キングダム
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キングダムは、1997年5月4日に旗揚げし、1998年2月26日に活動停止したプロレス団体。
社長にはUWFインターナショナル(以下Uインター)の取締役だった鈴木健が就任。プロレス団体としては初めてオープンフィンガーグローブ着用による顔面パンチとマウントパンチを公式ルールで認めたのが特徴である。招聘する外国人選手もプロレスラーからブラジリアン柔術やルタ・リーブリといった総合格闘技の選手が主となった。これはUFCの登場により、人気と注目を集めていたバーリトゥードルールの影響を強く受けたもの。
1997年5月4日に開催した東京都国立代々木体育館大会で発足した。田村潔司を除く、Uインターのほとんどの選手の受け皿となり、Uインターの系譜を引き継いだ。しかし肝心の興行の目玉となるUインターのエースだった高田延彦は正式には参加せず、エキシビジョンでの登場とテレビ放送での解説でかつての仲間をサポートするにとどまった。高田は自分が参加しなかったのは、ヒクソン・グレイシーとの対戦の準備(一説にはマイク・タイソンとの対戦の交渉)に専念すること、潰れた団体の選手で再発足することに疑問を感じたこと、Uインターで興行の運営にタッチすることに懲りたことなどを理由に挙げている。
キングダムは安生洋二が中心となり、金原弘光と桜庭和志が頭角を現わし、PerfecTV!(現・SkyPerfecTV!)での放送も行なわれたが、1998年2月26日の記者会見で鈴木社長が所属全選手の契約解除と事務所と道場の閉鎖を発表。1年に満たない活動を終える。高山善廣、垣原賢人は全日本プロレスへ、金原弘光と山本喧一はリングスへ移籍。 高田は1998年3月20日に設立していた自らのジム高田道場へ佐野友飛と、若手の松井大二郎、豊永稔を受け入れた。高田道場へはキングダム活動中に桜庭和志を所属させている。なお、高田道場は格闘技ジムであり、選手のマネージメントを行なうが、興行を開催することはなく、興行団体であるUインターとは性質を異にする。キングダムの名称は、練習生だった入江秀忠が受け継ぎ、1999年から「キングダム・エルガイツ」と名称を改めて活動を行なっている。