近鉄内部線
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内部線(うつべせん)は、近鉄四日市駅から内部駅までを結ぶ近畿日本鉄道の鉄道路線。全線が三重県四日市市内を走る。
軽便鉄道として建設され、現在でも当時のままの軌間762mmの特殊狭軌線となっている。近鉄四日市駅~日永駅は、同じく軌間762mmの八王子線の列車が直通しており、同線と合わせて「内部・八王子線」と総称される。
ローカル線の加算運賃が適用されている。パールカードで自動券売機による乗車券の購入ができるが、2007年3月からサービスを開始するICカード「PiTaPa」には非対応である。
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[編集] 路線データ
全線、名古屋輸送統括部(旧名古屋営業局)の管轄である。
[編集] 運行形態
近鉄四日市~内部間の列車が八王子線の近鉄四日市~西日野間の列車と交互に運転されており、ワンマン運転を行っている。また、近鉄四日市駅と内部駅を除き全駅が無人駅である。
[編集] 歴史
内部線は、1912年に開業した三重軌道(後の三重鉄道)が1922年に開業させた鈴鹿支線の一部である(後に敷設免許失効)。1915年に鉄道院(後の国鉄)関西本線の四日市駅西口まで延伸されるが、現在の近鉄名古屋線の前身である伊勢電気鉄道の桑名延伸(泗桑線)の際に路線敷を伊勢電鉄に譲渡し、諏訪~四日市間を1927年度に廃止した。
戦時統合で1944年三重交通の路線となり、戦後1956年に四日市市内でカーブが連続していた名古屋線海山道~川原町間の経路を変更した折、かつて伊勢電鉄に譲渡した区間が廃止された。この時に内部線の起点が諏訪から近畿日本四日市(現在の近鉄四日市)となった。その後、三重電気鉄道を経て1965年に近畿日本鉄道の路線となった。
なお、かつては現在の八王子線と湯の山線を合わせて三重線と総称し、列車も湯の山~四日市~内部を通し運転していたが、同線改軌時に新たに内部・八王子線として独立した路線名が与えられている。
- 1912年(大正元年)8月15日 三重軌道が八王子~室山~日永間を開業(現在の八王子線)。
- 1912年(大正元年)10月6日 三重軌道が南浜田(後に廃止)~赤堀~日永間を開業。
- 1913年(大正2年)5月16日 諏訪~南浜田(後に廃止)間が開業。
- 1915年(大正4年)12月25日 四日市~諏訪間が開業。
- 1916年(大正5年)7月19日 三重鉄道に移管。
- 1916年(大正5年)12月1日 軌道条例に基づく軌道から軽便鉄道法に基づく軽便鉄道に変更。
- 1922年(大正11年)1月10日 日永~小古曽間が開業(鈴鹿支線)。
- 1922年(大正11年)6月21日 小古曽~内部間が開業。
- 1928年(昭和3年)1月29日 四日市~諏訪間が廃止。伊勢電気鉄道に譲渡。
- 1928年(昭和3年) ガソリン気動車のシハ31形31~34(日本車輌製)使用開始。
- 1930年(昭和5年)3月18日 三重鉄道が四日市鉄道を吸収合併する。
- 1943年(昭和18年)12月25日 諏訪~内部間が電化。
- 1944年(昭和19年)2月11日 三重鉄道ほか6社が合併し三重交通が発足。湯の山線・八王子線と合わせて三重線となる。
- 1944年(昭和19年)3月1日 内部線の路線名称制定。
- 1944年(昭和19年)7月1日 諏訪~赤堀間の南浜田駅、追分~内部間の小古曽駅休止。
- 1944年(昭和19年)11月1日 諏訪~赤堀間の南浜田駅を廃止する。赤堀駅を四日市方に0.1km移設。
- 1946年(昭和21年)10月3日 浜田変電所(185kw水銀整流器1台)新設運用開始。
- 1949年(昭和24年)3月26日 車両2両新製配置(モニ220形228・229(近鉄モ二220形228・229:現サ120形122・123))。
- 1950年(昭和25年)6月16日 車両3両新製配置(サ101形101~103)。
- 1950年(昭和25年)12月15日 車両4両新製配置(サ150形161~164(近鉄サ150形161~164))。
- 1951年(昭和26年)1月17日 車両2両新製配置(サ150形165~166(近鉄サ150形165~166))。
- 1951年(昭和26年)5月5日 浜田変電所に300kw水銀整流器1台を増設、運用開始。
- 1954年(昭和29年)8月17日 車両2両新製配置(サ360形361~364(近鉄サ130形131~134))。
- 1954年(昭和29年)10月20日 車両2両新製配置(サ360形365・366(近鉄サ130形135・136))。
