河内山本
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
山本(やまもと)とは、大阪府八尾市 (旧河内国若江郡) にある地名。
他の地域にも「山本」と呼ばれる地名があり、区別のために「河内」を冠する例があるため、本頁名は「河内山本」とした。
目次 |
[編集] 概要
現在、八尾市内の「山本」と呼ばれる地域は、住居表示では、山本町、山本町北、山本町南、東山本町、西山本町、東山本新町、山本高安町といった複数の地名に分かれる。
そのうちの山本町のほぼ全域、山本町北の大半、山本町南の大半、山本高安町のほぼ全域 の南北約3km・東西約300mの範囲は 大和川の付け替えによって創生され、「山本新田」として開発された地域である。
[編集] 歴史
[編集] 大和川付け替え以前
- かつて、本地には大和川が流れ、周囲の低地は田畑として利用されていた。当然ながら現在の山本には集落は無く、流域の西側に小阪合集落、中野集落が、東側に満願寺集落があった。これらの集落は大阪と奈良方面を結ぶ「立石街道」の沿線上にあった。
[編集] 山本新田の開発
- 宝永元年(1704年)に大和川付け替え工事が行なわれ、旧河川・湖沼跡に広大な敷地ができたが、そのうちの満願寺集落近傍・南北約3kmほどの新田の開発権利を、山中庄兵衛正永・本山弥右衛門重英 両名が落札し、新田開発を請け負った。新田名・地名は両名の名字から取られている。 宝永2年(1705年)に工事が完了、宝永5年(1708年)の検地をもって正式名称が確定した。
- 享保9年(1724年)に大坂の大火で、本山の商家である「加賀屋」も消失し、新田を抵当にしていた融資が返済できず、享保13年(1728年)に融資元である「泉屋」の住友吉左衛門に新田を譲った。以来、この地は昭和15年(1940年)9月まで住友家(住友財閥)の所有であった。
- 当地は水はけがよすぎて米作には向かず、逆に綿・木綿(いわゆる「河内木綿」)の作付けに向いていた。新田では主に木綿の作付けを行った。
- 満願寺集落の西側・立石街道沿道に、玉串川との交差部・山本橋を中心にして、南東に山本新田会所、南西に山本八幡宮、主に北側に十数件の農家をもって「山本新田集落」ができた。
[編集] 河内木綿の衰退
- 綿の作付けは江戸時代を通じて栄えたが、製糸・織布については各農家の家内制手工業の域を脱せず、専門業者の企業としては成り立っていなかった。
- 明治維新以降、品質の良い外国産の綿が輸入され、品質に劣る日本国内産の綿花は駆逐された。 河内地方の綿も例外ではなく、綿の作付け、河内木綿は衰退していった。
- 綿畑は、大都市(大阪)近郊の野菜供給地となった。
[編集] 大軌の開業と住宅開発
- 1925年(大正14年)に山本集落の南をかすめるように大阪電気軌道(現在の近鉄大阪線)の路線が延伸開業し、当地に山本停留所(現在の河内山本駅)が開業した。
- 大軌線開業後の1929年(昭和4年)に住友合資会社により、当地での住宅開発が開始される。
- 山本停留所の北側、大阪府立八尾高等女学校(現在の大阪府立山本高等学校)、八尾第二小学校(現在の八尾市立山本小学校)あたりまでの南北約1kmの範囲で先ず分譲された。立石街道沿いの辺りは商店が建ち並んで商店街を形成したが、現在では廃れてしまった。
- 山本停留所の南側 (現在の高安駅前交差点付近までの南北約1kmの範囲) の開発・分譲は停留所北側に比べると緩やかであった。駅前にわずかな期間だけ、芝居小屋があった。商店街が形成されるようになるのは太平洋戦争後だった。
- 1940年(昭和15年)に、住友財閥は山本周辺の土地を手放し、当時の八尾町に寄贈している。
[編集] 太平洋戦争後から現在まで
