UFO (プロレス)
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U.F.O.(ユー・エフ・オー、ユ二バーサル・ファイティングアーツ・オーガニゼーション)とは、アントニオ猪木が創設した格闘技の統一組織である(当初は世界規模の格闘技統一組織を目指して創設されたが、実質的にはプロレス団体として活動した)。日本名は、世界格闘技連盟。
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[編集] 歴史
[編集] 世界格闘技連合の発足
プロレス界から離れて総合格闘技のシューティング(現・修斗)を創設し、その発展に尽力していた佐山聡は、1994年7月にヒクソン・グレイシーを日本に初めて招聘してバーリ・トゥード大会に参戦させるなど格闘技ブームの一翼を担い、格闘技界で独自の地位を築いていた。
アントニオ猪木は、この流れに乗じる形で、疎遠になっていた佐山と師弟関係を理由に和解し1996年にU.F.O.の前身となる世界格闘技連合を発足した。その内容は、世界規模の格闘技統一組織というものであった。アントニオ猪木が度々行う壮大な計画であったが、バルセロナ五輪銀メダリストで全日本柔道選手権優勝7回の実績を誇る柔道家の小川直也をプロ格闘家としてデビューさせて看板選手に育成し、海外の格闘家達と対戦させることを画策。佐山をトレーナー兼参謀役として招き、新日本プロレス・ロサンゼルス道場や上野毛の道場を拠点に、全国各地で合宿をしてトレーニングを積んだ。
[編集] U.F.O.の旗揚げ
1997年4月12日に東京ドームで開催された『'97 BATTLE FORMATION』(新日本プロレス主催、観衆60,500人)において、小川直也は柔道着姿で新日本プロレスの橋本真也と異種格闘技戦で対戦して裸絞めで破り、プロ格闘家としてデビューを果たした。アントニオ猪木もこの大会に参加し、タイガーキング(佐山聡)をコブラツイストで破り、勝利後の小川を激励している。
同年5月3日の大阪ドームにおける再戦では、入場テーマ曲を『闘魂伝承』から『爆勝宣言』に変更(猪木との決別を示唆)して試合に臨んだ橋本真也の顔面蹴りで失神KO(佐山がタオル投入)に追い込まれ敗退したが、存在のアピールには成功した。
その後猪木は、高田延彦が新たに設立したキングダムやUFC王者のドン・フライらと接触し勢力拡大を匂わせ、順道会館・館長の格闘家として活動していた村上一成(現・村上和成)を参戦選手として招くと(正式に所属選手となったのは翌年の4月)、1998年4月に世界格闘技連合からU.F.O.(世界格闘技連盟)へ名称を変更した。
正道会館の石井和義館長と接触して小川のK-1参戦を取り付けたり、猪木がかつて異種格闘技戦で対戦したモハメド・アリを名誉会長に就任させるなど格闘技統一路線を具体化させたかに思えたが、アメリカから帰国した猪木がテンガロンハットをかぶりサングラスに付け髭姿で正体不明のミスター・ウォーリーを名乗ったり(記者団には小川のスパーリング・パートナーの大物外国人を自称していたが、変装の甲斐もなく猪木本人であることは誰の目にも明らかだった。理解困難の奇行であったが、U.F.O.の人材不足や旗揚げ戦の参加選手を集めるのに苦労した末の話題作りであったとする見方が一般的である)、新日本プロレスとの舌戦による泥仕合が話題となる等、格闘技なのかプロレスなのか方向性が一貫しない混迷振りが垣間見られるようになる。
同年10月24日にU.F.O.の旗揚げ戦『TAKE OFF』が両国国技館で開催され、小川の新日本プロレス参戦のアピールや様々な話題が功を奏して観衆10,000人(主催者発表)の動員に成功。12月30日には大阪城ホールで第2弾興行を開催した。
[編集] 新日本プロレスとの対抗戦
1999年1月4日、『'99 Wrestling World』(東京ドーム、観衆62,500人)において新日本プロレスvsU.F.O.の対抗戦が実現。U.F.O.の小川直也は、柔道着を着用せず試合に臨み橋本真也にシュートマッチを敢行し、戦意喪失(実態は失神KO)の無効試合に追い込んだ。試合後のマイクパフォーマンス「おいおいおい もう終わりかよー! 新日本プロレスファンの皆さん 目を覚ましてください!!」の挑発的発言で、両陣営がリング内外で大乱闘となった。U.F.O.陣営としてセコンドに付いていた村上一成や4代目タイガーマスクは負傷するが、小川は「暴走王」としての地位を確立するきっかけとなった。
[編集] その後
上記の一戦以降、U.F.O.は新日本プロレスとの対抗戦と平行してNWAとも提携し、第3弾興行(3月14日、横浜アリーナ)で小川をNWA世界ヘビー級選手権(対戦相手はダン・スバーン)に挑戦させるなどプロレス界にも積極的に関わるようになる。
その一方で、猪木が前田日明と接触してリングスとも提携する動きを見せたため佐山との間に軋轢が生じ、1999年4月28日に佐山のU.F.O.離脱が発表された。
同年6月29日第4弾興行を大阪で開催。小川は、PRIDEにも参戦してゲーリー・グッドリッジらを破り総合格闘技でも活躍していたが、藤田和之が2000年1月に新日本プロレスを退団して格闘家に転身し、猪木と親密な関係になった事などから、同年3月11日に横浜アリーナで開催された「力道山メモリアル」(この大会で猪木はジャニーズ事務所の滝沢秀明とエキシビジョンマッチで対戦して敗れている)で橋本真也とタッグチームを組んだのをきっかけに猪木とは距離を置き、以降は橋本と行動を共にするようになった。
2002年8月8日に、以前から猪木と蜜月関係にあった大手芸能事務所・ケイダッシュ会長の川村龍夫がイベント・プロデューサーを務め東京ドームで開催された『UFO LEGEND』(U.F.O.の存続が危ぶまれるなか、MMAスタイルの新ブランド「UFO LEGEND」の旗揚げ戦と位置付けられていたが観客席は閑散とした状況で、興行としては完全に失敗した)を最後に、現在は表立った活動はしていないため自然消滅状態となっている。