- 1954年(昭和29年)11月19日 車両2両新製配置(サ360形367・368(近鉄サ130形137・138))。
- 1956年(昭和31年)9月23日 名古屋線四日市付近経路変更に伴い、諏訪~赤堀(南浜田)間が廃止、近畿日本四日市(現在の近鉄四日市)~赤堀(南浜田)間の新線が開業。
- 1956年(昭和31年)12月 泊駅に列車行き違い設備を設置。
- 1956年(昭和31年)12月23日 架線電圧を600Vから750Vに昇圧。
- 1959年(昭和34年)5月1日 休止していた小古曽駅を内部方に0.1km移設の上営業再開。
- 1959年(昭和34年)8月7日 車両3両新製配置(4400形4401M1+4401T+4401M2(近鉄モ200・サ100形:現ク200・サ100・サ200形201+101+202))。
- 1959年(昭和34年)8月24日 近畿日本四日市(現在の近鉄四日市)~赤堀間に南浜田信号場を新設。同時に近畿日本四日市(現在の近鉄四日市)~日永間を単線自動閉塞化の上、同区間に高圧配電設備(信号・駅舎電源)を設置。
- 1959年(昭和34年)11月5日 浜田変電所に500kw水銀整流器1台を増設、運用開始。185kw水銀整流器1台撤去。
- 1960年(昭和35年)6月1日 車両1両新製配置(サ2000形2001(近鉄サ140形141))。
- 1960年(昭和35年)8月27日 車両3両新製配置(サ2000形2002~2004(近鉄サ140形142~144))。
- 1961年(昭和36年)8月27日 車両2両新製配置(サ2000形2005・2006(近鉄サ140形145・146))。
- 1962年(昭和35年)10月1日 車両1両新製配置(サ2000形2007(近鉄サ140形147))。
- 1962年(昭和37年)車両1両を北勢線に転属配置させる(サ150形157(166を改番。近鉄サ150形157))。
- 1964年(昭和39年)2月1日 三重交通が鉄道事業を三重電気鉄道に分離譲渡。
- 1964年(昭和39年)3月 車両16両を北勢線に転属配置させる(サ360形(後の近鉄形式サ130形)363~368(133~138)、サ2000形2001~2007(近鉄サ140形141~147)、4400形4401M1+4401T+4401M2(近鉄モ200・サ100形:現ク200・サ100・サ200形201+101+202))。
- 1965年(昭和40年)4月1日 近畿日本鉄道が三重電気鉄道を合併。
- 1977年(昭和52年)車両11両(モニ220形225~227、サ130形133、サ150形151~157)が北勢線より転属となる。
- 1978年(昭和53年)車両の連結器を軽便で使われていたピン・リンク式(通称:朝顔式)から柴田式自動連結器を小型化したもの(柴田式3/4上作用自動連結器)に交換する。
- 1982年(昭和57年)11月25日車両4両新製配置(モ260形261・262、ク160形161・162)。
- 1983年(昭和58年)4月7日車両4両新製配置(モ260形263~265、ク160形163)。
- 1989年(平成元年)3月17日 全線において単線自動閉塞化。ATS使用開始。南浜田信号場廃止。列車運転間隔を25分→30分に。
- 1989年(平成元年)6月1日 ワンマン運転開始。各駅にホームミラー設置。
[編集] 施設
内部線・八王子線両線について記す。
[編集] 線形
- 最急曲線半径は100m。日永駅の八王子線ホームは半径100m急曲線の外側にあることから、車長の長いモ260・ク160形電車はホームとの接触を避けるため車端部の車体幅を絞った構体形状となっている。
- 最急勾配は25パーミル。
[編集] 軌道
- 軌間は762mmである。「特殊狭軌」又は「ナローゲージ」と呼ばれる。
- 使用軌条(レール)は、過去には軽便鉄道規格の古典的な15k・22kレール(それぞれ1m当たり15kg・20kg)が使用されていた。現在ではレールの重軌条化が進み、本線では40N・50Nレールに統一された。また、内部車庫内には22kレールが残っている。
- マクラギは、軌間が特殊なことからPCマクラギは用いられておらず、大半が木マクラギである。
[編集] 分岐器・転轍器
- 分岐器は、特殊狭軌用のものが用いられ、部品が特殊な上に、分岐側の曲線半径が小さいため列車通過制限速度が厳しく(20km/h)、列車の高速化を阻んでいる。分岐器番数は7番であり、JR在来線の最小番数8番分岐器よりも交差角が大きい。
- 転轍器は、本線においては近鉄四日市駅、日永駅の四日市方については電気転轍機(近鉄四日市駅から遠隔制御される)が用いられるが、日永駅の内部方と泊駅は旧式の発条転轍機(列車の車輪で分岐器を転換させバネの力で復位させる)である。