- 戦後、山本駅南側に「山本市場」が開設され、周りに商店が建ち並ぶようになり、駅南側の住宅地も発展していく。
- 1952年(昭和27年)ごろに、(現在の山本町北五丁目~柏村町の) 玉串川沿いに桜の木が植えられ、川沿いに桜並木ができた。現在では桜の名所として知られるようになった。
[編集] 地理
山本新田開発当初は、前述の通り、「立石街道」の「山本橋」を中心とした寒村であった。
現在では周囲も含めて住宅地化が済んでおり、旧山本新田区域と周辺の区別がし難くなってきている。しかし新田の区域は周りより標高が1~2mほど高くなっており、かろうじて境界の確認はできる状態である。
当地は前述のとおり、昭和初期から住宅地として開発された。ほどほどの幅の河川(玉串川)と道路(府道15号)が縦断しており、環境がよかったこともあり、高級住宅街が形成された。
- 旧山本新田の中心地である「山本橋」の位置
- 北緯34度37分31.6秒東経135度37分22.8秒(日本測地系)、北緯34度37分43.4秒東経135度37分12.7秒(世界測地系)
[編集] 玉串川
玉串川(たまくしがわ)は、大阪府八尾市から東大阪市にかけて流れる河川。
本地域内を南北に貫いている。前述の通り両岸に桜の木が植えられており、桜の名所である。
詳細は該当頁を参照のこと。
[編集] 近鉄河内山本駅
- 該当頁を参照のこと。
[編集] 立石街道・おおと越
立石街道は、八尾市本町で八尾街道・河内街道から分かれ、山本町・山本橋で玉串川を渡り、服部川交差点で東高野街道(国道170号旧道)と交差し、立石峠を越えて大和国(奈良県)に至る街道である。 本地域内では「おおと越」とも言われている。 「立石街道」と「おおと越」は服部川駅近くの中高安小学校前で分かれる。
かつては山本橋を中心に商店街が形成さえていたが、現在では寂れてしまっている。 西側の旧中野集落付近は道幅が狭いにもかかわらず、自動車の交通量が多く、一方通行の規制がされていないため、離合渋滞が頻発している。
[編集] 沿道の主な施設・店舗等
- 山本八幡宮 - 後述
- 八尾警察署山本駅前交番 - 山本駅前バス停のすぐ西にある交番。
- 山本町一丁目公園 - 山本駅前交番のすぐ西にある児童公園。元は当地に小阪合尋常小学校(現在の山本小学校)、その後山本幼稚園があった。
- セブンイレブン - コンビニエンスストアであるが、酒屋が経営しているFC店である。元は太平洋戦争前 (以後、戦前と記載する) からある「石川酒店」である。
- 石川自動車 - 戦前からある自転車屋。現在はパナソニック サイクルテック製品をメインに扱っている。別の場所で自動車修理業をしている。
- さつきビル - 山本橋南東角にある雑居ビル。
- 山本辻地蔵 - 立石街道と近鉄山本2号踏切の筋の交差点南東角に鎮座している二体の地蔵。 元は山本橋東の道路脇にあったが、昭和初期の住宅地開発による道路拡張工事に伴い現在地に移された。
- フレックス - 大阪ガスのサービスショップ、住設機器特約店。 山本辻地蔵の北向かい側にある。
[編集] 山本八幡宮
山本八幡宮(やまもとはちまんぐう)は、大阪府八尾市山本町一丁目にある神社。
近鉄河内山本駅のすぐ近く、玉串川の西岸、立石街道の南沿いに所在する。小ぢんまりとした神社である。
[編集] 歴史・概要
- 享保元年(1716年)、石清水八幡宮より神霊を勧請し、山本新田の鎮守として分祀された。
- 1956年に社殿が改築され、現在に至っている。本殿は社殿の中に収まっている。
- 1994年から1997年にかけて社殿を除いたすべての施設に大幅な改修が行われた。 社務所・集会所・神楽殿は撤去され、境内北西角に鉄筋4階建てのビルが建てられた。 さらに敷地東側・玉串川の間に歩道が整備された。(それ以前は川岸ぎりぎりまで神社境内だった。) 正面にあった太鼓橋は撤去された。
