波高島駅
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波高島駅(はだかじまえき)は、山梨県南巨摩郡身延町波高島にある東海旅客鉄道(JR東海)身延線の駅である。特急「ふじかわ」は通過し、普通列車のみが停車する。
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[編集] 駅構造
島式ホーム1面2線と側線1本を有する地上駅。線路はほぼ北東から南西に走り、駅舎は線路の北西側にある。駅舎から、1番線、2番線の順で、1番線に甲府方面の列車が、2番線に富士方面の列車が発着する。側線1番線と駅舎の間に敷かれている。
ホームの塩之沢方の端は緩やかな坂になっており、これを下ったところから駅舎へ、1番線の線路と側線をこえて遮断機・警報機つきの構内踏切が伸びている。その他駅舎の下部温泉方にはすでに使われていない貨物ホームが残っており、また塩之沢方の2番線線路脇には身延工務区の波高島休憩所がある。ホームの中ほどには木造の待合所が設置されている。
駅舎は開業当初からのもので、大きな屋根を持つ。当駅は昭和58年(1983年)から無人駅となっているため、駅舎の出札口などは完全に板でふさがれており、旅客の立ち入ることのできる部分には待合所しかない。待合所には作りつけの長いすがある。
その他、改札外には、古くからのトイレが一棟設置されている。駅前広場は砂利が敷かれており、広い。
[編集] 駅周辺
身延線の線路は市ノ瀬駅の近くから常葉川に沿って走るが、その常葉川が当駅の南西400メートルたらずの所で富士川に注いでいる。2004年(平成16年)9月13日に、身延町と下部町および中富町が合併し、新しく身延町となるまでは、常葉川と富士川、それと駅の北西およそ1.5キロメートルのところで富士川に注いでいる早川によって三つの町が分けられていたので、駅の付近にはこれら三者の境界が近接して存在していたことになる。
駅の西400メートルほどのところを南北に流れる富士川を富山橋(とみやまばし)でわたるとそこは旧身延町の下山というところで、開業当初の当駅はこの下山からとって甲斐下山駅と呼ばれていた。また駅から南へ行くと200メートル足らずのところで常葉川をわたるがこの対岸が旧身延町の上八木沢である。
駅名はのちに下山波高島駅に改称、その後1938年(昭和13年)10月1日には波高島駅に改称となるがこの波高島が、駅のある集落の名前である。波高島は江戸期以来、富士川の水運の中継地として栄えた場所であるが身延線の開通後、富士川の水運は衰退を見ている。
身延線とともに常葉川に沿ってきた国道300号は富山橋で富士川を渡り、下山の上沢交差点で国道52号に合流する。また当駅の北すぐの所で国道300号から県道が分岐しており、当駅の駅前広場はこの県道に接してつくられている。
周辺の主な施設としては、富士川対岸の下山に、身延町立下山中学校・身延町立身延北小学校・富士川クラフトパーク・峡南地域工業団地・身延工業団地・上沢寺のお葉つきイチョウ(国の天然記念物、1929年4月2日指定)・本国寺のお葉つきイチョウ(国の天然記念物、1929年4月2日指定)が、常葉川対岸の上八木沢に八木沢のお葉つきイチョウ(国の指定天然記念物、1940年7月12日指定)・波高島温泉がある。
[編集] 利用状況
昭和25年(1950年)の乗車人員は144,981名で、これを一日平均にするとおよそ400名になる。また昭和55年(1980年)の乗車人員は131,096名で、これを一日平均にするとおよそ350名になる。
[編集] 歴史
- 1927年(昭和2年)12月17日 富士身延鉄道により甲斐下山駅として開業。
- 年月日未詳 - 下山波高島駅に改称。
- 1938年(昭和13年)10月1日 - 富士身延鉄道を国が借り上げ。同時に波高島駅に改称となる。
- 1941年(昭和16年)5月1日 国有化され国鉄身延線の駅となる。
- 1987年(昭和62年)4月1日 国鉄の分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
[編集] 隣の駅
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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