アウトレンジ戦法
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アウトレンジ戦法(アウトレンジせんぽう)とは、敵の火砲などの射程外から一方的に攻撃を仕掛ける戦術のことを示す。一般的に第二次世界大戦で日本の機動部隊が行った戦術を指す。
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[編集] 概要
個人の争いが国家間の戦争に発展して以来、自軍の損害を抑えつつ、相手に被害を与えたいというのは戦争指導者の基本的な願望であった。ここから投擲兵器を使い、白兵戦用の武器を持った相手を遠距離から打ち倒すという思想ができたのは、自然な流れと言える。聖書でダビデが投石器でゴリアテを打ち倒したという記述は、この思想の象徴的な現れと言える。しかし遠距離からの攻撃ができたとしても、命中率が悪かったため、十分な損害を与えて相手を撤退させることができないなど、基本的な問題点を抱えていた。弓と矢が、礫や投石器と共存を続けた理由の1つに高価な兵器を揃えることの困難さや、弓を有効に扱えるまで長い訓練を必要としていることが挙げられる。古代ローマの兵士がジャベリンを多用したのは、殺傷力の高い武器を必要としていたためでもある。
単純に射程外から攻撃するという考えでも、戦場では様々な要素が関与するため、相手の武器の有効射程内に入る前に打撃を与えるというのは机上の計算どおりには成立しない場合が多々ある。例えば相手が騎兵であり、初撃で圧倒しないと突撃で蹴散らされるなどはその最たるものである。しかし、相手が要塞や固定陣地に布陣しており、より長射程の武器をそろえることが困難な場合には非常に有効に機能する。
[編集] 戦場
[編集] 第一次世界大戦
当時のフランス軍は中口径砲を多数そろえ、歩兵に対する直接援護を重視した編成になっていた。これに対して、ドイツ軍やイギリス軍は機関銃などの小口径砲と要塞の攻略を視野に入れた大口径砲を重視した編成になっていた。この結果、塹壕戦になり、膠着状態になると、射程が短く破壊力の小さいフランス側の砲撃では塹壕を突破できず、またドイツ軍の対砲砲撃に反撃できないなど欠点が露呈している。
[編集] 第二次世界大戦
第二次世界大戦以前から日本海軍は、漸減作戦の一環としてこの戦術を計画し、数的優位にあるアメリカ海軍を艦隊決戦で打ち砕くために、大和型戦艦などを建造し、長距離を飛行できる零式艦上戦闘機や一式陸上攻撃機を製造した。マリアナ沖海戦で日本海軍艦載機の航続距離の長さを生かして、アウトレンジ戦法を行ったが、高度なレーダーと無線で防空部隊を集合させることができ、近接信管により高い艦隊防空能力を誇っていたアメリカ海軍の前に敗れた。
[編集] ベトナム戦争
ディエンビエンフーの戦いでのフランスの敗北の原因はいくつかあるが、その中でベトナム側によるアウトレンジ戦法の成功が挙げられる。密林の中を長射程の砲を人力で運んだベトナム側に対して、フランス側は補給が困難であり、これに対抗する手段を準備することができなかった。
[編集] 湾岸戦争
湾岸戦争での多国籍軍の勝因は、圧倒的な航空優勢にあるが、多国籍軍の主力となったM1A1戦車とイラク側のT-72戦車の有効射程の差も大きく関係している。夜間に2000m以上の距離から索敵が行えたM1A1に対し、T-72のそれは500m程度であったと推測されており、T-72は反撃を行うことなく撃破されていったのである。また、T-72の主砲でM1A1の装甲を打ち抜くことは困難であったのに対し、M1A1は容易に撃破することができた。
[編集] 兵器
様々な兵器が、相手を射程外から攻撃するという意図の元に作られた。