目白駅
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目白駅(めじろえき)は、東京都豊島区目白3丁目にある東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線の駅である。
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[編集] 駅構造
- 島式ホーム1面2線の地上駅であり、日本初の橋上駅としても知られる。出口は目白通りに面する1箇所のみであるが、近年、池袋寄りに階段とエレベーター、ホーム中央付近には上下エスカレーターが設置され、長年使われていた旧駅舎の階段が2個所付いているだけという状態からは格段に利便性が良くなった。
- 又、駅構内にコンビニやマッサージ屋、パン屋、カートによる販売なども行われている。駅正面および隣接する公衆トイレのステンドグラスは、株式会社国際ステンドグラス(現在はサンディカヴェリエール株式会社)代表取締役の室賀正彦により寄贈された作品である。
[編集] 利用状況
- 2005年度の利用者数は1日平均39,065人である。
[編集] 駅周辺
- 学習院大学、川村女子学園、日本女子大学などがあることから学生の乗降客も多い駅である。学習院大学へ皇族が通っていた為、皇太子さまや秋篠宮さまが近所の店を散策されるなど皇族に纏わる逸話が多い。
- 又、近所には尾張徳川家の子孫が収集した史料がある徳川林政史研究所があり、天皇陛下も時折いらっしゃる。歴史的にみると、山手線の駅のなかでも古くから営業を始めた駅として知られる。開業当時、現在の池袋駅のような機能を持つ駅として計画されたが、当初計画路線が住民の反対運動、地形自体も歪であったこともあり、変更され、池袋駅に赤羽方面との分岐点ができたという経緯がある。
- 現在のホテルメッツ目白の辺りに、山手貨物線(埼京線)の貨物集配所があったが、貨物輸送の減少とともに廃止、撤去された。
- 尚、この集配所下には学習院方面からの湧水が湧き出、側溝が学習院下に向かってかつてあり、近所の子どもたちのザリガニ釣りなど都会の中の小さな自然が残されていた。
- デサント東京オフィス
- 学習院大学
- 目白警察署
- 切手の博物館
- 都営バス転回場
- 目白通り(東京都道8号千代田練馬田無線)
- 新目白通り(東京都道8号千代田練馬田無線支線)
- 目白不動(五色不動の1つ)
- ホテルメッツ目白
- コマース
[編集] 路線バス
[編集] 都営バス
- 白61 新宿駅西口~厚生年金会館~曙橋~牛込柳町駅~江戸川橋~目白駅(→落合南長崎駅→新江古田駅)(←東長崎駅通り)~江古田二又~練馬車庫(桜台)
- 白61 目白駅~椿山荘(構内)
- 池65 池袋駅東口~目白駅~落合南長崎駅~哲学堂~江古田二丁目~練馬車庫(桜台)
- 学05 目白駅~(直行)~日本女子大
[編集] 西武バス
- 宿20 池袋西武百貨店(池袋駅東口)~目白駅~目白五丁目~中井駅~東中野駅~落合~中野坂上~東京医大病院~新宿駅西口
- 宿20-1 池袋西武百貨店~目白駅~目白五丁目
- 練45 池袋西武百貨店~目白駅~落合南長崎駅~新江古田駅~練馬駅 (1日1本のみ)
[編集] 歴史
[編集] 目白駅当初の計画とその後
- 開業当初、当駅の次の駅は現埼京線の板橋駅であった。その理由として、池袋周辺は農村地帯であったことがあげられる。
- 日本鉄道品川線の短絡線として豊島線を計画、工事が進められた。その時、目白周辺の反対に合い、農村地であった当時の池袋に池袋信号所が設置された。
- 目白駅周辺は地形が歪で、更に反対運動が収まらなかった為、豊島線のホームを設置することができず、頓挫しかけた。その時ある人物が『池袋信号所を駅に昇格させた方が…』と言う意見が出され採用になった。その結果、約1年後に池袋信号所は池袋駅となった。
- もし、今も池袋駅が存在していなければ、目白駅が栄えていたかもしれない。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
- 目白駅 - 東日本旅客鉄道