[編集] 山本新田住友会所
山本新田住友会所は、かつて近鉄河内山本駅・玉串川の東側、線路北側、山本2号踏切の筋の西側、立石街道の南側の一角にあった、山本新田を運営するための施設。
[編集] 歴史
- 前述の通り、山本新田を運営するための施設・事務所として享保8年(1723年)に開設。しばらくして住友家の所有となる。
- 明治5年(1872年)に会所内に「河内第41番小学」(現在の山本小学校)が創立された。
- 昭和初期の住宅街造成時には住友合資会社の地所課の事務所が入居していた。
- 1940年(昭和15年)に、住友財閥は山本周辺の土地を手放したが、この一角は八尾町の所有となり、現在も一部が市有地である。
- 1960年(昭和35年)に、「八尾市立労働会館」が建設される折りに旧住友会所の建屋はすべて解体された。
[編集] 跡地一角の主な施設・店舗等
かつては住友家所有→八尾町(八尾市)所有だったが、現在は一部を除き、民有地になっている。
- 山本コミュニティーセンター - 八尾市役所山本出張所と八尾市立山本図書館が入居している。1960年(昭和35年)に、「八尾市立労働会館」が建てられたが、老朽化により1994年に解体。1996年に跡地に山本コミセンが建設された。
- 大阪東信用金庫山本支店 - 元八光信用金庫支店
- 岡本スタジオ - 昭和14年(1939年)から山本にある写真店。近隣の学校の卒業アルバムの制作を引き受けている。 以前は山本駅の北側・山本町一丁目公園の間にあった。 山本高安町二丁目に支店がある。
- CaDen山本店
- その他、府道15線沿いにあるものは河内山本駅の頁を参照のこと。
[編集] 山本南商店街
山本駅南側にある商店街。近鉄線より南・西側、五月橋交差点(大阪府道5号)より北側の区域に該当する。
[編集] 主な施設・店舗
- パセオ - スーパーマーケット。前身は、戦後間もなくできた「山本市場」。元は玉串川東側、近鉄大阪線との角にあった。昭和35年の大火で全焼するもまもなく復興した。昭和40年代に現在地に移った。
- 武島精肉店 - 戦前からある老舗の精肉店。 かつては山本界隈の複数の市場内に出店していたが、現在は「肉はたけしま」 の名称でスーパーパセオ内に出店している。 昔から、八尾空港からセスナ機を飛ばして宣伝放送しているので山本界隈で知らない人はいないと思われる。
- ヒバリヤ書店 - 山本駅の真南にある書店。かつては当地に「西川書店」という老舗の書店があったが倒産して撤退した。ビルの3階には「貴島診療所」が入居している。
- 岩田ビル - 近鉄大阪線と玉串川(大阪府道15号)の角にある雑居ビル。 元々は当地に「山本市場」があった。1969年に現在のビルに建て替えられた。
- 万代スーパー - スーパーマーケット。スーパー形態になる以前から「万代百貨店」として営業していた。 近く(府道5号線と近鉄大阪線の南東角)に社宅がある。
- パチンコ天竜会館
- スーパーはやし - スーパーマーケット。山本2号踏切の南東にある。
- 八尾山本郵便局 - 1933年4月に開局した、八尾市内では3番目にできた特定郵便局 。
- みずほ銀行山本支店 - 元第一勧業銀行支店。
- 近畿大阪銀行山本支店 - 元近畿銀行支店。
- 三井住友銀行山本支店 - 元太陽神戸銀行・さくら銀行支店。
[編集] 旧山本集落の北
昭和期になるまでは畑と道路しかなかったが、住友本社から土地が自治体に寄贈され、女学校、小学校が相次いで建てられた。
[編集] 主な施設・店舗等
- 御野縣主神社 - 八尾市上之島町南一丁目にある神社。 かつての河内郡三野郷村(現在の上之島地区)地域の氏神。 境内の西側が旧堤防(山本町五丁目)にかかっている。旧大和川堤防の原形をとどめており、貴重な史跡となっている。
