用した。モデルナンバーは、当初はThunderbird比とされ、インテル製CPUのクロック周波数を意識したものではないとAMDは主張していたが、その後「モデルナンバーが『他社製CPUのクロック周波数』とMHz換算で同じ(例:モデルナンバーが2000+ならばクロック周波数で2.0GHz)であれば同等かそれ以上の性能を示す」とするプレスリリースを発表する。その当時『他社製CPU』を製造していたのは実質インテルしかなかったため、このプレスリリースはインテルやクロック至上主義への対抗であることは明らかである。その後、インテルがPentium4でハイパースレッディングを実装してからはこのモデルナンバーとインテル社製CPUのクロック周波数が当てはまらなくなり、AMDでは「自社製CPUの性能を表すひとつの指標」としている。しかし、Athlon 64(後述)が生まれたときにモデルナンバーの再構築を行い、再びインテル社製CPUのクロックの性能と同じであることを示すモデルナンバーを用いている。
[編集] そしてAMD64へ
現在は、x86アーキテクチャを64ビット拡張した「Opteron」や「Athlon 64」など第8世代(K8)の各種マイクロプロセッサを市場に供給している。
AMDは、既存のx86命令セットを拡張しx86命令セットと上位互換の64ビット命令セットを開発、x86-64(のちにAMD64と改称)としてCPUを発売した。比較的安価にそしてx86からの連続的な移行を可能とするAMD64命令セットが市場に(特にサーバー市場において)受け入れられた。マイクロソフトも、IntelにAMD64と互換のある命令セットの採用を要請、IntelはAMD64互換プロセッサを発売した。AMD64に対応するWindowsをx64 Editionとして発売、IntelはAMD64互換CPUを作成する事になりAMD互換メーカとしてIntelはCPUを作成する事になった。
MicrosoftがAMD64およびIntel64に対応する製品にx64 Editionと命名した結果、それらの総称はx64となった。ただし、独自の拡張もあり厳密にはAMD64と完全な互換は無いがこれは、互換CPUの常である。 完全な互換性(不具合を含めて)は、インテルがAMDに対してセカンドソースを行いたい旨、セカンドソース契約を行い、AMDが契約を結ばない限りは無い。
また2003年の8月には、ナショナル・セミコンダクタ(NS)からセットトップボックスやシンクライアント向け、x86互換統合プロセッサの「Geode」(ジオード)の開発を中心とする部門を買収している。 また2005年頃から、AMDとインテル両社がデュアルコア技術を押し出した製品をラインナップに加えたことから、2005年後半期よりユーザ確保の戦いが熱をおびるようになった。AMDの優位性を誇示するために、自作パソコンユーザが集まる店頭でベンチマーク対決を実施したり、法人ユーザへの導入実績に向けてなぜAMDの製品を選んだかをインタビューする内容の広告を製作している。
2006年7月、AMDはカナダのATIを総額54億ドルで買収した。 これにより、AMDはグラフィック部門、チップセット部門の拡充に加えATIが所有しているインテルとの クロスライセンス権を所有する事にもなった。
このクロスライセンス契約の中には、インテルが特許を所有しているバスシステムに関するものもあり、 このクロスライセンス契約によりATIはインテル向けのチップセットを作成していた。
[編集] 製品群
[編集] マイクロプロセッサ
- AMD開発品
- AMD K5:Pentiumピン互換。
- AMD K6
- AMD K6:MMX Pentiumとピン互換。
- AMD K6-2:Pentium II対抗。「3DNow!」実装。その開発呼称からK6-3Dとも呼ばれる。
- AMD K6-2-P:K6-2のモバイル版(PowerNow!は未搭載)
- AMD K6-2+:K6-2の高クロックモバイル版(PowerNow!搭載)
- AMD K6-III:256KBのL2キャッシュを実装。それまでL2キャッシュと呼ばれていたマザーボードに実装されているキャッシュをL3キャッシュとして利用可能で、この状態をAMDはTrilevel Cacheと呼ぶ。
- AMD K6-III-P:K6-IIIのモバイル版(PowerNow!は未搭載)
- AMD K6-III+:K6-IIIの高クロックモバイル版(PowerNow!搭載)
- AMD K7:K6までのアルファベットと数字の組み合わせによる製品名を改め、固有名詞を付けることになった。
- AMD K8:「AMD64」を実装。
- Athlon 64:
- Athlon 64 X2:デュアルコア化を念頭において開発していたAMD-K8のなかで、Opteronに次いでデュアルコアとして製品化したもの。
- Athlon 64 FX:Athlon 64の上位製品。名称にあるFXは、SFXなど映像処理向けであることを意図したもの。しかしOpteronおよびAthlon 64がマルチスレッド処理を強化したデュアルコア化が行われると、Athlon 64 FXはマルチスレッド処理に向く映像処理ではなく、ゲームなどシングルスレッド処理が多いアプリケーションソフト向けとして路線変更される。ただ、Athlon FX-60以降においてはデュアルコア化された。
- Opteron:サーバー向けCPU。CPUの個数により、1個、2個、8個まで対応するラインナップが存在する。また、デュアルコア版も存在する。
- Turion 64:モバイル向けK8プロセッサ。それまでMobile Athlon 64としていたが、マーケティング目的により専用ブランドを新設した。
- Turion 64 X2:モバイル向けK8プロセッサ。x64対応初のデュアルコアモバイルプロセッサ。これまでのSocket754から専用設計のソケットに変更された。
- Sempron:2004年に低価格機種向けに新設されたDuronを置き換えるブランド。Athlon各シリーズの下位に置かれる為、Athlon各シリーズから性能と機能の削減を行っている。市場状況に合わせて性能や機能などの削減と付与を行う為、Sempronブランドの定義付けは難しい。