[編集] 橋梁
主な橋梁のみを記す。橋梁名の色は桁種別を示す(赤色--鉄桁、青色--コンクリート{スラブ}桁、黄色--コンクリートアーチ)。
駅 間 | 橋 梁 名 | キロ程 | 径間 | 橋台数 | 橋脚数 | 河川・道路名 |
---|---|---|---|---|---|---|
赤堀~日永間 | 鹿化川橋梁 | ? | ? | 2 | 0 | 鹿化川 |
日永~南日永間 | 天白川橋梁 | ? | ? | 2 | 0 | 天白川 |
- 従前の橋梁は軽便鉄道規格の簡素なもので、桁長さが短く、桁厚さが薄いのが特徴であったが、内部線内の長大橋梁である鹿化川橋梁と天白川橋梁については近代的なコンクリート(スラブ)桁に架け替えられている。
[編集] 車庫
- 内部駅構内にある。
- 車庫内で車両の列車検査・月検査を施工するが、定期検査(全般検査・重要部検査)を行う施設が無いため、定期検査時は車両の主要部品を車庫外に持ち出して他の車両工場(塩浜検収車庫)で検査を実施する。
[編集] 変電所
- 近鉄四日市駅の名古屋方高架下に四日市変電所があり、ここから電力が供給されている。
[編集] 電路設備
- 架線はシンプルカテナリー方式である。
- 電柱の木柱からコンクリート柱への更新工事が進行中である。
- 架線自動張力調整装置(テンションバランサー)は設置されていない。
- 高圧配電線(信号・踏切用の電源線)は近鉄四日市駅~南日永駅間に架設されている。
[編集] 信号・連動装置・CTC
- 常置信号機として、場内信号機、出発信号機、誘導信号機(近鉄四日市駅のみ)、入換信号機(近鉄四日市駅のみ)、中継信号機が設けられている。場内信号機直下には、代用手信号機が併設される。
- 近鉄四日市駅に入替信号機があるのは、総括制御化された車両が導入される以前に制御電動車(運転台・モーター付の電車)を転線して付け替えていた名残であり、現在はほとんど使用されていない。
- 信号機は、3位式2現示(黄色:Y、赤色:R)が採用されている。なお、全線が単線自動閉塞化された1989年(平成元年)以前の近鉄四日市~日永間においては2位式(緑色:G、赤色:R)が採用されていたが、現在では3位式2現示に統一されている。
- 列車集中制御装置(CTC)が設置され、近鉄四日市駅において全駅の信号制御および電気転轍機の制御が可能となっている。情報伝送はメタルケーブルを使用する。
- 連動装置は、近鉄四日市駅、日永駅については第一種継電連動装置が、泊駅、内部駅は第三種継電連動装置となっている。
[編集] ATS
- 多変周式・連続照査型の「近鉄型ATS」を採用している。車両が地上子からの信号を受信・記憶し、車両の速度を常時監視し、速度が超過した場合は直ちに非常ブレーキが動作するシステムになっており、原理上、車両の速度超過は起こり得ない。
- ATSの速度制限段としては0・15・25・35・55?km/hの5段となっている。
- 近鉄四日市駅には終端用ATSがあり、線路終点部分での列車の過走を防止するようになっている。
- 急曲線部分・急勾配部分の速度制限箇所の一部には速度超過防止用ATSが備えられている。
- 地上子は通常2本のレールの間に置くが、内部・八王子線は軌間が狭いため、このように設置した場合に上り電車用と下り電車用の位置のずれが短くなり、誤作動する恐れがある。このため地上子は2本のレールの外側(進行方向に向かって右側)にあり、大変珍しいスタイルとなっている。
[編集] 踏切
- 第1種踏切(警報機・遮断機付き)38ヶ所(内部線34ヶ所・八王子線4ヶ所)の踏切がある。第3種踏切(警報機のみ)・第4種踏切(警報機・遮断機共なし)はなく、全踏切で自動化されており、近代化が進んでいる。
- 近鉄四日市駅にて、内部・八王子線全線の踏切の集中監視を行っている。
- 日永~南日永間にある日永4号踏切は幅員19.8m(笹川通り:道路4車線)、遮断機12基を有する三重県下で最大の踏切である。
[編集] 車両
[編集] 駅一覧
- 普通列車のみ運転、全列車が各駅に停車
- 駅員の配備されている駅は太字で記す
駅名 | 営業キロ | 接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|
近鉄四日市駅 | 0.0 | 近畿日本鉄道:名古屋線・湯の山線 | 三重県四日市市 | |
赤堀駅 | 1.0 | |||
日永駅 | 1.8 | 近畿日本鉄道:八王子線(直通あり) | ||
南日永駅 | 2.5 | |||
泊駅 | 3.6 | |||
追分駅 | 4.3 | |||
小古曽駅 | 5.0 | |||
内部駅 | 5.7 |