- 大阪府立山本高等学校 - 詳細は該当頁参照のこと。
- 八尾市立山本小学校 - 詳細は該当頁参照のこと。
- 八尾市立山本幼稚園
- 日立製作所独身寮
- 山本町北第1公園
- 聖光幼稚園
- 八尾山本北郵便局
- 八尾警察署北山本交番
- 府営八尾山本住宅
- 八尾山本七郵便局
- 山本町北第2公園
- ファミリーショップ北山本 - スーパーマーケット。この付近で府道と玉串川の位置が入れ替わる。
[編集] 五月橋交差点の南
府道・玉串川沿いは閑静な住宅街である。五月橋交差点から約1km弱南の高安駅前交差点で大阪府道181号山本黒谷線と接続する。すぐ東に近鉄高安駅がある。
[編集] 主な施設・店舗等
- 公団山本北団地・公団山本南団地 - 通称「月美野住宅」
- 八尾市立山本球場 - 元は住友財閥系企業従業員の親睦のために作られた「住友球場」であった。詳細は該当頁参照のこと。
- カリタス八尾 - 山本球場の西にある、企業向けの賃貸ワンルームマンション。 住友成泉株式会社が運営している。 元は「住友自勝寮」として1937年に初代の建屋が竣工した。現在の建屋は2代目である。
- キリン堂 - ドラッグストア。近鉄高安検修車庫の一角に建っている。
- シミズメガネ - メガネ屋。
- コープ山本店
- 池田銀行高安支店
- 近鉄高安駅 - 詳細は該当頁参照のこと。
- 八尾警察署高安駅前交番
- 高安クリニックビル - 高安駅西側出入口すぐ南にある雑居ビル。各種診療所が入居している。
- 岡本スタジオ - 支店。
[編集] 交通
本地域中央から南にかけて鉄道(近鉄大阪線)が通っている。
主な道路としては、大阪府道15号が玉串川沿いに通り、大阪府道5号が東西に貫いている。
山本駅を境に北側と南側とでは状況が少々異なる。
[編集] 鉄道
前述の通り、近畿日本鉄道 (近鉄) の大阪線が当地の中央付近から南東にかけて通っている。 また、当地の中心部・河内山本駅から 信貴線 が分岐している。
山本駅付近から線路は東向きから大きくカーブし、ほぼ真南に方向を変え、当地南端付近の高安駅に到達する。
両駅とも乗降人員は多く、準急停車駅となっている。 また、上本町駅から高安駅までの区間列車も存在する。
[編集] 路線バス
山本駅からまっすぐ北側、河内花園駅付近まで約4km(旧山本新田内は2km強)の地域は、鉄道駅から遠く、沿道の商業施設は少ないため、路線バスが多く走っており、需要も多い。
対して、山本駅の南側は、鉄道駅(河内山本駅・高安駅)が徒歩圏内にあり、商店街への買い物も自転車利用が多いため、路線バスの需要は皆無に近い。かつては複数路線あったが現在は皆無である。
[編集] 道路
主要地方道(大阪府道)については、当地を南北に縦断する「大阪府道15号八尾茨木線」と山本駅の少し南側を東西に貫く「大阪府道5号大阪港八尾線」がある。 その他、高安駅前を通る「大阪府道181号山本黒谷線」や八尾市道がある。 これらの道路は幅員が狭く(基本的に2車線)、右折レーンさえないところが多い。 また、山本駅前は踏切(山本1号踏切)で交差しており、通過列車本数が多いため閉塞時間も長い(国土交通省の「開かずの踏切」のリストに掲載されている)。 それら (右折車の直進車通過待ち・踏切待ち) が原因の渋滞が頻発している。
総じて、道路環境に関しては貧弱であるといえる。 なお、府道15号沿道は玉串川を挟んで歩道が整備されており、本地域内では歩車分離がなされている。(北端の一部区間は除く。)
[編集] 関連項目
[編集] 参考資料
- 鶴田正人著 『河内山本物語』 (発売元:西川書店)
カテゴリ: 日本の地理関連のスタブ項目 | 八尾市 | 大阪府の歴史 | 大阪府の地理